サッポロビールの歴史と全銘柄年表|1876年開拓使からヱビス・黒ラベル・赤星まで

私が飲食店の現場に入って最初に覚えた「仕入れ」のひとつが、ビールでした。樽を替え、びんを箱で受け取り、冷蔵庫の中で銘柄ごとに置き場所を決める。毎日さわっているのに、そのビールがどこで生まれ、どんな道を通って自分の店の冷蔵庫まで来たのかを、私はほとんど知りませんでした。
この記事は、その「知らなかった」を一社ぶん、端から端まで埋める試みです。取り上げるのはサッポロビール。1876年(明治9年)に北海道・札幌で産声を上げ、2026年でちょうど150年になる会社です。今日は2026年8月26日。開業式が行われた9月23日を数えれば、150周年まであと1か月を切ったところにいます。
ただし、社史をなぞるだけの記事にはしません。飲食店を営む方にとって本当に役に立つのは、「誰がいつ社長になったか」ではなく、「どの銘柄が、いつ、どういう理由で生まれ、いまどうなっているか」だからです。ですからこの記事の背骨には、主要銘柄の発売年表を据えました。そして年表を読むための道具として、ラガーとエールの違い、生ビールと熱処理ビールの違い、発泡酒と新ジャンルが生まれた理由まで、まるごと一章を割いて解説します。
この記事で分かること
- 1876年の開拓使麦酒醸造所から2026年までの、サッポロビール150年の流れ
- ラベルの星のマークが何を意味しているのか、その由来
- ヱビスビールが一度消え、28年後に復活した経緯と、その復活が「麦芽100%」でなければならなかった理由
- 東京の「恵比寿」という地名が、ビールの商品名から生まれたという事実の道すじ
- 黒ラベルという愛称が、どうやって正式名称になったのか
- 飲食店で愛される「赤星」=サッポロラガービールが、いまも業務用中心に生き続けている理由
- 時代別に区切った主要銘柄の発売年表(定番・季節限定・地域限定・終売銘柄・復刻版まで)
- ビールの種類の基礎知識(ラガー/エール/ピルスナー/黒ビール/発泡酒/新ジャンル/ノンアルコール/クラフト)
- 生ビールと熱処理ビールは何が違うのか、日本ではどう線引きされているのか
- 発泡酒と新ジャンルを生んだ酒税法の仕組みと、2026年10月の税率一本化が飲食店の原価に与える影響
- 大麦とホップを自社で育種するという、世界的にも珍しい取り組み
- クラフト、ノンアルコール、ワイン、レモン、外食まで含めた現在のグループの姿
- サッポロビール博物館、YEBISU BREWERY TOKYO など、実際に足を運べる場所
- 飲食店として、この150年の物語を接客とメニューにどう使うか
なぜ、いま1社のビール会社を5万字で追うのか
ビールは「もっとも説明されていない主力商品」です
居酒屋でも、レストランでも、ビールは売上の柱です。にもかかわらず、メニューに書かれているのはたいてい「生ビール」の四文字だけ。ワインなら産地も品種も年号も書くのに、ビールは銘柄名すら省かれることがあります。私はこれを、ずいぶんもったいないことだと思っています。
お客さまは、知らないものを選べません。逆に言えば、ひとこと説明があるだけで注文は動きます。「うちの生は黒ラベルです」「びんは赤星を置いています」。この一文をメニューに足すかどうかで、ビールが「とりあえずの一杯」から「選ばれた一杯」に変わります。そのひとことを書くために必要なのが、銘柄の背景知識です。
2026年9月23日、サッポロビールは150歳になります
サッポロビールの公式サイトは、自社の歴史を「サッポロビール150年の道のり〜襷はつながれる。時代を超えて。〜」と題して公開しています。起点は1876年9月23日、開拓使麦酒醸造所の開業式です。150年という節目は、こういう記事を書くには申し分のないタイミングです。
この記事の作り方について、先にお断りしておきます
本文の事実関係は、可能なかぎり一次情報にあたりました。中心に据えたのは、サッポロビール企業サイトの「ヒストリー(年表)」と「150年の道のり」、同社の「サッポロのこだわり」各ページ、2026年公表の「中期経営計画2027-2030」、そして酒税については国税庁と財務省の公表資料です。二次情報を使った箇所は、その旨と出典を本文または末尾に明記しました。
裏が取れなかった数字・年号は、推測で埋めずに【要確認】と書き残しています。記事の最後にその一覧も置きました。読者の方が「ここは自分で確かめよう」と判断できるようにするためです。
1876年 開拓使麦酒醸造所 —— すべてはここから始まりました
「開拓使」という国家プロジェクトの中に、ビールがありました
明治新政府は1869年(明治2年)7月、北海道開拓のために「開拓使」という役所を設置しました。「富国強兵」「殖産興業」という近代化政策の一環であり、北海道の民度向上、ロシアに対する防壁の構築、国富の増進が目的だったと公式資料は説明しています。
開拓使は約30業種・40の官営工場を設立しました。製糖、製麻、製材、缶詰。その並びのひとつに、ビール醸造が計画されたのです。つまりサッポロビールの出発点は、一人の起業家の思いつきではなく国家事業の一部門でした。ここは押さえておきたいところです。
きっかけは、岩内で見つかった野生のホップでした
開拓使が雇っていた外国人のひとり、トーマス・アンチセルが、北海道・岩内で野生のホップを発見します。「この土地でホップが自生するなら、ビールがつくれるのではないか」。北海道でのホップ栽培とビール醸造事業は、この発見をきっかけに動き出しました。
これは偶然のようでいて、実は必然でもあります。ホップは冷涼な気候を好む作物です。ヨーロッパのビール産地と北海道は、気候条件が近い。後年サッポロビールが打ち出す「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」という広告コピー(北緯45度線で世界のビール名産地を結んだもの)は、この土地の適性を言葉にしたものでした。
村橋久成が「東京ではなく、札幌に建てるべきだ」と覆しました
事業の立ち上げには、二人の重要人物がいます。ひとりが村橋久成。麦酒醸造所建設の責任者です。
当初の計画では、まず東京に試験用の醸造所を建てることが決まっていました。合理的な判断です。技術も人も資材も東京に集まっていましたから。ところが村橋はこれを覆し、最初から札幌に建設すべきだと進言して、実現させました。原料が採れる土地で、原料からつくる。この判断が、後の「原料国産化」という執念につながっていきます。
中川清兵衛 —— ドイツで本場の醸造を修めた最初の日本人
もうひとりが中川清兵衛です。ドイツで本格的なビール醸造法を修業し、帰国後、開拓使の雇技師に任命されました。日本人として初めて本場ドイツでビール醸造を学んだ人物とされています。
ここが重要です。開拓使麦酒醸造所は、本格的な設備を持ち、日本人の手だけでつくられた最初の本格的なビール醸造所でした。外国人技師に頼りきりで建てた工場ではない。この一点が、後の大日本麦酒が掲げる「外国人はできる限り雇用しない」という方針にまでつながります。
1876年9月23日、開業式の写真に写る樽の文字
1876年6月に建設に着手し、9月8日に「開拓使麦酒醸造所」が完成。同月23日に開業式が行われました。サッポロビールの歴史はここに始まります。
開業式で撮影された記念写真(北海道大学所蔵)には、高く積み上げられたビール樽が写っています。そこにはこう書かれていました。
麦とホップを製す連者(れば)ビイルとゆふ酒になる
「麦とホップを醸せば、ビールという酒になる」。いま読むと当たり前のことを書いているように見えますが、当時の日本人の大半はビールを飲んだことがありません。何でできているのかも知らない。だからこそ、樽に大書したのです。この一文には、国産ビールへの期待と、これから広めていくのだという気概の両方がにじんでいます。
余談ですが、サッポロビールには現在「麦とホップ」という新ジャンル商品があります。2007年に登場したこのブランド名が、150年前の樽の文字と響き合っていると考えると、私は少し楽しくなります。
1877年、冷製『札幌ビール』——「冷製」の二文字が意味したもの
1877年9月、待望の北海道初のビールが、冷製「札幌ビール」と名付けられて東京で一般向けに発売(払下げ)されました。
商品名に冠された「冷製」は、いまの感覚だと「冷やして飲む」という意味に読めてしまいますが、そうではありません。本場ドイツの醸造法にならい、低温でじっくり発酵・熟成させた高品質なラガービールであることを示す言葉でした。つまり「冷製」は製法の宣言です。
後の章で詳しく説明しますが、ビールは酵母と発酵温度の違いによって大きくラガーとエールに分かれます。日本のビールの主流はラガー(下面発酵)ですが、その第一歩に「冷製」という二文字が置かれていたことは、覚えておいて損のない話です。飲食店でお客さまに「日本のビールはなぜラガーが多いんですか」と聞かれたときの、いい入口になります。
大瓶1本16銭という値付け
発売時の価格は大瓶1本が16銭。当時としては高価な嗜好品でした。ビールは庶民の飲み物ではなく、ハレの日の贅沢品として世に出たのです。
この「贅沢品からの出発」という前提は、後に効いてきます。1899年に日本初のビヤホールが「半リーテル(0.5リットル)で10銭」という手頃な価格で開業したとき、それは単なる新業態ではなく、ビールを庶民の手に届かせるための価格戦略でもありました。
ラベルの北極星 —— 星のマークの由来
1877年に使われたラベル(丸善雄松堂株式会社所蔵)には、開拓使のシンボルマークである「北極星」が描かれています。
北の夜空で動かずに輝き、開拓者にとっての方角の指針となった星。それが開拓使の紋章であり、そのまま商品ラベルに載りました。以来この星は、サッポロビールの伝統と開拓者精神を象徴するシンボルとして、150年にわたって受け継がれています。
黒ラベルの缶にも、ヱビスの缶にも、赤星の中びんにも、星があります。同じ星がなぜ黒だったり赤だったり金だったりするのか——それは銘柄ごとの章で触れますが、根っこはすべて開拓使の北極星ひとつです。この話は、お客さまに一度話すと必ず覚えていただけます。
原料の国産化 —— 大麦は1880年、ホップは1881年に達成
開拓長官だった黒田清隆は、単にビールを醸造するだけでなく、原料である大麦とホップも北海道の地で生産することを目指しました。北海道の農業開発と同時に、原料を輸入に頼らない持続可能な事業を確立するためです。
これが、簡単ではありませんでした。開拓使は札幌官園などの実験農場で大麦の試験栽培を始めましたが、北海道の気候に適した品種を見つけるまでに多大な労苦と時間を要します。醸造に必要な全量を道内産の大麦でまかなえるようになったのは1880年のことでした。
ホップはさらに難物でした。1877年に札幌でホップ園を開設したものの、植え付けた苗が枯れる失敗を幾度となく繰り返します。試行錯誤の末、1881年、醸造所で使用するホップをすべて北海道産でまかなうことに成功しました。
創業から4〜5年をかけて、原料を自前にした。この粘り強さが、今日まで続くサッポロビールの品質へのこだわりと、後に触れる「協働契約栽培」の原点になったと、同社は説明しています。大麦とホップの両方を自社で育種するビール会社は世界的にも珍しいのですが、その珍しさの根っこは、明治10年代の畑にあるわけです。
官から民へ —— 払い下げと「札幌麦酒会社」の設立
1882年、開拓使が廃止されます
1882年2月、国家プロジェクトとして北海道開拓を牽引してきた開拓使が廃止されました。これに伴い、開拓使麦酒醸造所は農商務省工務局の所管に移り、「札幌麦酒醸造所」と改称。翌年には「札幌麦酒醸造場」と再び名を変えます。そして1886年1月に新設された北海道庁へと移管されました。
10年足らずで所管が三度変わっている。国営事業の難しさが、名前の変遷にそのまま出ています。
大倉喜八郎が引き受けました
北海道庁の初代長官・岩村通俊は、道庁が所管する工場や農場を民間に払い下げる方針を打ち出します。この方針に基づき、醸造場も民間の手に委ねられることになりました。
応じたのが実業家の大倉喜八郎です。欧米への視察を通じてビール事業の将来性を見抜いていた人物でした。1886年11月、醸造場は「大倉組札幌麦酒醸造場」として民営化され、新たな一歩を踏み出します。
渋沢栄一・浅野総一郎、そして1887年12月の「札幌麦酒会社」
大倉は、ビール事業をより確実なものにしたいと考えました。翌1887年、彼と同じくビール事業に関心を持ち、政財界に大きな影響力を持っていた渋沢栄一や浅野総一郎らに醸造場を譲渡。大倉自身も経営に参画する形で、同年12月に新会社「札幌麦酒会社」が設立されました。
日本を代表する実業家たちの資本と知見が結集し、ビール事業発展の基盤が築かれます。国が始めた事業を、民間の一流どころが引き継いだ。これが第一のルーツです。
もうひとつのルーツ —— 日本麦酒醸造会社と、恵比寿の誕生
1887年9月、中小資本家によるベンチャーとしての船出
サッポロビールにはもうひとつのルーツがあります。日本麦酒醸造会社です。1887年(明治20年)9月、「日本一のビール会社を目指して」東京・横浜の中小資産家が集まって設立されました。公式サイトはこれを「今でいうベンチャービジネス」と表現しています。
ただし、渋沢や大倉のような有力な資本家がいなかったため経営は不安定で、わずか10か月の間に社長が3人も交代するという事態に陥りました。夢は大きいが金と経営が続かない。時代を問わず起こることです。
三田村の畑に建った、ドイツ式レンガ工場(1889年竣工)
工場用地として選ばれたのは、東京府下荏原郡三田村。現在の恵比寿ガーデンプレイスの場所です。当時は畑や山林が広がる、何もない場所でした。
そこにレンガ造り3階建てのドイツ式近代ビール工場が建設されます。会社設立から2年が経過した1889年10月、「ヱビスビール醸造場」が完成。醸造技師もドイツから招き入れ、同年12月から醸造が始まりました。
「大黒様」ではなく「恵比寿様」になった理由
ここが、この記事でぜひ知っていただきたい豆知識のひとつです。
当初、商品の商標は七福神の一柱である「大黒様」が候補でした。ところがすでに商標登録されていたため採用できず、同じく七福神の「恵比寿様」に変更されたのです。
つまり、もし大黒の商標が空いていたら、いま東京にある街の名前は「大黒」だったかもしれない。渋谷区恵比寿という地名、恵比寿駅、恵比寿ガーデンプレイス——それらすべてが、商標登録の先着順という、きわめて事務的な理由の上に成り立っています。歴史の面白さはこういうところにあります。
1890年2月25日、『恵比寿ビール』発売
1890年2月25日、『恵比寿ビール』が発売されました。本格的なドイツタイプのビールです。
品質は発売直後から高く評価されました。同年4月から上野で開催された第3回内国勧業博覧会では、出品された83点のビールの中から「最良好」との評価を受けています。発売早々から人気となり、東京を代表するビールとなりました。
馬越恭平 —— 沈みかけた会社を半年で黒字にした男
ところが、発売当初は順調だった日本麦酒も、1890年の経済恐慌と販売網の未整備が響いて経営状態が悪化します。ついには従業員への給料支払いも滞り、株主からは会社解散を求める声が上がり始めました。
この状況を打開するため再建役として派遣されたのが、三井物産専務委員の馬越恭平です。後に「東洋のビール王」と称されることになる人物でした。
1892年に日本麦酒の事実上の社長である委員長に就任した馬越は、まず経費の徹底的な削減と、不当な利益を得ていた商社との契約解除という経営の合理化を断行します。同時に「再建の基本は販売力の強化にある」と考え、自ら全国の販売店を精力的に回って販路を拡張しました。
結果、わずか半年で業績は黒字に転換。1896年には『恵比寿ビール』の製造量が業界一位になるまで成長しました。
コストを切ることと、売り先を増やすこと。この二つを同時に、しかも社長自らが動いてやる。130年以上前の話ですが、店舗経営でも構造はまったく同じです。
「偽ヱビス」が出回るほどの人気でした
恵比寿ビールの知名度が高まるにつれ、その商標を偽造した商品が市場に出回るようになります。特に1897年からの数年間、こうした「偽恵比寿」は増え続け、日本麦酒は商標侵害に関する訴訟を何度も起こしました。
贋物が出るのは、本物に価値がある証拠です。ブランドというものの本質が、この一件によく表れています。
1900年 パリ万博で金牌、1904年 セントルイス万博でグランプリ
馬越の経営改革のもとで人気を博した恵比寿ビールは、1900年のパリ万国博覧会に出品して金牌を受賞。さらに1904年のセントルイス万国博覧会ではグランプリを獲得しました。ヨーロッパだけでなくアメリカでも品質が認められたことになります。
創業からわずか10年ほどの日本のビールが、本場の審査で評価された。これは当時の日本にとって相当な出来事だったはずです。
1899年、日本初のビヤホールが銀座に生まれました
「ビールを飲む場所」を、会社がつくりました
当時、ビールはまだ贅沢品であり、一般には馴染みの薄い存在でした。日本人にビールの味を知ってもらおうと、社長・馬越恭平のアイデアで日本初のビヤホールが開業します。
1899年8月4日、東京・京橋区南金六町(現在の銀座八丁目)に「恵比寿ビール Beer Hall」(恵比寿ビヤホール)が開店しました。
半リーテル10銭 —— 価格と器で、飲み方を設計しました
工場から直送される新鮮な樽生の『恵比寿ビール』を、ガラス製のジョッキを用い、「半リーテル(0.5リットル)で10銭」という手頃な価格で提供しました。
大瓶1本16銭で売り出したビールを、0.5リットル10銭で飲める場所をつくった。しかも工場直送の樽生で、ガラスのジョッキで。価格・鮮度・器の三点を同時に設計したわけです。いまのクラフトビールのタップルームがやっていることと、発想はまったく変わりません。
開業3日目には、評判を聞きつけたアメリカの水兵たちが訪れ、売上が初日の2倍に達したという記録が残っています。
最初のつまみは、スライスした大根だけでした
ただし、お客の不満がひとつありました。最初のつまみはスライスした大根だけだったのです。ドイツの定番のおつまみであるラディッシュを真似たものでしたが、これがすこぶる不評でした。
その後、蕗や海老の佃煮に変えたところ、大いに受けたといいます。
私はこの逸話が大好きです。本場のやり方をそのまま持ち込んでも、その土地の口には合わない。お客さまの反応を見て、地元の食材に切り替えたら受け入れられた。飲食店の商売の本質が、日本のビヤホールの一日目から、すでにここにあります。海外のトレンドをそのまま持ち込んで苦戦する例は、いまでもよく見かけます。127年前に答えは出ているのです。
8月4日は「ビヤホールの日」です
ビヤホールの経営は、現在はサッポロライオンに事業継承されています。そして「恵比寿ビヤホール」開業100周年の年に、8月4日が「ビヤホールの日」と制定されました。
毎年8月4日は、店の販促に使える記念日です。ビールを出しているお店であれば、この日にちなんだ一杯を用意するだけでも、SNSの投稿一本分にはなります。
1934年 銀座ビヤホール —— 現存する日本最古
1934年4月、東京・銀座七丁目に鉄骨鉄筋コンクリート造りの新社屋「銀座ビル」が竣工し、大日本麦酒は本社機能を目黒から銀座へ移転します。このビルの1階に開業したのが「銀座ビヤホール」でした。
ガラスモザイクの壁画で飾られたモダンな空間は、銀座の新たな名所として賑わいます。設計コンセプトは「豊穣と収穫」。随所に大麦や葡萄をモチーフとした装飾が施されました。
馬越恭平には、こういう考えがあったと伝えられています。「訪れる人々が心を開き、日常を忘れて屈託なく笑い、明るい明日を語り合える。それこそがビールの力であり、ビヤホールはそういう場所であってほしい」。
この店は現在も「ビヤホールライオン 銀座七丁目店」として営業しており、創建当時のままの姿を残す現存する日本最古のビヤホールとして、その歴史と文化を今に伝えています。東京で飲食店をやっている方なら、一度は自分の目で見ておく価値のある空間だと思います。
「恵比寿」という地名は、ビールの名前から生まれました
1901年、ビール専用の貨物駅「恵比寿停車場」
『恵比寿ビール』の製造量が飛躍的に増加するにつれ、製品の効率的な輸送が経営上の重要課題になりました。当初は牛車や馬車の輸送に頼っていましたが、輸送力を抜本的に強化するため、日本麦酒は工場の隣を走る日本鉄道(現在のJR山手線)に対して貨物駅の設置を要請します。
要請は受け入れられ、1901年2月、工場隣接地に製品出荷のための専用貨物積卸場「恵比寿停車場」が開設されました。公式サイトは、これこそがこの土地を「恵比寿」と呼ぶ発端となった出来事だと明記しています。
1906年に旅客駅、1928年に地名へ
貨物専用だった停車場は渋谷寄りに移動し、駅周辺の市街地化と人口増加に伴って、1906年には旅客も扱う「恵比寿駅」(現在のJR恵比寿駅)として開業します。ビールの名が駅名になりました。
そして1928年には、駅周辺の地名も「恵比寿通」と改称されます。商品名 → 貨物駅名 → 旅客駅名 → 地名、という順番でひとつの言葉が街に定着していったわけです。
商品名が街の名になった、きわめて珍しい例です
サッポロビールはこれを「街の名そのものがビールブランドから生まれた、日本でも極めて珍しいケース」と説明しています。
一企業の商品名が駅名となり、さらには街の名称へと発展する。しかもその街は、いまや「住みたい街ランキング」の常連です。ブランドが土地を育て、土地がブランドを育てた。この双方向の関係は、地域に根ざした飲食店にとっても示唆に富む話だと思います。あなたのお店の名前が、いつか通りの名前になるかもしれません。
1906年 大日本麦酒 —— 3社合同という決断
1901年、ビールに税金がかかるようになりました
日本国内のビール醸造場は、1880年代後半から1890年代なかばには数十か所に及びましたが、その多くは淘汰されていきます。札幌麦酒、日本麦酒、大阪麦酒(アサヒビール)、麒麟麦酒の4大会社による販売競争が激化しつつあった1900年(明治33年)に、業界再編を促す二つの出来事が起こりました。
ひとつめは、札幌麦酒の東京工場(現在の墨田区吾妻橋)の建設です。1903年に工場が完成し、東京工場製の『サッポロビール』が発売されると、『ヱビスビール』の本拠地である東京市場を急速に侵食しました。札幌麦酒は1905年に業界トップに立ちます。
ここで「吾妻橋といえばアサヒビールでは?」と思われた方がいるかもしれません。そのとおりです。ただし順番が逆で、この土地はもともと札幌麦酒のものでした。1900年に旧秋田藩主・佐竹家の下屋敷跡を買い取って工場を建て、1906年の3社合同で大日本麦酒の「吾妻橋工場」となり、1949年の分割で朝日麦酒——いまのアサヒビールへ引き継がれます。工場は1985年に閉鎖され、その跡地に建ったのが現在のアサヒビールタワーです。
いまの看板だけを見ると分かりませんが、あの場所は、サッポロが東京を獲りにいった拠点でした。この記事の後半で1949年の分割を扱いますが、そのとき日本麦酒(のちのサッポロ)が継いだのは札幌・川口・目黒・名古屋・門司の5工場で、吾妻橋はそこに入っていません。
ふたつめは、政府によるビール税新設の動きです。国内ビール総製造量が急拡大するなか、軍事費調達の必要性から新税を課す方針が示され、1901年3月に「麦酒税法」が公布されました。
この記事の後半で2026年10月の酒税改正を扱いますが、日本のビール産業は最初から税と一緒に歩いてきたということを、ここで押さえておいてください。ビールの歴史は、そのまま酒税の歴史でもあります。
日露戦争下の合同 —— シェア70%の巨大企業が生まれました
これらを契機に、日本のビール業界は熾烈な販売競争に突入します。1904年、日露戦争が開戦するなか、「国内で無益な競争を継続すべきではない」と危機感を覚えた日本麦酒の馬越恭平社長は、札幌麦酒の渋沢栄一会長、大阪麦酒の鳥井駒吉社長に3社の合同を提案しました。
各社の利害対立で交渉は難航しましたが、日露戦争下という共通認識と農商務大臣の後押しによって進展。1905年の資産調査に基づく合併比率決定を経て、1906年3月、国内市場シェア70%を占める「大日本麦酒株式会社」が誕生します。
本店は東京府荏原郡目黒村(現在の恵比寿ガーデンプレイス)に置かれ、1906年4月1日から業務を開始。初代社長には馬越恭平が就任し、取締役には渋沢栄一をはじめとする各社の重役が名を連ねました。
「サッポロ」「ヱビス」「アサヒ」を、そのまま並べて売りました
新会社は「サッポロ」「ヱビス」「アサヒ」という旧3社の強力なブランドをそのまま引き継いで販売しました。合併でブランドを整理統合するのではなく、全部残した。それぞれに固定客がついていたからです。
いまサッポロビールとアサヒビールが別々の会社として存在しているのは、この後の1949年の分割によるものです。両社がかつて同じ会社だった時期があるという事実は、日本のビール史を語るうえで欠かせません。
合同にあたっての3つの共通認識
3社が合同に際して共通に認識していたのは、次の3点だったと公式資料は記しています。
- 国内での競争を避け、海外に向けて販路を拡張すること
- ビール原料である大麦とホップ、さらに機械類も国産品で充当し、自給自足を実現すること
- 外国人はできる限り雇用しないこと
2番目の「原料の自給自足」が、開拓使時代からの執念そのままであることに注目してください。1880年に大麦、1881年にホップを国産化した札幌麦酒のDNAが、日本最大のビール会社の基本方針として明文化されたわけです。
『ピースビール』と、人の和
馬越社長がもっとも心を砕いたのは、旧3社の融和と人の和だったと伝えられています。合同直後には、日露戦争後の平和回復と3社合同を記念した『ピースビール』を発売するなど、一体感の醸成にも努めました。
3つの会社を1つにするというのは、設備と数字を足し算する作業ではなく、人の気持ちを揃える作業だという理解です。私はこれを、規模の大小を問わず組織を預かる人が知っておくべき話だと思っています。
1909年『シトロン』—— 清涼飲料への進出
馬越社長の積極姿勢は止まりません。1907年には東京麦酒株式会社を買収。1908年には欧米先進国のビール業界の実情を自らの目で確かめるため、欧米視察に出かけます。
そこで最新鋭設備の必要性を感じるとともに、デンマークのビール会社が清涼飲料水を兼営していることに強い関心を抱きました。帰国後、日本でも清涼飲料水事業に進出し、1909年に『シトロン』を発売します。
ビール事業で培った製造技術や流通網を活用した新たな試みであり、これが後の事業多角化の礎になっていきました。現在のポッカサッポロフード&ビバレッジにつながる系譜の、最初の一歩がここにあります。
1910年、ホップ「信州早生」が生まれました
大日本麦酒の三大方針のひとつである原材料の国産化は、旧3社それぞれが推進してきたものでした。設立前からビール大麦の契約栽培を拡充しており、合同後は拡大に拍車がかかります。
問題はホップでした。ほとんどを輸入に頼っていたため、国産化は長年の課題です。旧札幌麦酒時代からの努力が引き継がれ、品種改良を重ねた結果、1910年、ドイツ産のザーツ種とアメリカ産のホワイトバイン種を交配させることで、日本の気候風土に適した優良な新品種が誕生しました。
この品種が後に「信州早生(しんしゅうわせ)」と命名され、長野県での契約栽培が始まります。国産ホップ100%という目標は1942年にほぼ達成されました。
驚くべきは、この信州早生が誕生から100年以上を経た現在も作付けされていることです。サッポロビールは近年、「NIPPON HOP 始まりのホップ 信州早生」という商品も出しています。100年前の品種が、いまも現役でビールになっている。農作物としてのホップの息の長さが分かります。
1917年『青島ビール』—— 初の海外生産拠点
海外市場にも積極的に進出し、東アジアを中心に輸出を拡大しました。第1次世界大戦が始まると、ヨーロッパ諸国のビール供給がアジア市場から途絶えたことを好機と捉え、輸出は急拡大します。
そして1916年9月、第1次世界大戦で日本軍が占領した中国・青島にあったアングロ・ジャーマン・ブルワリーを正式に買収。これを青島工場とし、同年12月から醸造を開始、翌1917年5月から『青島ビール』の出荷を開始しました。日本のビール業界における初の海外生産拠点です。
いま日本の中華料理店で当たり前のように出てくる青島ビールに、こういう歴史の交差があることはあまり知られていません。中華のお店をやっている方には、ちょっとした話のタネになるかもしれません。
1933年、日本麦酒鉱泉との合併
昭和期に入り、金融恐慌や世界恐慌の荒波のなかで、ビール業界は再び激しい販売競争の時代に突入します。晩年の馬越社長は再び業界の大合同を画策しました。
麒麟麦酒との交渉は不調に終わりましたが、長年のライバルであった日本麦酒鉱泉株式会社(カブトビール、ユニオンビールなどを製造)との交渉は、1933年4月の馬越の死後、後を継いだ経営陣によってまとめられ、同年7月に合併が成立しました。これにより過当競争に終止符が打たれ、業界の秩序が回復します。
戦争がブランドを消しました —— 1943年の商標停止
1940年、ビールが配給制になります
時代は第二次世界大戦へと突き進み、1940年にビールは配給制となりました。つくれば売れるものではなく、割り当てられるものになったのです。
1943年、すべてのブランドが「麦酒」の二文字になりました
さらに1943年には、戦時下の物資輸送の合理化などを目的として各社ビールブランドの商標が停止されます。サッポロもヱビスもアサヒもキリンも、ラベルはただ「麦酒」。
個性豊かなブランドを失ったまま、日本のビール業界は終戦を迎えることになりました。
この2年間の空白が、この記事の後半に響いてきます。ヱビスが28年間消えることになる起点は、まさにこの1943年です。そして戦後、各社が「どのブランドを復活させるか」という選択を迫られたとき、サッポロの前身企業は他社とは異なる決断をして、苦戦することになります。
1949年 大日本麦酒の分割と、日本麦酒の船出
過度経済力集中排除法
1945年の終戦を迎え、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導のもと、日本では財閥解体や独占禁止法の制定など、経済の民主化が強力に推し進められました。
国内ビール市場で圧倒的なシェアを占めていた大日本麦酒は「過度経済力集中排除法」の指定を避けられず、1949年9月、「日本麦酒株式会社」と「朝日麦酒株式会社」の2社に分割されます。43年にわたる歴史に幕が下りました。同年、東京証券取引所に上場もしています。
5工場を継いだけれど、関西が空白でした
この分割により、いまのサッポロビールにつながる会社は「日本麦酒」として新たなスタートを切りました。
工場は札幌、川口、目黒、名古屋、門司の5工場を継承しましたが、全国を網羅するには配置に偏りがあり、特に関西市場が空白地帯となるなど、販売面で多くの課題を抱えた厳しい船出でした。
地図を思い浮かべると分かります。北海道、関東、東海、九州はあるが、大阪・京都・神戸がない。日本第二の商圏に自社工場がないというのは、輸送費でも鮮度でも不利になります。
『ニッポンビール』という選択と、その誤算
1949年5月に料飲店の再開が許可され、東京では6月から営業が始まり、街は次第に活気を取り戻していきます。同年12月には各社が戦時中の統一商標「麦酒」を廃止し、独自ブランドを復活させました。
ここで日本麦酒は大きな決断を迫られます。継承した「ヱビス」と「サッポロ」の両ブランドは、それぞれ関東と北海道という特定の地域で絶大な人気を誇っていましたが、全国ブランドとしては一長一短がありました。
アサヒビール、麒麟麦酒が戦前から国民に馴染みのある商標を復活させたのに対し、日本麦酒は企業名と商品名を一致させる新ブランド『ニッポンビール』を選びます。星のマークこそ「サッポロ」から引き継ぎましたが、消費者に馴染みのない「ニッポン」は市場になかなか浸透せず、販売シェアは年々低下の一途をたどりました。
広告宣伝に力を注いでも、勢いは戻りません。私はこの一件を、「合理的な判断が、必ずしも正しい判断とは限らない」という教訓として読んでいます。社名と商品名を揃えるのは、理屈としては正しい。しかしお客さまが覚えているのは理屈ではなく、慣れ親しんだ名前のほうでした。
1954年、やなせたかしの「ビールの王さま」
戦時中に禁止されていた商標の使用が1949年に認められたことで、ビール業界の宣伝活動も再開されます。
『ニッポンビール』の広告で特筆すべきは、1954年の「ビールの王さま」です。当時の新進漫画家・やなせたかしによるオリジナルキャラクターを使った一連の広告は、従来とは一線を画す施策であり、統一感のあるクリエイティブとして注目を集めました。
後に『アンパンマン』を生む作家が、戦後まもない時期にビールの広告キャラクターを描いていた。日本の広告史としても面白い一点です。
1956年、北海道でサッポロが甦りました
「札幌工場創業80周年」という名目
『ニッポンビール』の苦戦が続くなか、販売の最前線を中心に、社内では伝統あるサッポロブランドの復活を望む声が日増しに高まっていきます。
そして1956年3月、札幌工場創業80周年を記念する形で、13年ぶりに『サッポロビール』が発祥の地・北海道限定で復活発売されました。
「全国で戻す」ではなく「まず北海道だけで」。しかも「80周年記念」という名目つき。失敗しても傷が浅く、成功すれば全国展開の根拠になる。私はこれを、非常に上手なテストマーケティングだったと見ています。新メニューをまず1店舗・1期間限定で出す、というのと同じ考え方です。
道内のビール市場が、瞬く間にサッポロ一色になりました
復活を待ちわびた道産子たちの熱狂的な支持を受け、サッポロビールは驚異的な売れ行きを見せ、道内のビール市場は瞬く間にサッポロ一色になります。
東京の本社ではニッポン、サッポロ両ブランドの市場調査を実施しました。その結果、ニッポンは若者層に人気があるものの40代以上では低く、一方のサッポロは年代層を超えて高い知名度と好評を得ていることが判明します。
感情論ではなく、調査で裏を取ってから動いた。ここも見習うべきところです。
1957年 全国復活 —— 1年で出荷量の3分の2に
市場調査や品質の再設計などの準備を経て、1957年2月、『サッポロビール』が全国で復活発売されました。
『ニッポンビール』との併売という形でのスタートでしたが、消費者の人気は急速にサッポロビールへ移り、製造も全工場で行われるようになります。わずか1年後には、同社のビール出荷量の3分の2を占めるまでに至りました。
公式資料はこの決断を「当社の転機」と総括し、消費者志向の重要性と技術革新の必要性を示したと記しています。
1958年「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」—— 北緯45度
1957年の復活に伴い、広告も「本場の味」を強調するものへ変化しました。このコンセプトを形にしたのが、1958年の「ミュンヘン・サッポロ・ミルウォーキー」という広告です。
まだ自由な海外渡航が許可されていない時代に、世界のビール三大名産地を北緯45度で結びつけたキャッチフレーズは、斬新かつ説得力があり、大きな反響を呼びました。サッポロ(札幌)が世界のビール本場と肩を並べる存在であるという企業イメージを、強く印象づけたのです。
実際に飲んで比べられない時代に、「緯度が同じ」という一点で本場性を主張する。事実に基づいた、見事なコピーだと思います。
1964年 社名変更 ——「★のマークで88年」
商品名に、社名のほうを合わせました
1960年代の日本は、東京オリンピック開催、IMF8条国への移行、OECD加盟を果たし、「いざなぎ景気」で世界第2位のGNP大国へ成長していきます。
国内のビール需要は、1959年に全酒類出荷量の約40%を占め、清酒を抜いてトップ商品となりました。日本人の酒が、日本酒からビールに替わった年です。
そして1964年1月1日、日本麦酒株式会社は「サッポロビール株式会社」へ社名を変更し、本店所在地も東京都目黒区から中央区銀座へ移転しました。大日本麦酒の分割から15年、復活した『サッポロビール』を軸に、商品名と社名を一致させる決断です。
1949年には「社名に商品名を合わせて」失敗し、1964年には「商品名に社名を合わせて」成功した。順番が逆になっただけですが、結果はまるで違いました。主導権を持つのは、いつもお客さまが選んだ名前のほうです。
記念ネックラベルの「★のマークで88年」
1964年1月の社名変更に合わせ、出荷されるビールには「新社名 サッポロビール株式会社 ★のマークで88年」と記された記念ネックラベルが貼付されました。
1876年から数えて88年。開拓使の北極星から始まった星のマークを、社名変更のタイミングでもう一度前面に出したわけです。ちなみにこの数え方でいくと、2026年は「★のマークで150年」ということになります。
『サッポロジャイアンツ』1957ml —— 特大瓶のヒット
社名変更の前年、1963年に発売された特大サイズの『サッポロジャイアンツ』(1957ml)が大ヒットしていました。
特大サイズのインパクトと、ネーミングの分かりやすさで人気を博し、新社名のスタートを力強く支えます。1957mlという中途半端な容量にも意味があり、これは1957年の『サッポロビール』全国復活にちなんだ数字です【要確認:1957mlの由来が公式に「1957年の全国復活にちなむ」と説明されているか】。
いずれにせよ、約2リットルの特大瓶をテーブルにどんと置く。宴会需要の多かった時代に、これは強い商品でした。
容器の革新 —— ワンタッチクラウン、プルトップ、ツーピース缶
社名を一新したサッポロビールは、多様化する消費者ニーズに応えるべく、次々と新しい商品を市場に送り出します。特に容器の進化が目立ちます。
- 1965年『サッポロストライク』:日本で初めて栓抜き不要の「ワンタッチクラウン」を採用。手軽さが支持され、発売3か月で約180万函を売り上げるヒット商品になりました。
- 1965年 プルトップ缶:缶ビールも缶切り不要の「プルトップ缶」を採用します。それまでは、缶切りで2か所に切り込みを入れて飲む仕様でした。
- 1972年 ツーピース缶:缶底と胴部が一体化したアルミ製のツーピース缶を導入。スチール製に比べて見た目が美しく、軽量化も進みました。
ちなみに当社初の缶ビールは1959年の『缶入りサッポロビール』で、デザインはアメリカの著名な工業デザイナー、ウォルター・ランドーが手がけています。
缶ビールは発売以来10年以上も普及率が1〜2%と低迷していましたが、ライフスタイルの変化と自動販売機の普及も相まって、徐々に販売量を伸ばしていきました。いまや当たり前の缶ビールが、20年近く鳴かず飛ばずだったという事実は、新商品を育てる時間軸の話として頭に入れておく価値があります。
1967年『サッポロファイブスター』—— 10円高いビール
中味の開発では、1967年に『サッポロファイブスター』(小びん)を発売しました。麦汁エキス濃度を高めたコクのある味わいが特徴の、本格的ドイツ風のビールです。
通常ビールより10円高い価格設定は、当時の業界では画期的なことと受け止められました。「ビールはどれも同じ値段」という前提を崩した商品です。
いまでいうプレミアムビールの走りと見ることもできます。この考え方が、1971年のヱビス復活へとつながっていきました。なお『サッポロファイブスター』は現在、期間限定の復刻商品として登場することがあります。
1970年「男は黙ってサッポロビール」
1966年と1967年の2回にわたり、財団法人日本消費者協会が「ビールの味覚テスト」を実施しました。国産5銘柄を目かくしして試飲するというもので、いずれもサッポロビールがトップに選ばれます。これをきっかけに、全国各地で目かくしテストのイベントが開催されました。
さらに1970年、映画俳優・三船敏郎を起用した「男は黙ってサッポロビール」の広告展開が始まります。
この広告は、いま見ても異様です。ポスターのデザインは極端なまでに単純化され、ロゴもボディコピーもラベルすらありません。テレビCMの音声は音楽だけで、画面には文字だけが流れる「黙った」広告でした。
この沈黙の広告は大ヒットし、一世を風靡します。情報を足すのではなく、削りきることで印象を残す。飲食店のPOPや看板をつくるときにも、思い出す価値のある考え方です。伝えたいことを3つ書くより、1つだけ大きく書いたほうが伝わる場面は確実にあります。
ヱビスの消滅と復活 —— 28年の空白を、どう埋めたのか
なぜヱビスは消えたのか
1890年に生まれ、パリ万博で金牌を獲り、街の名前にまでなった『恵比寿ビール』は、1943年の商標停止で姿を消しました。戦争が理由です。
そして戦後、日本麦酒は『ニッポンビール』という新ブランドを選びました。ヱビスは復活しませんでした。1956年に復活したのはサッポロのほうです。ヱビスは、戦後日本のビール市場から28年間、完全に不在だったことになります。
ブランドというのは、こんなに簡単に消えます。そして一度消えたブランドを戻すのが、どれだけ大変かという話がここから始まります。
1971年12月、復活の条件は「麦芽100%」でした
1971年12月、サッポロビールは『ヱビスビール』を復活させます。28年ぶりでした。
ここで同社の技術陣が選んだ道が、この記事でもっとも重要な判断のひとつです。彼らは単に戦前のブランドを復活させるのではなく、高品質なドイツタイプのビールとして商品化することに取り組みました。
ドイツタイプとは何か。ドイツでは1516年の法律「ビール純粋令」により、大麦、ホップ、水以外の使用が認められていません。したがってドイツタイプのビールとは、米やコーンなど一切の副原料を使用しない麦芽100%ビールのことを指します。
しかし当時の技術陣には、麦芽100%ビールを醸造した経験がありませんでした。研究を重ね、ついに国産ビールで戦後初の麦芽100%を実現します。
つまりヱビスの復活は、「昔の名前をもう一度使う」ではなく「新しい技術的到達点に、昔の名前を冠する」という決断でした。これがあったからこそ、ヱビスはいまもプレミアムビールとして通用しているのだと私は思います。名前だけ戻していたら、とっくに消えていたでしょう。
「名品。いま、よみがえる。特製ヱビスビール。」
復活時のポスターの広告コピーは「名品。いま、よみがえる。特製ヱビスビール。」でした。その品質の高さから、大きな人気を博します。
「特製」の二文字に、通常品とは違うのだという主張が込められています。1967年の『サッポロファイブスター』で試した「10円高いビール」の路線が、ここで本格的な形を得ました。
目黒工場を「恵比寿工場」に改称した意味
『ヱビスビール』の発売に先立ち、目黒工場の名称も恵比寿工場に改称されました。それほどヱビスにかける意気込みは大きなものだった、と公式資料は記しています。
ブランドを復活させるにあたって、工場の名前まで変える。商品名・工場名・地名の三つが「恵比寿」で揃った瞬間です。ブランドに本気であることを、社内外に示す行為でもありました。
金ヱビス・銀ヱビス —— 王冠の裏のキャンペーン
販促施策として、びんビールの王冠裏に「金ヱビス」「銀ヱビス」の文字を印刷し、当選者に金または銀の恵比寿像をはめ込んだお守りをプレゼントする企画が展開されました。
公式資料はこれを、単なる景品提供ではなく、ヱビスブランドの世界観を体験として届ける試みであり、商品を通じて語られる物語性を強化する役割を果たしたと位置づけています。
「当たったら嬉しい」だけでなく、「当たったものがブランドの象徴になっている」。この設計の差は、いまの飲食店の販促でもそのまま使える発想です。ノベルティを配るなら、店の世界観を持ち帰ってもらえるものにする。
石油危機で沈み、それでも灯を消さなかった
『ヱビスビール』の販売数は、1973年の石油危機の影響もあって減少していきます。復活から2年足らずで逆風です。
それでも同社は、「静かにその灯を守り続け、次なる飛躍の時を待ち続けた」と記しています。ここが、私がこの会社を面白いと思う点です。売れないブランドは切る、というのが普通の経営判断でしょう。しかしヱビスは切られませんでした。
1994年「ヱビスビールあります。」で、一気に飛躍しました
転機は1994年です。「ヱビスビールあります。」というポスターを中心に展開した広告を機に、ヱビスブランドは大きく飛躍しました。
このコピーの何が優れているかというと、飲食店の店頭に貼られる言葉として設計されている点です。「おいしい」でも「本格」でもなく、「あります」。置いている店が誇らしげに掲げられ、探している人が見つけられる。ブランドと店を同時に立てる一文です。
同じ1994年10月8日、恵比寿工場の跡地に「恵比寿ガーデンプレイス」が開業しています。街とブランドが同時に動いた年でした。
2009年 YEBISU BAR、そして2024年 YEBISU BREWERY TOKYO
2009年、YEBISU BAR 1号店「銀座コリドー街店」がオープンします。“ALL FOR YEBISU〜ヱビスのすべてが、ここにある。〜”をコンセプトに、サッポロライオンとサッポロビールが構想を重ねて誕生した業態でした。
そして2024年4月3日、「YEBISU BREWERY TOKYO」が恵比寿ガーデンプレイス内にオープンします。1988年に恵比寿工場が千葉へ移転して以来、約35年ぶりに恵比寿の地でビール醸造が再開されました。
施設は3つの要素で構成されています。
- BEER is HISTORY(ミュージアム):ヱビスの歴史物語に加え、街とともにあったヱビスの姿を過去写真から探し出して公開。130年以上続くブランドのルーツを旅するように楽しめます。
- BEER is CREATIVITY(ブルワリー):ドイツ製の醸造設備でリアルタイムに醸造されるヱビスを、目の前で五感で楽しむ空間。釜の隣には、醸造を担当するChief Experience Brewerと来場者が交流できるブリュワーズルームがあります。
- BEER is YOUR STORY(タップルーム):通年提供の「ヱビス ∞」「ヱビス ∞ ブラック」のほか、期間限定・数量限定のヱビスを提供。
ヱビス∞(インフィニティ)—— 旧恵比寿工場の酵母を、再選抜して甦らせた
この施設のフラッグシップビールが「ヱビス∞(インフィニティ)」です。そしてこの商品には、とんでもない仕掛けがあります。
公式サイトによれば、ヱビス∞はかつて恵比寿工場で使用していた酵母を再選抜して復活させ、醸造した特別なビールです。
建物は建て替わり、街は変わり、35年の空白がある。それでも酵母が残っていた。そしてそれをもう一度選び直して、同じ土地で使った。ビールという商品において、これ以上に「その土地でつくる意味」を体現した話を、私は他に知りません。
なお2026年4月からは「ヱビス∞」の瓶が通年発売されており、同じ月から「ヱビス音声ガイド-山田裕貴が語る、ヱビスの物語-」も導入されています。
派生銘柄の多さは、何を意味するのか
サッポロビールの「製造終了商品」一覧を眺めると、ヱビスの派生銘柄の多さに驚かされます。琥珀ヱビス、ヱビス マイスター、ヱビス 華みやび、ヱビス プレミアムホワイト、ヱビス プレミアムセゾン、ヱビス プレミアムメルツェン、ヱビス雫、ヱビス 吟醸、ヱビス サマーエール、ヱビス オランジェ、ヱビス シトラスブラン、ヱビス ジューシーエール、復刻特製ヱビス、ヱビス with ジョエル・ロブション フレンチピルス……。
近年は「ヱビス クリエイティブブリュー」というシリーズで、燻、焦香、ほうじ茶の余韻、薫満つ、マリアージュブラン、和奏、JAZZY、WHITE SUN、藍想う、といった実験的な商品を次々に出しています。2026年10月14日には「ヱビス クリエイティブブリュー 麦紡ぐ」が期間限定で発売予定です。
これらの多くはすでに製造を終えています。しかし私は、この長い終売リストを「失敗の一覧」ではなく「挑戦の一覧」だと読みます。プレミアムブランドを30年、50年と持たせるには、定番を守るだけでは足りない。定番の周りで実験を繰り返し、そこで得たものを本体に還元していく。ヱビスの息の長さは、この回転数に支えられています。
飲食店でいえば、看板メニューを守りながら、月替わりの一皿で腕を試し続けるのに似ています。月替わりの多くは定番になりません。それでいいのです。
黒ラベルは、お客さまが名前をつけたビールです
1957年『サッポロ壜生ビール』という前史
黒ラベルの話は、1977年から始めると半分しか見えません。20年前の1957年から始めるべきです。
いまでは日本のビールのほとんどが生ビールですが、1970年代までは、びんや缶のビールは熱処理ビールが主役でした。サッポロビールは「ビール本来の美味しさは生にある」という考えから、1957年以降、びん詰めした生ビールの商品開発に取り組んできました。
1957年7月、『サッポロ壜生ビール』を東京、横浜、名古屋、福岡など都市部を中心に限定発売します。びんにラベルの図柄を直接プリントした素朴なデザインでした。
翌年、北海道で発売された際には大好評を博します。北海道を旅行してこのビールを味わった人たちから、「サッポロのあの生ビールが飲みたい、どうすれば手に入るか」という問い合わせが札幌支店や工場に多数寄せられました。
この20年分の「飲みたい」という声が、1977年の商品につながっていきます。
熱処理が主役だった時代に、何が難しかったのか
生ビールをびんに詰めるうえで成功の鍵を握っていたのは、役割の終わったビール中の酵母を完全に取り除くろ過技術でした。
ビールは酵母が糖を分解してアルコールと炭酸ガスをつくります。発酵と熟成が終われば、酵母の仕事は終わり。ところが酵母が残ったままだと、びんの中で発酵が進んだり、味が変わったりしてしまいます。だから当時は熱を加えて酵母の働きを止める(熱処理する)のが常識でした。
熱を加えれば安定します。しかし味は変わります。「熱を加えずに、酵母だけを取り除く」——これができれば、樽生の味をそのままびんに封じ込められる。
セラミックフィルターという解答
サッポロビールの技術陣は、独自に開発したセラミックフィルターを使用したセラミックろ過システムによって、生ビールの美味しさをそのままびん詰めすることに成功しました。
技術の話に聞こえますが、これは商品の定義を書き換えた出来事です。「店で飲む樽生」と「家で飲むびんビール」が別物だった時代が終わり、家でも生が飲めるようになった。日本のビール市場の構造そのものが、ここから変わり始めます。
1977年『サッポロびん生』—— 黒ラベルの誕生
こうして誕生したのが、1977年に全国発売された『サッポロびん生』です。『サッポロ生ビール黒ラベル』の歴史はここから始まります。
当時、黒いラベルが印象的だったことから「黒ラベル」の愛称で広まりました。会社がつけた名前ではありません。お客さまが呼び始めた通称です。
1988年のドライ戦争と、1989年2月『サッポロドラフト』
1977年に「びん生」を発売して生ビール市場を開拓してきたサッポロビールですが、1988年にビール業界で「ドライ戦争」が起きると市場は一変します。各社からドライタイプの生ビールが発売されて注目を集めるなか、「びん生」(缶は「缶生」)の存在感は薄れていきました。
そこで同社は1989年2月、名称やラベルだけでなく中味も一新した『サッポロドラフト』を発売します。広告にはミュージシャンの坂本龍一を起用し、若者層への浸透を図りました。
市場が動いたのだから、商品も動かす。判断としては、まっとうです。
半年で撤回 —— 愛称が、正式名称になった日
ところが、このリニューアルに想定外の反応がありました。「びん生アンコール発売」の要望が多数寄せられるようになったのです。特に40〜50代のお客さまから、「びん生」復活を望む声が高まりました。
同社はその声に応え、わずか半年後の1989年9月に復活させることを決断します。
そして、ここが白眉です。復活にあたって、名称は「びん生」ではなく、お客さまから長年愛称として呼ばれていた「黒ラベル」を正式名称に採用し、『サッポロ〈生〉黒ラベル』としたのです。
再登場した黒ラベルは好意的に迎えられ、急速に基幹商品の座を取り戻していきます。販売量は着実に増加し、ビール事業に再び活力をもたらしました。
私はこの一連を、日本のマーケティング史でもっとも学ぶところの多いエピソードのひとつだと思っています。整理するとこうです。
- 会社が新しい名前をつけた(びん生)
- お客さまが勝手に別の名前で呼び始めた(黒ラベル)
- 会社が別の名前に変えた(サッポロドラフト)
- お客さまが元に戻せと言った
- 会社が戻した。ただし、会社の名前ではなく、お客さまの呼び名のほうに
ブランド名の所有者は誰か、という問いへの答えがここにあります。お店の看板メニューの名前も、常連さんが呼んでいる呼び名のほうが正解であることが、しばしばあります。「あれ」「いつもの」で通じているメニューがあるなら、いっそメニュー表記をそちらに寄せてみる価値はあります。
缶の販売数量は、10年で約2.0倍になりました
現在の黒ラベルの強さは、数字にはっきり出ています。サッポロビールが2026年に公表した「中期経営計画2027-2030」によれば、黒ラベル〈缶〉の売上数量は2015年を100とすると2025年で203%。同じ期間のビールカテゴリ〈缶〉の総需要は111%(同社推計)です。
市場全体が1.1倍にしか伸びていない10年間で、この銘柄だけが2.0倍になった。市場の追い風ではなく、明確にシェアを取ったということです。
同社全体で見ても、ビール売上数量は2022年の2,677万函から2025年の3,220万函へ約20%増加。ビール類に占めるビールの割合(数量ベース)は、同社が2022年67%→2025年81%、市場全体が49%→58%と推移しています。
ザ・パーフェクト黒ラベルと、「一口目」への執着
2014年、サッポロビールは「ザ・パーフェクト黒ラベル」の展開と体験イベントをスタートしました。提供品質を追求した“生のうまさ”を、より多くの人に楽しんでもらうための取り組みです。
2026年は4月から8月にかけて、全国13か所で「THE PERFECT 黒ラベル WAGON -LIVE DRAFT-」を開催しています。暗転した静かな空間で、注ぎ手の技術や所作を間近に感じながら提供される瞬間を楽しむ、という体験設計です。
特徴的なのは、1杯目の一口目を、提供直後にその場で飲んでもらうという進め方。黒ラベルがこだわる“一口目のうまさ”を存分に感じてもらうためです。
飲食店の立場から見ると、これは強烈な示唆を含んでいます。ビールの評価は、提供から最初の一口までの数秒で決まる。注いでから運ぶまでの時間、グラスの温度、泡の状態。同じ樽の同じビールでも、店によって味が違うというのは、ここに理由があります。
THE BAR —— 2019年 銀座、2026年 大阪梅田
2019年、銀座に体験拠点「サッポロ生ビール黒ラベル THE BAR」がオープンしました(GINZA PLACE 地下1階、銀座駅直結)。2025年7月にリニューアルオープンしています。
コンセプトは「最もビールがおいしい瞬間はその日の1杯目。」。注ぎ方が異なる3つの黒ラベル、「ザ・パーフェクト黒ラベル」「ファースト」「ハイブリッド」から、1日2杯までという制限つきで楽しめます。
この「1日2杯まで」という設計が、私はとても好きです。たくさん飲ませるための店ではなく、いちばんおいしい状態だけを届けるための店だと、ルールそのものが語っています。
2025年には年間来店者数が初めて10万人を超え、オープン以来の累計来店者数は50万人を突破しました。そして2026年7月には、大阪梅田に2号店「サッポロ生ビール黒ラベル THE BAR OSAKA」がオープンしています。
赤星 —— サッポロラガービールが、いまも飲食店で生き続けている理由
いちばん古いのに、いちばん見かけないビール
ここからは、飲食店を営む方に特に読んでいただきたい章です。
サッポロラガービール、通称「赤星」。スーパーやコンビニの棚にはまず並びません。テレビCMもほとんど見かけません。それなのに、老舗の居酒屋や町中華、大衆酒場に行くと、当たり前のように置いてある。むしろ「赤星があるかどうか」が店を選ぶ基準になっている飲み手すらいます。
この不思議な立ち位置には、ちゃんと理由があります。
ラベルの赤い星は、開拓使の北極星です
「赤星」という愛称は、ラベルに描かれた赤い星から来ています。そしてこの星は、この記事の冒頭で触れた開拓使のシンボル=北極星そのものです。
北海道に渡った開拓者たちが、夜空に輝く北極星を自分たちのシンボルとした。それが開拓使の紋章になり、1877年の冷製「札幌ビール」のラベルに載り、150年後のいまも中びんのラベルで赤く光っている。
黒ラベルの星は黒(銀)、ヱビスの星は金、赤星の星は赤。色は違っても、全部同じ星です。これはお客さまに話すと、ほぼ確実に「へえ」と言っていただける話です。
「日本で最も歴史のあるビールブランド」という位置づけ
サッポロビールは、このブランドを1877年(明治10年)に開拓使麦酒醸造所から発売された、現存する日本で最も歴史のあるビールブランドとして位置づけています。つまり冷製「札幌ビール」の直系ということです。
ただし、いまの「サッポロラガービール」という商品名がいつから使われているかについては、私が調べた範囲では公式に明示された年を確認できませんでした。1977年の『サッポロびん生』登場以降、従来の熱処理タイプが「ラガー」の名で残った、という流れは各所で語られていますが、確証が取れていません。【要確認:現行「サッポロラガービール」の商品名が使われ始めた年】
熱処理ビールとは何か —— ここが赤星の核心です
赤星の最大の特徴は、いまも熱処理をしているビールだという点です。
先ほど黒ラベルの章で説明したとおり、日本のビールは1970年代後半以降、急速に「生」へ移行しました。ろ過技術で酵母を除くことで、熱を加えずに品質を安定させられるようになったからです。いま日本で売られているビールのほとんどは生ビール(非熱処理)です。
その流れのなかで、赤星は熱処理を続けています。熱を加えることで、生ビールでは感じられない、ほどよい苦味の効いたしっかりとした厚みのある味わいが生まれるからです。
つまり赤星は、「昔のまま取り残された」のではなく、「熱処理でしか出せない味を残すために、あえて熱処理を続けている」商品です。ここを取り違えると、お客さまへの説明を誤ります。
なぜ業務用の中びん・大びん中心なのか
赤星は業務用市場を中心に、大びん・中びんで販売されています。缶は通常ありません(後述の限定品を除く)。
これは飲食店にとって、いくつもの意味を持ちます。
- 家では飲めない:家庭用の流通に基本的に乗らないため、「この店に来ないと飲めない」という理由になります。
- びんで出す前提の設計:栓を抜いてグラスと一緒に出すという、昔ながらの提供スタイルがそのまま成立します。
- 注ぎ合いが生まれる:中びん・大びんは、その場にいる人同士で注ぎ合う飲み方を自然に誘発します。生ジョッキにはない時間の流れができます。
- 回転が読みやすい:樽と違い、開栓しなければ品質が動きません。出数の少ない銘柄でも置きやすい。
私は、この「置きやすさ」を軽く見ないほうがいいと思っています。生樽をもう1種類増やすのはサーバーの口数と洗浄の手間が増えますが、びん1種類を増やすのは冷蔵庫のスペースだけの問題です。差別化のコストが、極めて低い。
飲食店にとって、赤星の価値はどこにあるか
ここは私の見立てを書きます。赤星を置く価値は、次の4点に整理できます。
- 選ばれる理由になる:「赤星のある店」で検索し、来店する層が実在します。食べログにもサッポロラガービールが飲めるお店を集めた特集ページが用意されているほどです。数は多くなくても、その層は明確に指名で来ます。
- 一杯目以外の受け皿になる:生ビールで始めたお客さまが、2杯目に「ちょっと違うものを」と考えたとき、サワーや焼酎ではなくもう一度ビールに戻ってもらえる選択肢になります。ビールの客単価を落とさずに、飲む種類を変えられる。
- 説明が短くて済む:「明治10年から続く、いまも熱処理でつくっている、赤い星の伝統ビールです」。これで十分伝わります。スタッフの教育コストが低い。
- 料理を選ばない:しっかりした苦味と厚みは、餃子でも串焼きでも揚げ物でも中華でも受け止めます。和洋中を問わず組める、というのは業態を選ばないということです。
2025年と2026年、缶が数量限定で発売されました
その赤星が、近年缶で登場しています。
サッポロビールは、業務用市場を中心に販売している「サッポロラガービール」の缶商品を、2025年5月20日(火)に数量限定で発売しました。ニュースリリースには「前年比2割増の好調ブランド」という表現があります。さらに2026年5月19日(火)にも、缶商品が全国で数量限定発売されています。
【要確認:2025年と2026年の缶発売について、それぞれの正確な出荷本数・販売期間】
「前年比2割増」という数字は、飲食店の実感とも合うのではないでしょうか。クラフトビールの普及によって「銘柄で選ぶ」という習慣が広がり、その恩恵を、もっとも古い銘柄が受けている。面白い巡り合わせです。
「赤星商店」という直販の場
サッポロビールは「赤星商店」という赤星専用のオンラインストアも運営しています。業務用中心という流通の性格を保ちながら、ブランドに触れる入口は別に用意する、という設計です。
店で赤星を扱うときの、現実的な注意点
いいことばかり書いてきたので、公平に注意点も挙げておきます。
- 取扱酒販店の確認が要る:業務用中心の流通のため、取引のある酒販店で扱えるかを最初に確認してください。
- びん回収の運用:リターナブルびんはP箱ごとの回収運用になります。置き場所と回収頻度を決めておかないと、裏口が空き箱で埋まります。
- 出数が読めるまでは少量で:黙って置いても出ません。メニューに一行書き、スタッフが一度でも口頭で薦められる状態にしてから、数を増やすのが確実です。
- 「生」と混同させない:熱処理ビールですので、「生ビール」としては提供できません。メニュー表記は正確に。
最後の点は特に大事です。次章で説明しますが、日本には「生ビール」の表示に関するルールがあります。表記を誤ると、お客さまへの説明が事実と食い違ってしまいます。
主要銘柄の発売年表 —— この記事の背骨
お待たせしました。ここからが年表です。時代ごとに5つの表に分け、最後に「いま買える・注文できるもの」の一覧を置きました。
年が確認できたものは年を入れ、確認できなかったものは「—」とし、必要に応じて【要確認】を添えています。推測で年を埋めることはしていません。
表1|開拓使時代〜大日本麦酒(1876年〜1943年)
| 発売年 | 銘柄名 | 種別 | どんなビールか | 現況 |
|---|---|---|---|---|
| 1877 | 冷製『札幌ビール』 | ラガー | 北海道初のビール。「冷製」は低温で発酵・熟成させたラガーであることを示す。大瓶16銭。ラベルに開拓使の北極星 | 現行「サッポロラガービール(赤星)」の源流 |
| 1890 | 『恵比寿ビール』 | ラガー(ドイツタイプ) | 2月25日発売。日本麦酒醸造会社の主力。第3回内国勧業博覧会で83点中「最良好」の評価 | 1943年に商標停止。1971年に『ヱビスビール』として復活 |
| 1906 | 『ピースビール』 | ビール | 日露戦争後の平和回復と3社合同を記念して発売 | 終売【要確認:終売年】 |
| 1909 | 『シトロン』 | 清涼飲料(ビール以外) | 大日本麦酒の清涼飲料事業第一号。欧米視察で得た着想から | ポッカサッポロへ続く飲料事業の原点 |
| 1917 | 『青島ビール』 | ラガー | 中国・青島工場で製造。日本のビール業界初の海外生産拠点による商品 | 現在は中国の企業が展開 |
| 1943 | (統一商標「麦酒」) | — | 戦時下の物資輸送合理化などを目的に、各社のビールブランド商標が停止 | 1949年12月に各社が独自ブランドを復活 |
表2|戦後〜社名変更期(1949年〜1976年)
| 発売年 | 銘柄名 | 種別 | どんなビールか | 現況 |
|---|---|---|---|---|
| 1949 | 『ニッポンビール』 | ラガー | 大日本麦酒分割後、新生・日本麦酒が選んだ新ブランド。星のマークはサッポロから継承したが、市場に浸透せず苦戦 | 終売【要確認:終売年】 |
| 1956 | 『サッポロビール』(北海道限定復活) | ラガー | 3月、札幌工場創業80周年を機に13年ぶり復活。道内市場が一気にサッポロ一色に | 翌年の全国復活へ |
| 1957 | 『サッポロビール』(全国復活) | ラガー | 2月、全国発売。1年で同社出荷量の3分の2を占める主力に | 後の社名変更(1964年)につながる |
| 1957 | 『サッポロ壜生ビール』 | 生ビール(非熱処理) | 7月、東京・横浜・名古屋・福岡など都市部で限定発売。びんに図柄を直接プリント。翌年の北海道発売で大好評 | 1977年『サッポロびん生』の前史 |
| 1959 | 『缶入りサッポロビール』 | ラガー(缶) | 同社初の缶ビール。デザインは工業デザイナーのウォルター・ランドー。缶切りで2か所に切込みを入れる仕様 | 1965年にプルトップ化 |
| 1963 | 『サッポロジャイアンツ』 | ラガー(特大瓶) | 1957mlの特大サイズ。インパクトと分かりやすいネーミングでヒット | 終売【要確認:終売年】 |
| 1965 | 『サッポロストライク』 | ラガー | 日本初の栓抜き不要「ワンタッチクラウン」採用。発売3か月で約180万函 | 終売【要確認:終売年】 |
| 1967 | 『サッポロファイブスター』 | ラガー(ドイツ風・高濃度) | 小びん。麦汁エキス濃度を高めたコクのある味わい。通常より10円高い価格設定が業界で画期的と受け止められた | 定番としては終売。期間限定で復刻発売あり |
| 1971 | 『ヱビスビール』(復活) | ラガー(麦芽100%) | 12月、28年ぶり復活。国産ビールで戦後初の麦芽100%を実現。コピーは「名品。いま、よみがえる。特製ヱビスビール。」 | 現行の主力プレミアムブランド |
表3|生ビールの時代(1977年〜1999年)
| 発売年 | 銘柄名 | 種別 | どんなビールか | 現況 |
|---|---|---|---|---|
| 1977 | 『サッポロびん生』 | 生ビール(非熱処理) | 独自開発のセラミックフィルターによるろ過で実現。黒いラベルから「黒ラベル」の愛称が自然発生 | 1989年に『サッポロ〈生〉黒ラベル』へ |
| 1977 | サッポロワイン『ポレール』 | ワイン | 5月発売。ビール醸造で培った温度管理技術を応用した「クールドワイナリーシステム」で醸造。商標名はフランス語で北極星の意 | ブランド継続。2003年に上級シリーズ「グランポレール」 |
| 1984 | 『サッポロカップ生』 | 生ビール(650ml缶) | 米国市場向け。ヒットにより翌1985年、対米輸出で日本製ビールシェア1位を獲得 | 終売【要確認:終売年】 |
| 1985 | 『サッポロ クラシック』 | 生ビール(麦芽100%) | 6月、北海道地域限定。やや苦味の効いた味わい。地域限定商品という新カテゴリーを確立 | 現行。北海道限定で継続中 |
| 1988 | 『サッポロ冬物語』 | 季節限定ビール | 10月、日本初の冬季限定ビール。アルコール分を約5.5%とやや高めに設定。名はシェイクスピアの戯曲『The Winter’s Tale』から | 製造終了【要確認:終売年】 |
| 1989 | 『サッポロドラフト』 | 生ビール | 2月、「びん生」「缶生」を名称・ラベル・中味とも一新して発売。広告に坂本龍一を起用 | 半年で「びん生」復活要望を受け、9月に黒ラベルへ |
| 1989 | 『サッポロ〈生〉黒ラベル』 | 生ビール | 9月、アンコール発売。お客さまの愛称「黒ラベル」を正式名称に採用 | 現行。同社の基幹ブランド |
表4|発泡酒・新ジャンルの時代(2000年〜2015年)
| 発売年 | 銘柄名 | 種別 | どんなビールか | 現況 |
|---|---|---|---|---|
| 2003 | 『グランポレール』 | ワイン | ポレールの上級シリーズ。自社ぶどう園産ぶどう100%使用を掲げる | 現行 |
| 2004 | 『サッポロ ドラフトワン』 | 新ジャンル(第三のビール) | 全国発売。麦芽を使わない製法で「新ジャンル」という新しいカテゴリー・市場そのものを開拓した商品 | 現行 |
| 2007 | 『麦とホップ』 | 新ジャンル | ビールに近い味わいを目指した新ジャンル。以後、赤・黒・季節限定など多数の派生を展開【要確認:発売年】 | 現行(派生の多くは製造終了) |
| 2012 | 『こくいも』 | 焼酎 | 甕貯蔵酒を一部使用した黒麹仕込本格芋焼酎と、クリアな味わいの甲類焼酎をブレンド | 【要確認:現況】 |
| 2013 | 『極ZERO』 | 新ジャンル→発泡酒 | 6月に新ジャンルとして発売。翌2014年に発泡酒として再発売された経緯を持つ(詳細は酒税の章で) | 現行(発泡酒) |
| — | 『サッポロ ホワイトベルグ』 | 新ジャンル | ベルギービールの製法に着想を得た、コリアンダーシードなどを用いる白ビール風の新ジャンル【要確認:発売年】 | 現行 |
| — | 『サッポロ 北海道生搾り』 | 発泡酒 | 発泡酒カテゴリーの定番商品【要確認:発売年】 | 現行 |
| — | 『静岡麦酒』 | ビール(地域限定) | 工場所在地との縁を生かし、静岡県出身者を中心に開発。“静岡県のおいしいと調和すること”を目指した静岡限定ビール【要確認:発売年】 | 現行 |
| — | 『新潟限定ビイル 風味爽快ニシテ』 | ビール(地域限定) | 中川清兵衛・大倉喜八郎ゆかりの新潟県への感謝を込めた限定ブランド。商品名は1877年の冷製「札幌ビール」の広告文の冒頭「風味爽快ニシテ」に由来【要確認:発売年】 | 現行 |
表5|プレミアム化とクラフトの時代(2016年〜2026年)
| 発売年 | 銘柄名 | 種別 | どんなビールか | 現況 |
|---|---|---|---|---|
| 2019 | 『サッポロ SORACHI 1984』 | ビール(クラフト志向) | 4月から通年発売。同社が初めて品種登録したホップ「ソラチエース」を100%使用。ヒノキやレモングラスを思わせる香り。アルコール分5.5% | 現行。国産ソラチエースの使用比率を毎年拡大中 |
| 2020 | 『サッポロ GOLD STAR』 | 新ジャンル | 「うまい、どこまでも。」を掲げる新ジャンルの主力【要確認:発売年】 | 現行 |
| 2023 | 『サッポロ生ビール ナナマル』 | 生ビール(糖質・プリン体オフ) | 10月17日全国発売。日本初をうたう「糖質70%オフ・プリン体70%オフ」の生ビール。アルコール分5%。2026年に中味・パッケージをリニューアル | 現行 |
| 2024 | 『ヱビス ∞(インフィニティ)』 | ビール(醸造所限定→瓶通年) | YEBISU BREWERY TOKYO のフラッグシップ。かつて恵比寿工場で使用していた酵母を再選抜して復活させ醸造。2026年4月から瓶が通年発売に | 現行 |
| 2025 | 『サッポロラガービール』缶 | ラガー(熱処理・缶) | 5月20日、業務用中心の赤星を数量限定で缶化。「前年比2割増の好調ブランド」として展開 | 数量限定。2026年5月19日にも缶を数量限定発売 |
| 2026 | 『SAPPORO PREMIUM BEER』 | ビール | 12月1日限定発売予定【要確認:商品内容の詳細】 | 発売予定 |
| 2026 | 『ヱビス クリエイティブブリュー 麦紡ぐ』 | ビール(期間限定) | 10月14日期間限定発売予定 | 発売予定 |
| 2026 | 『サッポロ クラシック 富良野VINTAGE』 | ビール(北海道限定・季節限定) | 10月14日数量限定発売予定。自社育成ホップ「フラノスペシャル」が特徴的な香りをつくる | 毎年発売(年ごとに製造終了) |
表6|消えていった銘柄・限定銘柄の例(サッポロビール「製造終了商品」より)
ここが年表のもうひとつの見どころです。定番だけを並べた年表は、その会社の「成功」しか映しません。以下はサッポロビールが公式サイトで公開している「製造終了商品」一覧から、系統ごとに拾ったものです。発売年が公表されていないものが多いため、あえて年は入れず、どんな挑戦があったかを残します。
| 系統 | 銘柄名の例 | 種別 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 季節・限定 | サッポロ 冬物語/サッポロ サクラビール/エーデルピルス/サッポロ 日本のホップ畑から 摘みたてホップ | ビール | 季節や収穫にひもづいた限定商品群 |
| 黒ラベル派生 | 黒ラベル<黒>/エクストラモルト/エクストラドラフト/エクストラブリュー/EXTRA MOVE/EXTRA THINK/EXTRA FEEL | ビール | 基幹ブランドの周辺で味と提供シーンを試した一群 |
| ヱビス派生 | 琥珀ヱビス/ヱビス マイスター/ヱビス 華みやび/ヱビス 吟醸/ヱビス サマーエール/ヱビス オランジェ/ヱビス シトラスブラン/復刻特製ヱビス/ヱビス with ジョエル・ロブション フレンチピルス | ビール | プレミアム帯での実験。ロブションとの協業まで幅広い |
| ヱビス クリエイティブブリュー | 燻/焦香/ほうじ茶の余韻/薫満つ/マリアージュブラン/和奏/JAZZY/WHITE SUN/藍想う | ビール | 副原料の解禁後に広がった、香味の実験シリーズ |
| 麦とホップ派生 | <赤>/<黒>/華やぎの香り/薫る焙煎/夏の香り/ダブルビター/北海道/THE HOP/シングルモルト/冬小麦/夏づくり/爽の香/本熟/東北の香り | 新ジャンル | 新ジャンルでも季節・地域の細分化を徹底した |
| クラフト実験 | Innovative Brewer SKY PILS/BEERCELLO/GOURMET BEER/空模様 月夜のデュンケル/陽ざしのピルスナー/流れる雲のヴァイツェン | ビール(クラフト) | デュンケル、ヴァイツェンなど多様なスタイルに挑戦 |
| HOPPIN’ GARAGE | ホッピンおじさんのビール/クリチーとルービー/リスボンの坂道/IGUSA/Dandelion/和musubi/おつかれ山ビール/大人のチョコミント ほか多数 | ビール(共創クラフト) | 個人の物語からビールをつくる共創プロジェクト |
| 国産ホップ | NIPPON HOP 始まりのホップ 信州早生/偶然のホップ ゴールデンスター/希望のホップ リトルスター/奇跡のホップ フラノマジカル | ビール | 自社育成ホップを1品種ずつ主役にしたシリーズ |
| 流通限定 | セブンプレミアム 〇〇さんのホップ畑から/ビアサプライズ(ファミリーマート限定)/サッポロ 開拓使麦酒仕立て/銀座ライオン ライオンエール | ビール | 生産者名を冠したものなど、流通と組んだ企画 |
| 低アルコール・機能 | サッポロ 酔わないCRAFT/SAPPORO+(サッポロ プラス)/サッポロ 北海道 OFF STYLE/サッポロ LEVEL9贅沢ストロング | ノンアル・発泡酒ほか | アルコール度数や成分の設計で市場を探った一群 |
年表の読み方 —— 3つの波が見えます
この年表を通しで眺めると、日本のビール市場に3つの大きな波があったことが分かります。
- 第1の波:容器と鮮度(1959年〜1980年代)。缶が普及し、栓抜きが不要になり、そして「生」がびんと缶に入った。どこで飲むかの制約が外れた時代です。
- 第2の波:価格と税(1990年代〜2010年代)。発泡酒が生まれ、新ジャンルが生まれた。味の開発というより、税区分をめぐる開発が続いた時代です。年表で「新ジャンル」の派生商品がやたらと多いのは、この時期の熾烈さの反映です。
- 第3の波:意味と体験(2018年〜現在)。2018年の酒税法改正でビールの定義が広がり、副原料が解禁された。クラフト志向の商品、生産者名を冠した商品、醸造所併設の体験施設が一気に増えました。安さではなく理由で選ばれる時代です。
そして2026年10月、第2の波を生んだ税率差そのものが消えます。ここは飲食店の原価に直結する話なので、後の章で詳しく扱います。
ビールの種類がわかる章 —— 年表を読むための道具
ここまで「ラガー」「エール」「生」「熱処理」「発泡酒」「新ジャンル」という言葉を、説明せずに使ってきました。ここでまとめて片づけます。この章だけでも、スタッフ研修の資料として使える内容にしたつもりです。
そもそもビールは何でできているか
基本の原料は4つです。麦芽(大麦を発芽させて乾燥したもの)、ホップ、水、酵母。
大麦を発芽させると、デンプンを糖に変える酵素ができます。これを砕いてお湯に浸すと、甘い麦汁ができる。そこにホップを加えて煮沸し、冷やして酵母を入れる。酵母が糖を食べてアルコールと炭酸ガスに変える。これが発酵です。発酵が終わったら低温で寝かせて(熟成)、ろ過して、詰める。
非常に単純です。だからこそ、原料の質と、温度と時間の管理がそのまま味になります。サッポロビールが150年にわたって大麦とホップの育種に金と時間をかけてきた理由も、ここにあります。
ラガーとエール —— 違いは酵母と温度です
ビールの分類でいちばん大きな枠が、この2つです。分けているのは使う酵母と、発酵させる温度です。
| 項目 | ラガー | エール |
|---|---|---|
| 発酵の呼び方 | 下面発酵 | 上面発酵 |
| 酵母の動き | 発酵の終わりにタンクの下に沈む | 発酵中に液面へ浮き上がる |
| 発酵温度の目安 | 低温(おおむね10℃前後) | 常温に近い温度(おおむね20℃前後) |
| 発酵・熟成にかかる時間 | 長い | 短い |
| 味わいの傾向 | すっきり、クリア、キレがある | 果実や花のような香りが出やすく、味に厚みが出やすい |
| 代表的なスタイル | ピルスナー、ヘレス、デュンケル、シュヴァルツ、メルツェン | ペールエール、IPA、ヴァイツェン、スタウト、セゾン |
日本で「ビール」と言われて多くの人が思い浮かべる、透き通った黄金色でキレのある一杯は、ラガーの中のピルスナーというスタイルです。1877年の冷製「札幌ビール」が「冷製=低温で発酵・熟成させた」と名乗ったのは、まさにラガーであることの宣言でした。
なお「ラガー」という言葉には、表示上の決まりもあります。「ビールの表示に関する公正競争規約」第4条は、「貯蔵工程で熟成させたビールでなければラガービールと表示してはならない」と定めています。
ピルスナーが世界を席巻した理由
ピルスナーは、19世紀にボヘミア(現在のチェコ)のピルゼンで生まれたスタイルです。淡い色、透明感、シャープな苦味。この「見た目の美しさ」が、ガラス器の普及と重なって世界中に広がりました。
ここで思い出していただきたいのが、1899年の恵比寿ビヤホールです。ガラス製のジョッキで提供したという記述がありました。陶器やスズの器では、色は見えません。ガラスだからこそ、ピルスナーの黄金色と白い泡が商品になる。器の選択は、ビールにとって味の一部です。
ちなみにサッポロビールの国産ホップ「信州早生」は、ドイツ産のザーツ種とアメリカ産のホワイトバイン種の交配で生まれました。ザーツはまさにピルスナーの香りをつくる、チェコの名門品種です。日本のビールの香りの根っこに、ボヘミアの血が入っているわけです。
黒ビールとスタウト —— 表示のルールがあります
色の濃いビールも、同じ規約で定義されています。
- 黒ビール/ブラックビール:「濃色の麦芽を原料の一部に用いた色の濃いビールでなければ、黒ビール又はブラックビールと表示してはならない」
- スタウト:「濃色の麦芽を原料の一部に用い、色が濃く、香味の特に強いビールでなければ、スタウトと表示してはならない」
黒くする方法は、麦芽をどこまで焙煎するかです。浅く煎ればカラメルのような甘い香り、深く煎ればコーヒーやチョコレートのような香ばしさが出ます。ラガーの黒ビールがデュンケルやシュヴァルツ、エールの黒ビールがスタウトやポーターだと整理すると分かりやすいでしょう。
サッポロビールも「黒ラベル<黒>」「ヱビス ∞ ブラック」「空模様 月夜のデュンケル」「サッポロ MILD BLACK」など、黒いビールを何度も出しています。
知っておくと得をする、その他のスタイル
- ヴァイツェン(ヴァイスビア):小麦麦芽を多く使うドイツのエール。バナナやクローブのような香りが出るのが特徴です。
- ペールエール:イギリス発祥。ホップの香りとモルトの甘みのバランス型。
- IPA(インディア・ペールエール):ホップを大量に使い、強い苦味と香りを持つエール。近年のクラフトビール人気の中心。
- セゾン:ベルギー発祥。スパイシーでドライな味わい。サッポロビールも「ヱビス プレミアムセゾン」を出したことがあります。
- ホワイトエール(ベルジャンホワイト):小麦とコリアンダー、オレンジピールなどを使う白いエール。
- メルツェン:ドイツの3月醸造ビール。オクトーバーフェストで飲まれるタイプ。「ヱビス プレミアムメルツェン」がありました。
スタイル名をメニューに書くだけで、お客さまの選択肢は一気に増えます。ただし、書くなら味の説明を一行添えてください。「IPA」とだけ書かれても、多くのお客さまには何も伝わりません。
生ビールと熱処理ビール —— 日本ではこう決まっています
ここが、飲食店にとって最重要の知識です。
「生ビール」というのは、樽から出したビールのことではありません。「ビールの表示に関する公正競争規約」第4条は、こう定めています。
熱による処理(パストリゼーション)をしないビールでなければ、生ビール又はドラフトビールと表示してはならない。
つまり「生」=「熱処理をしていない」という、ただ一点の意味です。樽か、びんか、缶かは関係ありません。缶に入っていても熱処理していなければ生ビール。樽に入っていても熱処理していれば生ビールではありません。
さらに同条第3項には、こうあります。
第1項第2号の文言を容器又は包装に表示する場合は、「熱処理していない」旨を併記して表示しなければならない。
なお施行規則第3条により、運搬用容器入りのもの(樽など)については、この併記を省略できるとされています。缶やびんに「生ビール(熱処理していない)」と書かれているのを見たことがあるはずです。あれはこの規約に基づくものです。
なぜこのルールを、飲食店が知っておくべきなのか
理由は3つあります。
- メニュー表記の正確さのため。熱処理ビールである赤星を「生ビール」と書くことはできません。「サッポロラガービール(中びん)」と正確に書けば済む話です。
- お客さまへの説明のため。「びんビールも生なんですか?」と聞かれたときに、「銘柄によります。うちの黒ラベルのびんは生ですが、赤星は熱処理です」と即答できると、店の信頼が一段上がります。
- 差別化のため。「生かどうか」ではなく「熱処理かどうか」で説明できる店は、多くありません。赤星をわざわざ置いている意味を、この一点で語れます。
麦芽100%と副原料 —— 「純粋令」の話
ドイツの「ビール純粋令」(1516年)は、大麦・ホップ・水以外の使用を認めない法律でした(酵母は後に微生物として認識されます)。ここから、ドイツタイプ=麦芽100%=副原料なしという理解が生まれました。
1971年のヱビス復活で、サッポロビールの技術陣が国産ビールとして戦後初の麦芽100%を実現したのは、この文脈です。当時「麦芽100%」は、それだけで最高級の証明になりました。
では副原料は悪者かというと、そうではありません。米やコーンを使うと、すっきりした軽快な味わいが出ます。日本の食事に合うビールをつくるうえで、意図的に選ばれてきた設計でもあります。麦芽100%が上で、副原料入りが下、という単純な話ではありません。お客さまに説明するときは、ここを取り違えないでください。
ホップの役割 —— 苦味だけではありません
ホップはアサ科のつる性植物で、使うのは雌株の毬花(まりばな)です。役割は3つあります。
- 苦味:麦芽の甘さと釣り合いをとります。
- 香り:柑橘、花、ハーブ、松、ヒノキなど、品種によって驚くほど幅があります。
- 保存性と泡:雑菌の繁殖を抑える働きと、泡持ちを助ける働きがあります。
「ソラチエース」がヒノキやレモングラスのような香りを持つ、と説明されるのは、この2番目の役割の話です。ドライホッピング(煮沸後の低温工程でホップを加える手法)を使うと、苦味をあまり足さずに香りだけを強く出せます。SORACHI 1984はこの独自製法を採用しています。
アルコール度数と、純アルコール量の見方
近年、サッポロビールを含む各社は商品ページや容器に「純アルコール量(g)」を表示するようになりました。計算式は次のとおりです。
容量(ml)×アルコール分(%)÷100×0.8
たとえばSORACHI 1984(アルコール分5.5%)の350ml缶なら、350×5.5÷100×0.8=15.4gとなります。
飲食店としては、この数字を「注意喚起の道具」ではなく「お客さまが自分で選ぶための情報」として扱うのが健全だと思います。度数の違う商品を並べているなら、メニューに度数を書いておく。それだけで、選び方が変わる方は確実にいらっしゃいます。
発泡酒とは何か —— 酒税法の定義で読むのが正確です
ここからは、感覚ではなく法律の言葉で押さえます。国税庁が公表している「酒税法における酒類の分類及び定義」によれば、ビールの定義はこうです。
- 麦芽、ホップ及び水を原料として発酵させたもの(アルコール分が20度未満のもの)
- 麦芽、ホップ、水及び麦その他の政令で定める物品を原料として発酵させたもので、下記の条件を満たすもの
- 上記のビールにホップ又は政令で定める物品を加えて発酵させたもので、下記の条件を満たすもの
そして「下記の条件」がこれです。
麦芽比率が100分の50以上であること並びに使用した果実(乾燥したもの、煮詰めたもの又は濃縮した果汁を含む。)及び一定の香味料の重量が麦芽の重量の100分の5を超えない(使用していないものを含む。)こと
一方、発泡酒の定義はこうです。
- 麦芽又は麦を原料の一部とした酒類で発泡性を有するもの(アルコール分が20度未満のもの)
- ホップ又は苦味料を原料の一部とした酒類で発泡性を有するもの(同上)
- 香味、色沢その他の性状がビールに類似する酒類で発泡性を有するもの(同上)
要するに、麦芽比率が50%未満だったり、規定を超える副原料を使ったりすると、味がどれだけビールらしくても法律上は「発泡酒」になる、ということです。品質の上下ではなく、区分の話です。
新ジャンル(第三のビール)とは何か
「新ジャンル」あるいは「第三のビール」は、酒税法上の正式な品目名ではありません。国税庁の酒税率一覧表の注記には、いわゆる「新ジャンル」として次の2つが挙げられています。
- 糖類、ホップ、水及び一定の物品を原料として発酵させたもので、エキス分が2度以上のもの
- 麦芽及びホップを原料の一部として発酵させた発泡酒(麦芽比率50%未満のもの)に、大麦又は小麦を原料の一部として発酵させたアルコール含有物を蒸留したスピリッツを加えたもので、エキス分が2度以上のもの
1が「麦芽をまったく使わずにビールらしいものをつくる」道、2が「発泡酒にスピリッツを混ぜる」道です。サッポロビールの『ドラフトワン』(2004年全国発売)は前者、『麦とホップ』は後者にあたる系統の商品です。
いずれも、おいしさを追求した結果というより、税率の区分を前提に設計された商品だという点が重要です。だからこそ、税率差がなくなる2026年10月以降、このカテゴリーは大きく揺さぶられます。
ノンアルコールビール(ビールテイスト飲料)はどうつくるのか
日本で「ノンアルコールビール」として売られているものの多くは、アルコール分0.00%で、酒類ではなく清涼飲料水として扱われます。つくり方は大きく2通りです。
- 発酵させない方法:麦芽やホップの成分を使い、発酵させずにビールらしい香味を組み立てる。
- アルコールを取り除く方法:一度ビールをつくってから、加熱や膜処理などでアルコールを除去する。
サッポロビールの「サッポロ プレミアム アルコールフリー」は現行のノンアルコール商品です。また「The DRAFTY」のようにアルコール分を極めて低く抑えた「微アルコール」の商品もあります。【要確認:各商品の発売年と、採用している製法の詳細】
飲食店にとって、ノンアルコールは「運転される方への配慮」だけの商品ではなくなりました。飲めるけれど今日は控えたい、という方が確実に増えています。置いてあることを、メニューでちゃんと伝えているか。ここが分かれ目です。
クラフトビールという言葉について
「クラフトビール」に、日本の法律上の定義はありません。一般には小規模な醸造所がつくる個性的なビールを指しますが、大手メーカーも同じ発想の商品を出しています。
サッポロビールでいえば、Innovative Brewer(SKY PILS、BEERCELLO、GOURMET BEER)、HOPPIN’ GARAGE(個人の物語をビールにする共創プロジェクト)、空模様シリーズ(月夜のデュンケル、陽ざしのピルスナー、流れる雲のヴァイツェン)などが、この領域の取り組みにあたります。
また、YEBISU BREWERY TOKYOでは小規模な醸造設備で「ここでしか飲めないヱビス」をつくっています。2026年8月5日には「Hop study : West coast pilsner(ホップスタディ:ウエストコーストピルスナー)」の発売が告知されました。大手が、大手の看板ブランドで、小さくつくる。これは近年の大きな流れです。
まとめ:この6語だけ覚えれば足ります
| 言葉 | ひとことで言うと | 判断の基準 |
|---|---|---|
| ラガー/エール | 酵母と発酵温度の違い | 低温で沈む酵母=ラガー、高温で浮く酵母=エール |
| ピルスナー | 日本で主流のラガーのスタイル | 淡色・透明・キレのある苦味 |
| 生ビール | 熱処理をしていないビール | 容器(樽・びん・缶)とは無関係 |
| 熱処理ビール | 熱を加えて品質を安定させたビール | 「生」とは表示できない。赤星がこれ |
| 発泡酒 | 酒税法上、ビールの条件を外れた発泡性の酒 | 麦芽比率50%未満、副原料の量など |
| 新ジャンル | 法律上の正式名ではない通称 | 麦芽不使用、または発泡酒+スピリッツ |
発泡酒・新ジャンルの攻防と、酒税法
すべての始まりは「税率差」でした
なぜ日本にだけ、発泡酒や新ジャンルという独特のカテゴリーが育ったのか。答えははっきりしています。ビールにかかる税金が高く、その周辺に安い区分があったからです。
思い出してください。1901年、日本はビールに「麦酒税法」をかけました。以来、ビールは常に酒税の主要な財源です。税が高ければ、店頭価格も高くなる。すると「税区分を外れた、ビールに似た飲み物」をつくる動機が生まれます。これが発泡酒であり、新ジャンルでした。
2003年の増税と、2004年『ドラフトワン』
1990年代に発泡酒が普及すると、税制はこれを追いかけます。2003年の酒税法改正で発泡酒が増税され、ビールとの価格差が縮まりました。
そこでメーカー各社は、発泡酒よりさらに税率の低い区分を探します。サッポロビールが2004年に全国発売した『サッポロ ドラフトワン』は、公式サイトが「新ジャンルという新しいカテゴリー・市場を開拓した」と明記する商品です。麦芽を使わない製法で、酒税法上のビールでも発泡酒でもない区分に収めました。
その後『麦とホップ』が続き、赤・黒・季節・地域と、おびただしい数の派生商品が生まれます。年表の表4と表6を見ていただくと、この時期の商品数の異常な多さが分かるはずです。
『極ZERO』が問うたもの
この税区分の線引きが、いかにきわどいものだったかを示す出来事があります。
サッポロビールは2013年6月、『極ZERO』を新ジャンルとして発売しました。ところが2014年、国税当局の製法調査をきっかけに、税率の低い第三のビールとして認められない可能性が生じます。
同社は5月末の製造分で販売を終了し、7月15日に発泡酒として再発売。そのうえで、当初の商品が一般の発泡性酒類に該当した場合に払うべきだった酒税との差額分約115億円を納付しました。
その後、同社は社内調査の結果として第三のビールにあたるとの立場をとり、税の返還を求めましたが、国税不服審判所への審査請求は棄却。訴訟でも一審で敗訴し、控訴。最終的に最高裁が上告を受理しない決定をしたことで、敗訴が確定しています。(出典:日本経済新聞、ITmedia ビジネスオンライン各報道。取得日 2026-08-18)
私はこの一件を、どちらが正しかったという話としては読んでいません。読み取るべきは、「税の区分に商品設計を合わせる」という競争が、それだけ極限まで行っていたという事実のほうです。区分の境目で数十億円が動く。そういう市場が、20年以上続いてきたわけです。
2018年、ビールの定義そのものが変わりました
流れが変わったのが2018年4月です。酒税法上のビールの定義が改正されました。主な変更は2点です。
- 麦芽比率の引き下げ:それまで3分の2(約67%)以上とされていた麦芽比率の下限が、50%以上に引き下げられました。
- 副原料の拡大:それまで米・麦・とうもろこしなどに限られていた副原料に、果実や香辛料などが加わりました(使用量は麦芽重量の100分の5以内という条件つき)。
これは、税を安くするための改正ではありません。多様な香味を持つビールの製造を可能にするための改正です。柑橘やスパイス、ハーブを使った商品が「ビール」を名乗れるようになった。
年表の表6に並べた「ヱビス クリエイティブブリュー」の面々——ほうじ茶の余韻、マリアージュブラン、和奏——のような商品が近年一気に増えたのは、この改正が背景にあります。クラフトビールの多様性を、法律が後押ししたわけです。
2020年・2023年・2026年 —— 3段階の税率一本化
そしてもうひとつ、より大きな変化が進行中です。ビール・発泡酒・新ジャンルの税率の一本化です。
財務省の資料によれば、この改正は「類似する酒類間の税率格差が商品開発や販売数量に影響を与えている状況を改め、酒類間の税負担の公平性を回復する等の観点から、税収中立の下で実施される」ものです。2020年10月、2023年10月、そして2026年10月の3段階で行われます。
現在(2023年10月1日〜2026年9月30日)の税率は、国税庁「酒税率一覧表」により次のとおりです。
| 区分 | 1klあたり税率 | 350ml換算(筆者計算) |
|---|---|---|
| ビール | 181,000円 | 63.35円 |
| 発泡酒(麦芽比率25%以上50%未満、アルコール分10度未満) | 155,000円 | 54.25円 |
| 発泡酒(麦芽比率25%未満、アルコール分10度未満) | 134,250円 | 46.99円 |
| いわゆる「新ジャンル」(アルコール分10度未満) | 134,250円 | 46.99円 |
| その他の発泡性酒類(チューハイ等、アルコール分10度未満) | 80,000円 | 28.00円 |
そして2026年10月1日から、こうなります。
| 区分 | 1klあたり税率 | 350ml換算 | 現行からの増減(350ml) |
|---|---|---|---|
| ビール・発泡酒・新ジャンル(一本化) | 155,000円 | 54.25円 | ビールは▲9.10円(減税)/新ジャンル等は+7.26円(増税) |
| その他の発泡性酒類(チューハイ等) | 100,000円 | 35.00円 | +7.00円(増税) |
(1klあたり税率は国税庁・財務省の公表資料に基づく。350ml換算および増減額は、公表された税率から筆者が計算したもの。酒税のみの金額であり、消費税等は含みません。)
あわせて、「その他の発泡性酒類」の対象となるアルコール分の基準も、令和8年(2026年)9月30日までは10度未満、10月1日以降は11度未満に変わります。
2026年10月、飲食店の原価はどう動くのか
ここが実務です。1klあたりでビールは26,000円の減税、つまり1リットルあたり26円の減税になります。これを容器別に計算すると次のようになります。
| 容器 | 容量 | 酒税の減少額(筆者計算) |
|---|---|---|
| 樽 | 10L | 260円 |
| 樽 | 15L | 390円 |
| 樽 | 19L | 494円 |
| 樽 | 20L | 520円 |
| 大びん | 633ml | 約16.5円 |
| 中びん | 500ml | 13円 |
| 缶 | 350ml | 9.10円 |
ここで、3つ、はっきり申し上げておきたいことがあります。
1つめ。これは酒税の変動額であって、仕入価格がその通り下がる保証はありません。メーカーの出荷価格改定、物流費、原材料費、卸のマージンはすべて別の話です。「酒税が下がるのだから仕入も下がるはずだ」と決めつけて先に売価を下げるのは危険です。必ず取引先の酒販店に、改定後の仕切価格を書面で確認してください。
2つめ。チューハイ・サワーは増税されます。350mlあたり7円。多くの居酒屋にとって、レモンサワーはビールに次ぐ本数の出る商品です。ビールが下がってサワーが上がる、という逆方向の動きが同時に起きます。ドリンク全体の粗利を、品目別に組み直す必要があります。
3つめ。新ジャンル・発泡酒を業務用で使っている店は、影響が逆になります。350mlあたり7.26円の増税です。原価の安さを理由にこれらを採用している場合、その前提が2026年10月に崩れます。
この改正が、ビールにとって追い風である理由
サッポロビールは「中期経営計画2027-2030」のなかで、市場環境をこう記しています。「国内酒類市場は縮小、酒税改正で強みのビールは拡大」。そして「26年10月の酒税改正、市場のプレミアム化を追い風に、黒ラベル・ヱビスへの投資強化を継続」と明言しています。
税率差がなくなれば、消費者は「安いから新ジャンル」ではなく「おいしいからビール」で選べるようになります。実際、同社のビール類に占めるビールの割合(数量ベース)は、2022年の67%から2025年には81%へ上昇。市場全体でも49%から58%へ動いています。
飲食店から見ても、これは分かりやすい話です。ビールを「ちゃんと売る」ことの経済的合理性が、2026年10月に一段上がるということです。
大麦とホップを、自分で育てる会社
両方やるビール会社は、世界でも珍しい
サッポロビールは自社をこう説明しています。「大麦とホップを自社で育種する世界でも珍しい会社」。
ビール会社が原料を買うのは当たり前です。しかし、品種そのものを何十年もかけてつくるのは、まったく別の話です。育種には通常10年以上かかります。10年かけて生まれた品種が、市場に受け入れられる保証はどこにもありません。
それでもやり続けている理由は、この記事の最初に書いた通りです。1876年に村橋久成が「札幌に建てる」と言い、黒田清隆が「原料も北海道でつくる」と言い、1880年に大麦、1881年にホップの国産化を達成した。その延長線上に、いまがあります。
1890年 契約栽培、1896年 大麦品評会
大麦について、同社は1890年には北海道で契約栽培を開始し、生産者と協働しながら安定した供給体制づくりに取り組んできたと記しています。1896年には大麦品評会を開催し、生産者の技術向上と意欲醸成にも力を注ぎました。
買い叩くのではなく、一緒に品質を上げる。130年以上前から、そういう関わり方をしていたわけです。
育種研究が大きく前進したのは、大正期以降の育種試験地の開設と、1940年の品種開発を目的とした研究所設立でした。欧米品種の試作にとどまっていた取り組みから、交雑による独自品種の開発が本格化します。
「はるな二条」—— 奇跡の麦
長年の研究から生まれた代表的な品種が「はるな二条」です。早生種でありながら高い品質を実現し、エキス分が多く、麦芽品質のバランスや発酵性に優れ、欧米の優良品種を凌ぐ特性を持つことから「奇跡の麦」「奇跡の大麦」と呼ばれてきました。
良質な品種の育種に欠かせない交配母本として広く使用され、日本のビール大麦の品質向上を支えています。
なお誕生年については、同社の公式資料内でも記述に幅があります。「150年の道のり」第6編では1978年に育成と書かれ、企業サイトの年表と「大麦の育種・開発へのこだわり」ページでは1981年誕生と記されています。おそらく育成完了と品種登録・命名の年の違いだと思われますが、確証が取れていません。【要確認:「はるな二条」の育成年と品種登録年の関係】
その後も「つゆしらず」(1984年)、「とね二条」(1989年)といった優良品種が育成されました。
LOXレス大麦と、国産初の「きたのほし」
品質向上のために、大麦の機能に着目した品種開発も進んでいます。その代表が「LOXレス大麦」です。
ビールの香味劣化につながる酵素「LOX-1」を持たない大麦を、岡山大学との共同研究で発見。この特性を持つ品種の育成を進め、カナダのサスカチュワン大学と共同で「CDC PolarStar」「CDC Goldstar」など北米での栽培に適した品種を開発しました。2008年以降現在まで、カナダで商業生産が続いています。
また北海道では、国産初のLOXレス大麦「きたのほし」を開発し、普及させています。これらは「旨さ長持ち麦芽」の原料として、ビール品質の向上に貢献しています。
「時間が経っても味が落ちにくいビール」を、原料の遺伝子レベルからつくる。飲食店で回転の遅い銘柄を扱うときにも、実は直接効いてくる話です。
Dual-S大麦 —— 気候変動への備え
気候変動により、収穫前の穂発芽や高温による品質低下など、大麦栽培を取り巻く環境は厳しさを増しています。
これに対して同社が進めているのが「Dual-S大麦」です。ビールのおいしさを長持ちさせる(Stability)と、気候変動への適応性(Sustainability)を併せ持つ、次世代のビール大麦品種として研究が続いています。
信州早生から100年 —— ホップの育種
ホップの代表的成果が、すでに述べた1910年誕生の「信州早生」です。誕生から100年以上経った現在も作付けされており、日本のビール文化を支え続ける優良品種として知られています。
ホップは病気に弱く栽培が難しい作物ですが、長年培った研究ノウハウは生産者への栽培指導にも活かされ、品質向上と安定した調達につながっている、と同社は説明しています。
ソラチエース —— 一度は日の目を見なかったホップ
この記事でぜひ紹介したいのが「ソラチエース」です。サッポロビールが初めて品種登録したホップで、1984年に生まれました。
ところが、このホップは日の目を見ない長い年月を過ごします。当時の日本の主流のビールには、その個性が強すぎたのでしょう。
転機は海外でした。アメリカのクラフトビール文化のなかで、ヒノキやレモングラスを思わせる独特の香りが評価され、いまや世界でも注目を集めるホップになりました。アメリカでも栽培されています。
そして2019年4月、サッポロビールはこのホップを100%使用した『サッポロ SORACHI 1984』を通年発売します。商品名の1984は、品種が生まれた年です。
いま同社は、国産ソラチエースの使用量を毎年拡大しており、北海道・上富良野産に加えて東北産の使用も始まっています。商品ページには「北海道空知から、青森の田子、岩手の軽米へ。その物語はこれからもつながっていきます」とあります。
35年間、誰にも求められなかった品種を捨てずに持っていた。そして時代のほうが追いついてきた。これは、育種という長い時間の仕事をしている会社にしかつくれない物語です。飲食店でこの一本を出すなら、この話をひとこと添えるだけで、まったく違う一杯になります。
フラノスペシャル、リトルスター、フラノマジカル
ホップの育種には通常10年以上かかると言われますが、同社は多くの品種を生み出してきました。
- フラノスペシャル:わずか7年で育成に成功。苦味含量が多く香味も優れ、北海道限定「サッポロ クラシック 富良野VINTAGE」の特徴的な香りをつくる重要な原料です。
- リトルスター:栽培しやすく香味に優れたアロマ品種。
- フラノマジカル:2021年に登録された、トロピカルな香りを持つ新品種。
- ゴールデンスター:「NIPPON HOP 偶然のホップ」として商品化された品種。
これらの品種は、いずれも「NIPPON HOP」シリーズとして、1品種ずつを主役にしたビールになりました。始まりのホップ 信州早生、偶然のホップ ゴールデンスター、希望のホップ リトルスター、奇跡のホップ フラノマジカル。品種そのものを商品名にするというのは、原料に自信がなければできない売り方です。
チェコのザーツを救った、日本の組織培養技術
この話は、あまり知られていないと思います。
1970年代以降、ウイルス被害によってチェコのザーツホップの品質が低下していました。ザーツは、ピルスナー発祥の地を支える世界的な名門品種です。
ここでサッポロビールの組織培養技術が大きな役割を果たしました。1989年にウイルスフリーの苗を作り出すことに成功し、その結果、ザーツホップは従来の品質を取り戻したのです。
同社はこれを「ホップ研究が世界的にも認められた事例のひとつ」と記しています。1910年に日本がザーツを交配して「信州早生」をつくり、79年後に日本がザーツを救った。原料をめぐる、100年がかりの恩返しのような話です。
2006年「協働契約栽培システム」の確立
これらの取り組みを制度として束ねたのが、2006年に確立された「協働契約栽培システム」です。
公式の年表は、これを「世界各産地の大麦やホップの生産者・サプライヤー・当社の技術者が交流し、畑からビールづくりに取り組む」仕組みだと説明しています。
単に「契約して買う」のではなく、「協働して育てる」という言葉を使っているところに、この会社の考え方が出ています。
フィールドマネージャーとフィールドカルテ
その現場を担うのがフィールドマネージャーという職種です。
彼らは世界各地の生産者を訪れ、地域や生産者ごとに作成した「フィールドカルテ」をもとに、大麦やホップの品質を細かく確認し、より良い原料を得るための取り組みを生産者とともに進めています。
同社はこれを「原料を“畑からともにつくる”というサッポロビールの姿勢そのもの」と表現しています。
飲食店でいえば、生産者のところへ直接足を運んで、毎年の出来を確かめてから仕入れる、という関わり方です。規模は違っても、やっていることは同じです。
環境に配慮した麦芽 —— クライムトレイスとリジェノヴァ
近年の取り組みも紹介しておきます。
同社は、環境負荷を抑えた麦芽「クライムトレイス(Clim Trace)」を日本で初めてビール製造に採用しました。フランス大手製麦会社スフレモルト社が製造する麦芽で、原料となる大麦の栽培時に土壌分析を行い、必要最小限かつ最適な施肥にとどめることで環境負荷を低減しています。
クライムトレイスは2025年にYEBISU BREWERY TOKYOの数量限定ビールに使用され、2026年4月にはさらに進化した「リジェノヴァ(Regenova)」が、同じくYEBISU BREWERY TOKYOの数量限定ビールに使用されました。
新しい原料を、まず小さな醸造所の限定商品で試す。体験施設が研究開発の実験場を兼ねているという構造が、ここに見えます。うまい仕組みだと思います。
人権への配慮も、原料調達の一部です
あわせて触れておくべきこととして、同社は人権デュー・ディリジェンスの一環として、調達する原料のうちパーム油、茶葉、コーヒー豆、カカオ豆、砂糖・液糖、粗留アルコールを優先的に調査する原料として特定しています。主要事業を支える大麦(麦芽)、ホップ、レモン、梅についても、優先的に人権リスクの確認を行う原料と位置づけています。
また2022年10月より、サプライチェーンの労働条件に関する情報共有プラットフォームであるSedexに入会しています。
原料をめぐる話は、いまや「おいしさ」だけでは完結しません。飲食店が仕入れる商品の背後に、こうした確認の作業があるということも、知っておいて損はないと思います。
いまのサッポロ —— 何を売り、どこへ行こうとしているのか
2003年、持株会社になりました
2003年、「サッポロホールディングス株式会社」が設立され、純粋持株会社体制へ移行します。酒類事業会社として、新生サッポロビールがスタートしました。
この体制で、グループは酒類・食品飲料・外食・不動産という複数の柱を持つことになります。1989年に掲げた「ビールを基軸とする複合経営」の、制度としての完成形でした。
グループの主な顔ぶれ
| 領域 | 主な会社・事業 | 備考 |
|---|---|---|
| 酒類 | サッポロビール | ビール、RTD(缶チューハイ等)、ワイン、焼酎、輸入洋酒 |
| 食品・飲料 | ポッカサッポロフード&ビバレッジ | 2013年、サッポロ飲料とポッカコーポレーションの統合により設立 |
| 外食 | サッポロライオン | ビヤホールライオン、YEBISU BAR など |
| 不動産 | サッポロ不動産開発 | 1988年設立の星和不動産管理が前身。恵比寿ガーデンプレイス、サッポロファクトリー、GINZA PLACE など |
| 海外(北米) | SAPPORO U.S.A./スリーマン(カナダ)/ストーン・ブリューイング(米国) | スリーマンは2006年、ストーンは2022年に子会社化 |
| 海外(アジア) | SAPPORO VIETNAM ほか | 2011年、日本のビールメーカーとして初めてベトナムに工場を竣工 |
ポッカサッポロとレモン —— ビール会社の第二の顔
意外に思われるかもしれませんが、いまのサッポログループにとってレモンは極めて重要な事業です。
系譜をたどると、1957年のニッカレモン創業(後のポッカコーポレーション)と、瓶入りレモン(後の「ポッカレモン」)の発売にさかのぼります。1972年には缶入りコーヒー飲料「ポッカコーヒー」、1973年には世界で初めてホットとコールドが設定できる自動販売機を開発。2001年に「キレートレモン」、そして2011年にサッポロホールディングスがポッカコーポレーションの株式を取得し、2013年に「ポッカサッポロフード&ビバレッジ株式会社」が設立されました。
技術面でも、ポッカサッポロは2014年より「ポッカレモン100」を中心とした果汁製品の製造ラインに、業界で初めて交流高電界殺菌法(HEF-AC)を導入しています。従来の加熱殺菌より熱にさらされる時間が短いため、熱による変色や加熱臭を抑えられる技術です。2025年には「レモン技術開発部」を設立し、搾汁残渣から新たな素材を生み出す加工技術の開発も進めています。
そして「中期経営計画2027-2030」では、レモン売上を2030年に500億円(2025年比130%)にする目標を掲げています。ビール会社の中期経営計画に、レモンの目標額が並んでいる。これがいまのサッポログループの姿です。
ワイン ——『ポレール』から『グランポレール』へ
ワイン事業への参入は1974年に正式決定され、1977年1月に買収した丸勝葡萄酒株式会社を「サッポロワイン株式会社」へ社名変更。同年4月に山梨県勝沼町に勝沼ワイナリーが竣工し、5月に最初の自社ブランドとしてサッポロワイン『ポレール』が発売されました。
『ポレール』はフランス語で北極星の意味です。ここでも星が出てきます。
このワインは、ビール醸造で培った温度管理技術を応用した「クールドワイナリーシステム」(低温発酵・低温貯蔵・低温びん詰)で醸造されました。ワインの酸化を防ぎ、香気成分の揮散を抑えられる手法です。
2003年には上級シリーズ『グランポレール』が登場。「選び抜かれた産地から産出される自社ぶどう園産ぶどう100%を使用し、世界と肩を並べる品質の高いワインづくりを目指す」というコンセプトです。現在、勝沼ワイナリー(山梨)と岡山ワイナリーが見学可能な施設として公開されています。
焼酎、RTD、そして男梅サワー
2006年4月にキッコーマンの焼酎事業を譲り受けて焼酎事業に参入。同年6月には楽丸酒造を設立し、乙類焼酎にも本格参入しました。2011年にはバカルディ ジャパン社と日本国内独占販売契約を締結しています。
RTD(缶チューハイ等)では、男梅サワー、濃いめのレモンサワー、サッポロチューハイ99.99(フォーナイン)、レモン・ザ・リッチ、愛のスコールなど、多数のブランドを展開しています。年表の表6で見たとおり、派生商品の数は膨大です。
興味深いのは、RTDの開発にAI商品開発システム「N-Wing★(ニュー・ウィング・スター)」を導入していることです。約170商品のレシピと1,200種の配合データを学習し、原料の組み合わせや配合量を瞬時に提案することで、配合検討の時間を大幅に削減しているといいます。
海外 —— 北米、ベトナム、そしてカールスバーグとの提携
海外展開の歩みは、1980年の『サッポロびん生』大びん(633ml)の米国投入から本格化しました。当時アメリカで流通する輸入ビールの主流は12オンス(355ml)であり、大容量のびんは珍しい存在でした。事前調査では芳しくない結果でしたが、そのユニークさに可能性を見出して発売に踏み切ります。
判断は当たりました。現地の日本食ブームとも相まって販売数量を伸ばし、1984年7月にSAPPORO U.S.A., INC.を設立。1984年発売の『サッポロカップ生』の好調にも支えられ、1985年には対米輸出で日本製ビールシェア第1位を獲得します。
その後、2006年にカナダ3位のビールメーカーだったスリーマン社を子会社化、2011年にベトナム工場竣工、2022年に米国のストーン・ブリューイング社を子会社化(米国内に2工場を取得)と、生産拠点を広げてきました。
そして直近では、カールスバーグ社との戦略的資本業務提携が進行しています。「中期経営計画2027-2030」によれば、その規模は約643百万米ドル(約1,029億円)。同社はこれを「アジアはCarlsberg社を初めとした戦略的アライアンスによる量的成長を実現」する施策と位置づけ、カールスバーグの販売網を活用してSAPPOROブランドの展開を本格化させる方針です。
2030年の目標として、SAPPOROブランド売上数量2,000万函(2025年比190%)、米国ビール売上数量540万函(同150%)を掲げています。
ノンアルコール —— 2025年比300%以上という目標
「中期経営計画2027-2030」でとりわけ目を引くのが、ノンアルコールビールの目標です。2030年のノンアルコールビール売上数量を、2025年比300%以上に。3倍です。
同社は市場環境を「ノンアルコールも伸長見込だが、規模は限定的」と冷静に見ながら、それでも「当社ブランド信頼性を活かした商品で、伸長する市場の需要獲得を目指す」としています。さらに、SAPPOROブランドのグローバル展開と連動して、ノンアルコールのグローバル展開も推進する方針です。
成長投資の領域にも「ノンアルコール製造設備投資」が明記されています。設備を建てるということは、本気だということです。
飲食店としては、この流れは無視できません。ノンアルコールを「置いてある」から「すすめられる」に変えるだけで、客単価が守れる場面が確実に増えます。
不動産事業への外部資本導入と、恵比寿ガーデンプレイス
グループの構造として大きな変化が進んでいます。不動産事業への外部資本導入です。
「中期経営計画2027-2030」は、前中期経営計画の成果として「酒類を中核とした事業ポートフォリオへ変革(不動産事業への外部資本導入を決定)」を挙げ、今後は「不動産外部資本導入資金による成長投資推進」を進めるとしています。
恵比寿ガーデンプレイス(YGP)についても、保有方針が具体的に示されています。同社が保有する30%の内訳を変更し、ブランド活用資産として継続保有するのはYGPの1%(従前は10%)、将来の流動化を想定する資産が29%(従前は20%)としました。
ヱビスビールが生んだ街の、その中心にある不動産。それを大幅に手放して、酒類事業に集中する。150年の節目に、この会社は「ビールの会社に戻る」という選択をしています。【要確認:不動産事業への外部資本導入の相手方・取引金額・完了時期の詳細】
数字で見る、2025年と2030年
「中期経営計画2027-2030」から、公表されている数字を整理します。
| 指標 | 2025年実績 | 2030年目標 |
|---|---|---|
| 国内事業 事業利益率 | 8.0% | 10% |
| 海外事業 事業利益率 | 1.8% | 13% |
| ROE | 8.0% | 10.0%以上 |
| ビール売上数量 | 3,220万函(2022年は2,677万函) | 2025年比120%以上 |
| ビール構成比(ビール類に占めるビールの数量比) | 81%(2022年は67%) | 96%(2025年+15pt) |
| レモン売上 | — | 500億円(2025年比130%) |
| ノンアルコールビール売上数量 | — | 2025年比300%以上 |
| 事業利益 | 2026年計画 220億円 | 400億円(2035年は700〜800億円のイメージ) |
投資については、通常・基盤投資1,000億円程度に加え、成長投資3,000〜4,000億円を計画。株主還元は2030年度までの総還元額2,500億円程度(配当800億円、自己株式取得1,700億円)としています。
「より豊かな未来を開拓する」
2026年、サッポログループは新しい経営理念を掲げました。
より豊かな未来を開拓する/Pioneering the legacy of tomorrow
そして目指す姿として「JAPAN PREMIUM BEER No.1 “SAPPORO”」を打ち出しています。代表取締役社長CEOの時松浩氏は、同社ならではの強みを「街の名を冠した個性的なブランド、物語性のある体験、自然の恵み・素材へのこだわり」の3つに整理しました。
「開拓」という言葉が、150年経ってもう一度、経営理念のど真ん中に置かれている。1876年に北の大地でホップを植え、何度も枯らしながら5年かけて国産化した会社が、いま同じ言葉を使っている。私は、この一貫性を面白いと思います。
見に行ける歴史 —— 博物館・工場・街
ここまで文字で読んできた歴史は、実際に足を運んで見ることができます。飲食店を営む方には、スタッフを連れて行くことを強くおすすめします。座学よりはるかに残ります。
サッポロビール博物館(札幌市東区)
1987年開館、日本で最も歴史のあるビール博物館です。1876年の北海道開拓事業から受け継がれるサッポロビールの歴史を体感できます。
建物は1890年に建設された旧札幌製糖会社の煉瓦造建物を保存・活用したもので、北海道遺産に認定されています。サッポロビール園開拓使館とあわせて、明治時代の貴重な建造物です。
見学後、1階のTasting Hall(有料試飲)では工場直送のビールも楽しめます。開拓使以来の歩みを伝える2種のガイド付ツアー(有料)も用意されています。
なお同館は2026年7月1日にバリューアップオープンしています。所在地は北海道札幌市東区北7条東9丁目1-1。サッポロビール北海道工場(恵庭市)とは別施設ですので、訪問時はご注意ください。また、博物館内にビールの製造設備はありません。
サッポロビール園とサッポロファクトリー
博物館に併設されているのがサッポロビール園です。明治の面影を残すレンガ造りの建物で、創業時を偲びながら生ビールとジンギスカンを味わえます。
そしてサッポロファクトリー。1993年4月9日、札幌工場第1製造所の跡地に開業した複合商業施設です。第1製造所は1876年に開拓使麦酒醸造所として開業して以来、日本最古のビール工場として製造を続けてきましたが、設備の老朽化と周辺の都市化を受けて存続を断念し、恵庭市への新工場移転が決定(1989年、北海道工場竣工)。跡地が再開発されました。
敷地面積約4万1,200㎡、床面積約12万2,500㎡。コンセプトは「北の・あたらしい・くらし」で、開拓使麦酒醸造所の想いを引き継ぐ赤レンガと煙突を保存しながら整備されています。
YEBISU BREWERY TOKYO(渋谷区恵比寿)
2024年4月3日オープン。恵比寿ガーデンプレイス内(東京都渋谷区恵比寿4-20-1)にあります。
前身はヱビスビール記念館で、その跡地に醸造設備を伴う体験拠点として生まれ変わりました。ミュージアム、ブルワリー、タップルームの3要素で構成されています。
東京で飲食店をやっている方には、ここは一度見ておく価値があります。「歴史を展示する」「つくっているところを見せる」「その場で飲ませる」を一つの動線に収めた設計は、規模を小さくすれば個人店でも応用できる考え方だからです。
恵比寿ガーデンプレイスと、ヱビスビアホリデー
1994年10月8日開業。恵比寿工場の跡地に誕生した複合商業施設で、敷地面積は約8万3,000㎡。「水と緑の山の手情報文化都市」構想を掲げ、約6割をオープンスペースとした環境に、住宅、ホテル、商業・飲食・文化施設を配置しました。
グランドオープン初日には約15万人が訪れ、社会現象ともいえるほどの注目を集めています。
また、開業15周年を迎えた2009年を機に「恵比寿麦酒祭」が始まり、現在は「YEBISU BEER HOLIDAY(ヱビスビアホリデー)」と名を改めて、地域との交流を大切にする取り組みとして続いています。
6つの工場と、2つのワイナリー
サッポロビールは以下の施設で見学を受け付けています(実施内容・予約方法は各施設の案内をご確認ください)。
- サッポロビール 北海道工場(恵庭市)
- サッポロビール 仙台工場
- サッポロビール 千葉工場(1988年竣工。恵比寿工場の生産機能を移管)
- サッポロビール 那須工場
- サッポロビール 静岡工場
- サッポロビール 九州日田工場
- グランポレール勝沼ワイナリー(山梨)
- 岡山ワイナリー
ビヤホールライオン 銀座七丁目店
最後に、飲食店の方にもっとも見ていただきたい場所を挙げます。1934年竣工のビヤホールライオン 銀座七丁目店。
「豊穣と収穫」をコンセプトに設計され、大麦や葡萄をモチーフとした装飾が随所に施された空間が、創建当時のまま残っています。現存する日本最古のビヤホールです。
92年前につくられた店が、いまも現役で営業している。内装の考え方、天井の高さ、席の配置、そして注ぎ方。学べることが多すぎて、私は行くたびにメモが増えます。
飲食店として、この150年をどう使うか
ここまで長くお付き合いいただきました。最後に、実務の話をします。
銘柄の物語は、注文のきっかけになります
この記事で紹介した話のうち、お客さまに話して喜ばれるものを5つ挙げます。どれも30秒で話せます。
- 星の話:「このラベルの星、北海道開拓使の北極星なんです。黒ラベルもヱビスも赤星も、全部同じ星です」
- 恵比寿の話:「恵比寿って地名、実はこのビールの名前が先なんですよ。ビール専用の貨物駅ができて、それが駅名になって、街の名前になった」
- 黒ラベルの話:「黒ラベルって、もともとお客さんが勝手にそう呼んでたあだ名なんです。会社が正式名称に採用したんですよ」
- 赤星の話:「これ、明治10年から続く日本でいちばん古いビールです。いまも熱処理でつくっていて、生ビールとは味の厚みが違います」
- ソラチエースの話:「このホップ、1984年に日本で生まれたんですが、35年間ほとんど使われなかったんです。アメリカで評価されて逆輸入みたいに戻ってきました」
大事なのは、スタッフ全員が同じ話をできる状態にすることです。私は、こういう話は紙1枚にまとめて休憩室に貼っておくのがいちばん早いと思っています。朝礼で1日1つ読み上げるだけでも、1週間で全員が覚えます。
樽・びん・缶の使い分けを、設計してください
この記事を書きながら、あらためて感じたことがあります。容器は制約ではなく、商品設計そのものだということです。
| 容器 | 向いている場面 | 気をつけること |
|---|---|---|
| 樽(生) | 1杯目、回転の速い時間帯、宴会 | サーバー洗浄と注ぎ方で味が大きく変わる。出数が読めない銘柄は不向き |
| 中びん・大びん | 注ぎ合う席、長っ尻の卓、指名で来る銘柄 | 開栓しなければ品質が動かないので、少量の銘柄を置きやすい。空きびんの回収動線を決めておく |
| 缶 | 限定品、持ち帰り、少量多品種 | そのまま出すか、グラスに移すかで印象がまるで違う |
「生ビール1種類だけ」で回している店は多いと思います。しかし、びんを1本足すだけで、2杯目の選択肢が生まれます。冷蔵庫のスペースだけで済む投資です。
グラスと注ぎ方は、味の一部です
1899年の恵比寿ビヤホールが、わざわざガラスのジョッキを使った。2019年のTHE BARが、注ぎ方の違う3種類を出している。2026年のイベントが、1杯目の一口目をその場で飲ませている。
この3つに共通しているのは、「同じ液体でも、出し方で別の商品になる」という考え方です。
グラスは冷えているか。洗剤が残っていないか。泡の比率は狙ったところに来ているか。注いでから何秒でお客さまの手元に届くか。ここを詰めるのに、追加の仕入原価は1円もかかりません。私はこれを、飲食店にとってもっとも投資効率の高い改善だと思っています。
メニュー表記で、やってはいけないこと
- 熱処理ビールを「生ビール」と書かない。公正競争規約で「生ビール」「ドラフトビール」は熱処理をしていないビールにのみ使える表示です。赤星は「サッポロラガービール」と正確に。
- 「ビール」と「発泡酒」「新ジャンル」を混同させない。酒税法上の区分が違います。お客さまが「ビール」と思って注文したものが発泡酒だった、という事態は避けてください。
- 健康に関する効果をうたわない。糖質オフやプリン体オフは商品の成分表示に基づく事実として書けますが、それが体にどう良いかという表現に踏み込むのは、飲食店が書くべきことではありません。
- スタイル名だけを書かない。「IPA」「セゾン」だけでは伝わりません。必ず味の説明を一行添えてください。
2026年10月に向けて、いま決めておくこと
酒税改正まで、この記事の公開時点であと2か月弱です。次の3つを、いま動かしてください。
- 取引先の酒販店に、10月以降の仕切価格を確認する。口頭ではなく書面で。ビール、発泡酒、新ジャンル、チューハイの4区分すべてについてです。
- ドリンクの品目別粗利を、いったん全部書き出す。ビールが下がり、サワーが上がる。トータルでどうなるかは、店の売れ筋構成によってまるで違います。他店の話は参考になりません。自店の数字を見てください。
- 売価を変えるかどうか、変えるなら告知をどうするかを決める。値下げするにせよ据え置くにせよ、決めておかないと当日に慌てます。
特に、新ジャンルや発泡酒を業務用で使っている店は要注意です。原価の安さを理由に採用しているなら、その理由が10月に消えます。その場合、いっそビールに切り替えたほうが、味でも説明でも有利になる可能性があります。この機会に一度、比較検討してみてください。
ノンアルコールを「置く」から「すすめる」へ
最後にもうひとつ。サッポロビールが2030年にノンアルコールビールを3倍にすると宣言している、という事実の意味を考えてみてください。
メーカーがそこまでの目標を立てるのは、需要が来ると読んでいるからです。そして飲食店側の準備は、多くの場合まだ追いついていません。メニューの隅に小さく1行あるだけ、という店がほとんどではないでしょうか。
飲まない方、今日は控えたい方、運転される方。その席に何を出すかで、グループ全体の滞在時間と客単価が変わります。ノンアルコールは「売れない商品」ではなく、「4人組を3人組にしないための商品」です。
これから —— 150年目のサッポロに、私が見るもの
開拓使精神とは、結局なんだったのか
この記事を書くために大量の資料を読んで、私が受け取った「開拓」の意味は、勇ましいものではありませんでした。
ホップの苗は何度も枯れました。国産化に5年かかりました。『ニッポンビール』は市場に受け入れられず、シェアを落とし続けました。ヱビスは28年消え、復活してもすぐ石油危機で沈みました。ソラチエースは35年間、ほとんど誰にも使われませんでした。極ZEROの一件では115億円を納めることになりました。
開拓とは、うまくいかない期間に耐えることでした。
そして耐えた先に、麦芽100%のヱビスがあり、世界が認めたソラチエースがあり、お客さまが名付けた黒ラベルがありました。時間のかかることを、時間をかけてやる。育種に10年、品種の普及に何十年。この会社の商売のリズムは、四半期では測れないところにあります。
消えた銘柄の数だけ、挑戦があります
この記事でいちばん長い時間をかけたのが、「製造終了商品」の一覧を読む作業でした。何百という銘柄が並んでいます。
ヱビス オランジェ。麦とホップ 東北の香り。空模様 流れる雲のヴァイツェン。HOPPIN’ GARAGE 大人のチョコミント。サッポロ 酔わないCRAFT。
そのどれもが、誰かが企画し、誰かが試作し、誰かが売ろうとしたものです。そして、いまはもうありません。
私は、この長いリストを見て、自分の店のことを考えました。やめたメニューを、私は何品覚えているだろうか。やめたことを失敗として片づけていないだろうか。定番が定番でいられるのは、その周りで試し続けているからではないだろうか。
街と一緒に育つ、ということ
そしてもうひとつ。この会社の物語は、いつも土地とセットです。
札幌の赤レンガは、工場をやめてもサッポロファクトリーとして残りました。恵比寿の工場跡は、街の名前を残したままガーデンプレイスになりました。そしてその一角に、35年ぶりに醸造所が戻ってきました。しかも、昔の工場の酵母を再選抜して。
いま同社は不動産事業への外部資本導入を進め、恵比寿ガーデンプレイスの保有比率も見直そうとしています。それでも「ブランド活用資産」として1%を残す、と明記している。数字としては小さいですが、意味としては大きい判断だと私は読みました。
2026年9月23日、サッポロビールは150歳になります。北海道の畑でホップを枯らし続けた明治の技師たちが、150年後に自社の醸造したビールが世界で飲まれていることを知ったら、どんな顔をするでしょうか。
その一杯を、あなたのお店で出す。それは、この150年の物語の続きを書くことでもあります。ぜひ、お客さまに話してみてください。ビールが、ただの「とりあえず」ではなくなります。
参考にした資料の一覧(すべて取得日 2026-08-18)
サッポロビール・サッポログループの公式情報(一次情報)
- ヒストリー(年表)|サッポロビール企業サイト
- 150年の道のり 第1編〜第3編(1876-1949)
- 150年の道のり 第4編〜第5編(1949-1976)
- 150年の道のり 第6編〜第7編(1977-1995)
- サッポロのこだわり(およびその詳細ページ:ホップの育種・開発/大麦の育種・開発/持続可能な麦芽・ホップ調達/おいしさと安全を支える技術/日本初のビヤホール/黒ラベルの生のうまさ/「恵比寿ビール」誕生と街のはじまり/北海道から始まった地域とともに歩むブランドづくり)
- 中期経営計画2027-2030(PDF・全40ページ)
- 国内ブランド:酒類
- 持続可能なサプライチェーン構築
- メディアキット(イメージライブラリーのご利用条件)
- ご利用規約
- ニュースリリース一覧
- ビールテイスト商品一覧
- 製造終了商品一覧
- サッポロ SORACHI 1984 商品ページ
- サッポロビール博物館
- YEBISU BREWERY TOKYO
- ニュースリリース「サッポロラガービール」缶商品の数量限定発売
- ニュースリリース「YEBISU BREWERY TOKYO」2024年4月3日開業決定
行政・業界団体の公表資料(一次情報)
- 国税庁「酒税法における酒類の分類及び定義」(PDF)——ビール・発泡酒の定義
- 国税庁「酒税率一覧表(令和5年10月1日〜令和8年9月30日)」(PDF)——現行税率と「新ジャンル」の定義
- 財務省「酒税に関する資料」——2020年10月・2023年10月・2026年10月の3段階改正
- 「ビールの表示に関する公正競争規約及び施行規則」(PDF)——ラガー・生ビール・黒ビール・スタウトの表示基準
二次情報
- 日本食糧新聞・電子版「サッポロ生ビール〈ナナマル〉(サッポロビール)2023年10月17日発売」——ナナマルの発売日確認に使用
- 日本経済新聞「サッポロ極ゼロ、敗訴確定 第三のビール、酒税返還」——極ZERO訴訟の結末
- ITmedia ビジネスオンライン「『極ZERO』訴訟で国に敗訴したサッポロ、控訴へ」——訴訟経過
この記事で【要確認】として残した事項
裏が取れなかった点を、隠さずに列挙します。断定を避けた箇所です。
- 『サッポロジャイアンツ』の容量1957mlの由来が、公式に「1957年の全国復活にちなむ」と説明されているか
- 現行「サッポロラガービール」という商品名が使われ始めた年
- 2025年5月20日および2026年5月19日に発売された「サッポロラガービール」缶の、正確な出荷本数・販売期間
- 『ピースビール』『ニッポンビール』『サッポロジャイアンツ』『サッポロストライク』『サッポロカップ生』『サッポロ冬物語』の各終売年
- 『麦とホップ』『サッポロ ホワイトベルグ』『サッポロ 北海道生搾り』『静岡麦酒』『新潟限定ビイル 風味爽快ニシテ』『サッポロ GOLD STAR』の正確な発売年
- 『こくいも』(2012年発売)の現況
- 2026年12月1日限定発売予定の『SAPPORO PREMIUM BEER』の商品内容
- 「はるな二条」の育成年(1978年)と品種登録・命名年(1981年)の関係。サッポロビールの公式資料内でも記述に幅があります
- 「サッポロ プレミアム アルコールフリー」「The DRAFTY」の発売年と、採用している製法の詳細
- 不動産事業への外部資本導入の相手方・取引金額・完了時期の詳細(本文では「中期経営計画2027-2030」に記載のある範囲のみを扱いました)
- サッポロホールディングスの2025年12月期の連結売上高・各利益の確定値(本文では「中期経営計画2027-2030」に記載された事業利益率・ROE等の指標のみを使用しています)
画像について
この記事には、写真・図版を一切掲載していません。理由をご説明します。
サッポロビールの企業サイトには報道関係者向けの「イメージライブラリー」があり、サッポロビール本社、YEBISU BREWERY TOKYO、サッポロ生ビール黒ラベル THE BAR、サッポロビール博物館、ヱビスビール醸造場(1899年竣工)、各工場などの画像が用意されています。歴史記事には理想的な素材です。
しかし、その利用条件にはこう明記されています。
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当社は報道機関ではありません。したがって、この許諾の対象外です。
あわせて、同社の「ご利用規約」第3条にはこうあります。
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この2点から、サッポロビールの公式画像はいずれも当記事では使用できないと判断し、ダウンロードもしていません。歴史的な写真(開業式の記念写真、初代『恵比寿ビール』のラベルなど)についても、所蔵者が北海道大学・丸善雄松堂・アサヒグループ資料室などと明記されており、当社の判断で扱えるものではないため、同様に見送りました。
【要確認:本記事に画像を入れる場合、サッポロビールへ個別に利用許諾を申請するか、当社で撮影した写真を用意する必要があります。博物館・施設内の撮影可否についても、各施設の案内をご確認ください】
なお同社の「ご利用規約」第8条では「本サイトへのリンクは原則自由です」とされているため、本記事では画像の代わりに公式ページへのリンクを掲載しています。
おわりに
5万字を超える長い記事に、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
私がこの記事でいちばん伝えたかったのは、「サッポロビールがすごい会社だ」ということではありません。あなたのお店の冷蔵庫に入っているその1本にも、150年ぶんの理由があるということです。
星のマークひとつ、赤いラベル一枚に、明治の技師が枯らしたホップの畑があり、戦争で消えたブランドがあり、お客さまが勝手につけたあだ名があり、35年待たされたホップがあります。
それを知っている店員が注ぐ一杯と、知らない店員が注ぐ一杯は、同じ液体でも別のものになります。私はそう信じています。
まずは、明日の朝礼で1つ、話してみてください。星の話がおすすめです。
20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。飲酒運転は絶対にやめましょう。
