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キリンビールの歴史と全銘柄年表|麒麟のラベルから一番搾りまで

キリン一番搾りのジョッキ。麒麟のロゴが見える

「とりあえず生」と言われて、あなたのお店では何が出てきますか。私はこの十数年、飲食店の集客と現場づくりを仕事にしてきましたが、この一杯ほど「当たり前すぎて誰も掘り下げない商品」はないと思っています。原価も、注ぎ方も、樽の回転も、メニューの並びも、全部この一杯から始まっているのに、その中身がどこから来たのかを語れる経営者は驚くほど少ない。

そこで今回は、日本のビールを語るうえで避けて通れない一社――キリンビールを、前史の一八七〇年代から二〇二六年の今日まで、丸ごと追いかけます。会社の年表を並べるだけの記事にはしません。私がいちばん時間をかけたのは、この会社が世に出してきたビールの名前と、その一本一本がなぜその設計になったのかです。定番も、消えていった銘柄も、季節限定も、地域限定も、拾えるかぎり年表にしました。あわせて、ラガーとエールは何が違うのか、発泡酒と新ジャンルはなぜ生まれたのか、ノンアルコールビールはどうやって作るのか――「ビールの種類」そのものが分かる章も独立して置いています。

飲食店の経営者にとっては、二〇二六年十月の酒税一本化を目の前にした実務の話でもあります。お酒が好きなだけの方にとっては、次の一杯が確実においしくなる読み物になるはずです。長い記事ですが、興味のある章だけ拾い読みしていただいてかまいません。

目次

この記事で分かること

  • 日本のビールがどこから始まったのか――横浜・山手の湧水と、スプリング・バレー・ブルワリーという前史
  • ジャパン・ブルワリー・カンパニー(一八八五年)から麒麟麦酒株式会社(一九〇七年)へ、商標が受け継がれた経緯
  • あの麒麟のラベルは誰が描いたのか、たてがみに隠された「キ・リ・ン」の文字の話
  • 戦後にトップブランドへ駆け上がり、一九七六年にシェア六割超へ達した時代の実像
  • 一九九〇年「一番搾り」がなぜ生まれ、なぜ二番搾り麦汁を捨てるという設計を選んだのか
  • キリンの主要銘柄・発売年表(明治期から現在まで、終売銘柄・季節限定・地域限定を含む一〇〇銘柄以上)
  • ビールの種類が分かる章――ラガーとエール、ピルスナー、スタウト、熱処理と生、発泡酒、新ジャンル、ノンアルコール
  • 発泡酒・新ジャンルはなぜ生まれ、なぜ消えるのか。酒税法の区分と、二〇二六年十月の一本化
  • ビール会社が医薬・健康・飲料へ広がった事業構造の話
  • いまのキリン――スプリングバレー、晴れ風、タップ・マルシェ、ホームタップ、ノンアルコール
  • 全国九つのビール工場と工場見学、そして飲食店経営者が工場へ行くべき理由
  • 二〇二六年十月以降、飲食店のビールメニューをどう組み直すか

第一章 なぜ私は、キリンビール一社をここまで長く追いかけるのか

「とりあえず生」の向こう側にあるもの

飲食店の売上構成を分解すると、多くの業態でドリンクが利益の柱になっています。そのドリンクの入口が生ビールです。つまりビールは、あなたのお店の粗利を最初に決める商品です。にもかかわらず、多くの店で「銘柄はメーカーさんが決めた」「昔からこれ」で止まっている。ここに、私はずっと引っかかってきました。

銘柄を選ぶというのは、味を選ぶことであり、同時にその銘柄が背負ってきた歴史と、お客さまの記憶を選ぶことでもあります。父親がラガーの大びんを飲んでいた記憶がある人と、大学時代に一番搾りで乾杯した人では、同じジョッキから受け取るものが違う。飲食店はそこを商売にしている。だから銘柄の背景を知らないのは、単純にもったいないのです。

一三〇年以上分の意思決定が、いまのジョッキに入っている

キリンビールの起点は、一八八五年(明治十八年)七月二十一日に横浜・山手の外国人居留地で設立されたジャパン・ブルワリー・カンパニーにさかのぼります(出典:キリンジャーナル「キリングループの歴史」、二〇二五年七月十八日公開/取得日 二〇二六年八月十八日)。「キリンビール」というブランドが世に出たのが一八八八年(明治二十一年)。ここから数えると、一三八年です。

一三八年のあいだに、この会社は途方もない数の判断をしてきました。ドイツ人の醸造技師を招くという判断。麒麟という霊獣を商標にするという判断。戦後にラベルを青一色刷りで復活させるという判断。主力商品を熱処理から生に切り替えるという判断(そして、それが招いた大きな痛み)。一番搾り麦汁だけを使うという、常識で考えれば非効率な判断。麦芽を使わない酒をあえて作るという判断。そのひとつひとつが、いまあなたのお店のサーバーから注がれる液体の中に入っています。

この記事の読み方

この記事は前から順に読めるように書いていますが、目的別に飛んでいただいてもかまいません。銘柄の一覧が見たい方は「第十章 主要銘柄の発売年表」へ。ビールの種類の違いを知りたい方は「第十一章 ビールの種類がわかる章」へ。この二つが、この記事の背骨です。会社史はその背骨に肉をつけるための話だと思ってください。

それでは、一八七〇年の横浜から始めます。

第二章 前史――横浜・山手の湧水と、日本のビールの夜明け

幕末の日本人は、ビールをどう見たか

日本人がビールというものに出会ったのは、江戸時代の後期です。長崎の出島を通じて蘭学者たちが西洋の書物からビールの存在を知り、幕末の開港以降は居留地の外国人が飲むものとして目にするようになりました。当時の記録に残る日本人の感想は、おおむね「苦い」「うまいものではない」といった調子です。私はこの反応がとても好きで、というのもいまの日本のビール文化は、この「苦くてまずい」から始まっているからです。

いまでこそビールは日本の食卓に完全に定着していますが、そこに至るまでには、味を日本人の嗜好に合わせ、価格を下げ、冷やして飲む習慣を作り、そして家庭の冷蔵庫に入るまでの長い道のりがありました。それを担ったのがビール会社であり、ビールを出す飲食店だったわけです。

ウィリアム・コープランドと「スプリング・バレー・ブルワリー」

一八七〇年(明治三年)、ノルウェー系アメリカ人のウィリアム・コープランドが、横浜・山手にビール醸造所を開きます。名をスプリング・バレー・ブルワリー(Spring Valley Brewery)といいました(出典:Wikipedia「麒麟麦酒」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

この醸造所の重要な点は、居留地の外国人だけを相手にした自家醸造ではなく、大衆に向けてビールを造り、売ることを事業として構えたところにあります。日本におけるビール事業の実質的な出発点として語られるのは、そのためです。

なぜ「スプリング・バレー」――山手の湧水という立地

スプリング・バレーという名前は、そのまま「湧き水の谷」を意味します。横浜・山手の一帯には良質な湧水があり、コープランドはそれを醸造用水に選びました。ビールは仕込み水の質がそのまま味に出る飲みものですから、これは合理的な立地選択です。

飲食店の出店でも、私はよく「立地は八割」と言います。ビール工場も同じで、水の質と量が確保できる場所にしか建てられません。のちにキリンが全国に工場を展開していくときも、この原則は変わりませんでした。一三八年前の判断基準が、いまも生きているわけです。

スプリング・バレーの挫折

コープランドの事業は、しかし順風満帆とはいきませんでした。経営は行き詰まり、醸造所は閉鎖に追い込まれます。ここで物語が終わっていたら、日本のビールの歴史はまったく違うものになっていたでしょう。

ところが、この場所と設備に目をつけた人たちがいました。横浜の居留地で商売をしていた外国人の実業家たちです。彼らが一八八五年に立ち上げたのが、ジャパン・ブルワリー・カンパニーでした。スプリング・バレーという名前は、それから一三〇年後、キリンのクラフトビールブランドとして復活することになります。この話は第十四章で詳しく書きます。

第三章 ジャパン・ブルワリー・カンパニーの設立(一八八五年)

一八八五年七月二十一日、居留地にて

一八八五年(明治十八年)七月二十一日、横浜・山手の外国人居留地にジャパン・ブルワリー・カンパニー(Japan Brewery Company)が設立されます(出典:キリンジャーナル「キリングループの歴史」二〇二五年七月十八日/取得日 二〇二六年八月十八日)。スプリング・バレー・ブルワリーの事業を引き継ぐかたちでの発足でした。

ここで押さえておきたいのは、この会社が日本の会社ではなく、横浜に住む外国人たちが香港で法人登記して作った会社だったことです。日本のビール史のいちばん太い幹が、外国人の手で植えられている。この事実は、後年の「品質本位」という社風を理解するうえで意外に効いてきます。

タルボットとアボット――新聞人と金融家

設立の中心にいたのが、横浜の英字新聞『ジャパン・ガゼット』のオーナーだったウィリアム・ヘンリー・タルボットと、金融業に従事していたエドガー・アボットです(出典:同上)。新聞社の経営者と金融家が組んでビール会社を作る。いまで言えばメディアと投資家の座組みで、なかなか現代的な話だと思いませんか。

新聞人がいたということは、この事業が最初から「どう伝えるか」を意識していたということでもあります。実際、キリンビールは発売と同時に新聞広告を打っています。後述しますが、その広告文がまた見事なのです。

岩崎弥之助・益田孝・渋沢栄一という名前

ジャパン・ブルワリー・カンパニーの設立には、三菱財閥二代目総帥の岩崎弥之助、三井物産会社初代社長の益田孝、そして渋沢栄一といった、明治日本の経済を作った面々が出資者として関わったと伝えられています(出典:Wikipedia「麒麟麦酒」ほか/取得日 二〇二六年八月十八日)。

【要確認:出資者三名の関与について、キリン公式サイト上の一次資料で明示された記述をまだ確認できていません。二次情報に依拠した記述です】

いずれにせよ、この時期の日本には「西洋の産業を国内に根づかせる」という強い動機があり、ビールもその対象でした。単なる嗜好品ではなく、近代化の一部として扱われていたのです。

「本場から技師を招く」――仮設立趣意書の一行

一八八五年六月に作られた仮設立趣意書には、「イギリス、ドイツ、アメリカのいずれかから適切な醸造技師を招聘する」と書かれていました(出典:キリンジャーナル「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

私はここが好きです。会社を作る前の段階で、すでに「本物の技術を人ごと連れてくる」と決めている。設備を買えばいい、レシピを買えばいい、ではなく、人を招く。飲食店でも同じことが言えます。うまい料理を出したければ、レシピではなく、それを作れる人を連れてくるか、自分がその人のところへ習いに行くしかない。近道はないのです。

ドイツ人技師を招くという選択

実際にジャパン・ブルワリー・カンパニーが選んだのは、ドイツ式のラガービールでした。三代目のドイツ人醸造技師としてアイヘルベルクの名が記録に残っています(出典:同上)。

当時の世界のビールは、イギリス式のエール(上面発酵)と、ドイツ・ボヘミア式のラガー(下面発酵)が二大潮流でした。イギリス系の資本が中心だったジャパン・ブルワリーが、あえてドイツ式を選んだ。この一点が、日本のビールがのちに「淡色でスッキリした下面発酵のピルスナー系」に収斂していく起点になります。エールとラガーの違いについては第十一章で詳しく解説します。

第四章 一八八八年、「キリンビール」誕生

一八八八年五月、本格ドイツ風ラガーが世に出る

一八八八年(明治二十一年)五月、ジャパン・ブルワリー・カンパニーは本格的なドイツ風ラガービール「キリンビール」を発売します(出典:キリンジャーナル/キリン歴史ミュージアム「商品ブランドの歴史 キリンビール(キリンラガービール)」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

これが、いまも続くキリンラガービールの直接の祖先です。一三八年間、ほぼ同じラベルで売られ続けている商品というのは、世界的に見てもそう多くありません。

明治屋・磯野計という販売の才

製造はジャパン・ブルワリー・カンパニー、販売は明治屋が国内総代理店として担当しました(出典:キリン歴史ミュージアム/取得日 二〇二六年八月十八日)。作る会社と売る会社を分ける。いまで言う製販分離が、最初から採られていたわけです。

明治屋は輸入食品を扱う商社として全国に販路を持っていました。つまりキリンビールは、発売初年度からいきなり全国流通できる体制で世に出ています。良い商品を作ることと、それを届ける経路を持つことは別の能力です。この二つが最初から揃っていたことが、キリンの初期の強さを説明します。

一八八八年五月二十八日、『時事新報』の広告

発売直後の一八八八年五月二十八日、『時事新報』にキリンビールの広告が掲載されました。そこにはこう書かれています。

本家本元の製法に基き日本人の嗜好を察し……

(出典:キリンジャーナル「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)

この一文、飲食店のメニュー作りをしている方はぜひ噛みしめてください。「本場の製法である」と「日本人の好みに合わせた」を、同じ一文の中で両立させている。本場らしさだけを押しつけてもお客さまは離れる。かといって迎合しすぎれば本物ではなくなる。この綱渡りを、一八八八年の広告コピーがすでに言語化しているのです。私はこれを超える飲食店のキャッチコピーを、そう多くは見たことがありません。

荘田平五郎が出した「麒麟」という案

商標を何にするか。ここで三菱の荘田平五郎が「東洋には麒麟という霊獣がいるのだから、それを商標にしよう」と提案したと伝えられています(出典:キリン歴史ミュージアム「ヒストリークルーズ Vol.4 聖獣麒麟」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

麒麟は紀元前から中国に伝わる伝説上の動物で、慶事の前に現れるとされます。他を慈しみ、思いやりを持った動物であることから「仁獣」とも表現され、天下泰平のしるしとも言われてきました(出典:同上)。

西洋の技術で作ったビールに、東洋の霊獣の名をつける。ここにも「本場の製法」と「日本人の嗜好」の二重構造があります。ラベルを見た明治の日本人は、そこに描かれた見慣れない獣に、西洋の得体の知れなさではなく、東洋のめでたさを見たはずです。ネーミングとして、これ以上ない一手だったと思います。

一八八九年、麒麟が大きくなる――グラバーの提案と六角紫水

発売時の一八八八年のラベルでは、麒麟は小さく描かれていました。翌一八八九年(明治二十二年)、ジャパン・ブルワリー・カンパニーの重役だったトーマス・ブレーク・グラバーの提案により、麒麟を大きく描いた、いまもおなじみのラベルに変更されます(出典:キリンジャーナル「商品ブランドの歴史 キリンビール(キリンラガー)」二〇二四年五月二十一日/取得日 二〇二六年八月十八日)。

実際に図柄をデザインしたのは、漆芸家の六角紫水と言われています。ただしキリン自身が「証拠となる資料は残されていません」と明記しており、確定した史実ではありません(出典:キリン歴史ミュージアム「ヒストリークルーズ Vol.4」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

グラバーの名前が出てくるところが面白い。長崎のグラバー邸で知られる、あのトーマス・ブレーク・グラバーです。幕末から明治の日本の産業に、この人はどれだけ関わっているのだろうと思います。

たてがみに隠された「キ・リ・ン」

キリンのラベルには、有名な仕掛けがあります。麒麟のたてがみの中に、「キ」「リ」「ン」の三文字が隠されているのです。

キリンの公式FAQによれば、確認できている範囲で一九三三年(昭和八年)のラベルにはすでに描かれていたとのこと。目的については「模造品を防止するため」という説や「デザイナーの遊び心だったのでは」という説があり、理由は分かっていないと明記されています(出典:キリン公式FAQ「麒麟のラベルに隠し文字があるって本当?」/キリン歴史ミュージアム「ヒストリークルーズ Vol.4」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

次にラガーの大びんを開けたら、ぜひラベルを覗き込んでみてください。お客さまに教えると、確実に一杯増えます。これは冗談ではなく、私が実際に何軒もの店で試してもらった話です。商品にまつわる小さな物語をひとつ持っているだけで、飲食店の接客は変わります

ラベルを変えない、という経営判断

キリンは自社サイトで、ラベルのデザインは「一三〇年以上経った今もほとんど変わっていない」と書いています(出典:キリン歴史ミュージアム/取得日 二〇二六年八月十八日)。もちろん細部は何度も手が入っています。一八八八年、一八八九年、一九四〇年、一九四九年、一九五七年、一九六三年、一九七二年、一九八六年、一九八八年、一九九三年、二〇二〇年――キリン公式のラガー史ページには、これらの年号がラベル変遷の節目として並んでいます(出典:キリン「キリンラガービールの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

それでも「ほとんど変わっていない」と言い切れるのは、骨格を変えていないからです。麒麟が中央にいて、その周りを装飾が囲む。この構造だけは一三〇年以上、動かしていない。

飲食店で言えば、看板と店名です。売れないと感じるとすぐに店名を変え、看板を変え、コンセプトを変える店がありますが、それは資産をゼロに戻す行為です。変えていいのは中身と見せ方であって、積み上げてきた記憶の器ではない。キリンのラベルは、その最良の教科書だと私は思っています。

第五章 麒麟麦酒株式会社の創立(一九〇七年)と戦前

一九〇七年二月二十三日、商標が日本の会社へ

一九〇七年(明治四十年)二月二十三日、麒麟麦酒株式会社が創立されます(出典:キリンホールディングス「会社概要」/取得日 二〇二六年八月十八日)。ジャパン・ブルワリー・カンパニーの事業を譲り受けるかたちで、「キリンビール」の商標は、その品質へのこだわりとともに日本の会社へ引き継がれました。

いまのキリンホールディングス株式会社の設立年月日として公式に掲げられているのが、この一九〇七年二月二十三日です(二〇〇七年七月一日に持株会社化に伴い商号変更)。つまり企業としての起点はここになります。

ただし、ブランドとしての起点は一八八八年です。この二つの年号の使い分けは、キリンの歴史を読むときの基本になるので覚えておいてください。ブランドは一八八八年、会社は一九〇七年です。

一九一八年、研究部の設置――「品質本位」の制度化

創立から十一年後の一九一八年(大正七年)、キリンは研究部を設置します(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

私はこの一行を、キリンの歴史の中でもかなり重要なものだと考えています。というのも、この研究部が、のちに医薬・バイオ・健康科学へと広がっていくグループ全体の源流だからです。ビール会社が研究組織を持つと何が起きるか。酵母を扱う、微生物を扱う、発酵を扱う。それは生命科学そのものです。一九一八年に播かれた種が、一九八〇年代の医薬事業へ、そして現在のヘルスサイエンス事業へつながっていきます。この話は第十三章でまとめます。

一九一九年 キリン黒ビール、一九二八年 キリンレモン、一九三二年 キリンスタウト

戦前のキリンは、ラガー一本だったわけではありません。

一九一九年(大正八年)にキリン黒ビールが登場します。これは一九九八年まで、実に約八十年にわたって販売されました(出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

一九二八年(昭和三年)にはキリンレモンが発売されます(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。ビール会社が清涼飲料を出す。これも現在のキリンビバレッジにつながる大きな一歩でした。

一九三二年(昭和七年)にはキリンスタウト。こちらは二〇〇八年八月まで販売されています(出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。七十六年続いた黒ビールです。

戦前の時点で、キリンはすでに淡色ラガー・黒ビール・スタウト・清涼飲料という商品構成を持っていた。単一商品の会社ではなかったということは、意外と知られていません。

一九四三年、麒麟科学研究所の開設

戦時下の一九四三年(昭和十八年)、キリンは麒麟科学研究所を開設します(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。物資が逼迫する時期に研究機関を新設しているというのは、この会社の性格をよく表しています。

戦時統制と、ブランドが消えた日々

太平洋戦争期、日本のビールは統制下に置かれ、各社のブランド名が使えなくなりました。ラベルには単に「麦酒」と書かれ、メーカーの区別のない配給品として流通します。麒麟も、あの霊獣の姿を消しました。

飲食店をやっている方なら、コロナ禍の営業自粛を思い出すかもしれません。看板を出せない、店名を名乗れない、商品を選べない。そういう時期が、この国のビールにもありました。一八八八年から続いてきたラベルが、数年間だけ姿を消している。この空白があるからこそ、次の一九四九年の話が効いてきます。

第六章 戦後――トップブランドへの長い上り坂

一九四九年、青一色刷りのラベルで復活

終戦から四年後の一九四九年(昭和二十四年)、キリンビールのラベルが復活します。ただし当時の印刷事情から、青一色刷りでした(出典:キリンジャーナル「商品ブランドの歴史 キリンビール(キリンラガー)」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

色が足りない。それでも麒麟を刷った。この判断が私は好きです。完璧に戻せるまで待つのではなく、いまできる形で旗を立てる。飲食店の再開でも、リニューアルでも、同じことが言えます。フルスペックが揃うまで待っていたら、お客さまの記憶のほうが先に消えてしまう。

そして一九五七年(昭和三十二年)、ラベルは多色刷りに戻ります(出典:同上)。八年かけて、色が戻った。

大日本麦酒の分割と、分割されなかったキリン

戦後のビール業界を決定づけたのが、過度経済力集中排除法です。戦前の日本最大のビール会社であった大日本麦酒は、この法律の適用を受けて一九四九年に朝日麦酒日本麦酒(のちのサッポロビール)に分割されました(出典:明治学院大学『経済研究』掲載論文PDF/取得日 二〇二六年八月十八日)。

一方のキリンは、戦前に大日本麦酒へ統合されることなく独立を保っていたため、この分割の対象外でした。

ここが日本のビール史の分岐点です。最大手が二つに割れ、残る一社は割れなかった。相対的に、キリンの地位が一気に上がります。もちろんそれだけでトップになれるほど市場は甘くありませんが、スタートラインが有利になったことは間違いありません。

一九五四年、年間出荷量で首位へ

一九五四年(昭和二十九年)、キリンは年間の庫出量でトップシェアを獲得し、国内での地位を確立します(出典:Wikipedia「麒麟麦酒」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ここから始まるキリンの首位時代は、驚くほど長く続きます。一九五四年から、アサヒスーパードライに逆転される一九九〇年代半ばまで、実に四十年前後。これほど長く一位を守った消費財ブランドは、日本にそう多くありません。

家庭用市場と冷蔵庫の普及

キリンの躍進を支えたのは、家庭用市場でした。高度経済成長期、日本の家庭に電気冷蔵庫が普及します。冷えたビールを家で飲む習慣ができ、酒屋がびんケースを配達する流通が全国に張り巡らされていきました。

飲食店の業務用に強かったのが他社、家庭用の流通で強かったのがキリン――というのが、この時期のおおまかな構図です。そしてこの構図は、後年、外食が伸びた時代に逆に効いてくることになります。強みは、環境が変われば弱みに反転する。これは飲食店経営でも本当によく起きることです。

一九七二年、工場は十二ヵ所へ

一九七二年(昭和四十七年)、キリンの工場数は戦前の四ヵ所から十二ヵ所に増えていました(出典:キリン歴史ミュージアム「商品ブランドの歴史 キリンビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

同じ一九七二年、キリンはキリンシーグラム株式会社(現キリンディスティラリー)を設立しています(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。ビール会社が蒸溜酒に手を伸ばした年です。ここから富士御殿場蒸溜所につながり、一九七四年には「ロバートブラウン」が発売されます(出典:同上)。

一九七六年、シェア六三・八パーセントという頂点

一九七六年(昭和五十一年)、キリンビールの国内シェアは六三・八パーセントに達したと伝えられています(出典:JBpress「Z世代が知らない昭和のビール大戦争」ほか二次情報/取得日 二〇二六年八月十八日)。

【要確認:シェア六三・八パーセントという数値は二次情報に基づくものです。キリン公式サイトまたは公的統計での裏付けは未確認】

市場の三分の二を一社が押さえている状態です。飲食店に置き換えれば、街の飲み屋の三軒に二軒が自分の店、というくらいの寡占です。当然、これは社会的な議論を呼びました。

分割論と「ガリバー」の重さ

シェアがあまりに高くなったことで、キリンは一九七〇年代に独占禁止法の観点から会社分割を論じられる立場になります(出典:JBpress/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ここが難しいところで、強すぎることは、それ自体がリスクになる。シェアを積極的に取りにいけない、価格を動かせない、攻めた商品を出しにくい。この「勝ちすぎたがゆえの動きにくさ」が、一九八〇年代の停滞につながっていったという見方があります。

私はこの構図を、地域一番店の飲食店で何度も見てきました。圧倒的に強い店ほど、変化を嫌います。変える理由がないからです。そして気づいたときには、まったく別の業態に客を持っていかれている。次の第七章は、まさにその話です。

第七章 一九八〇年代――揺らぎ、そして総力戦

一九八〇年 キリンライトビールという失敗

一九八〇年(昭和五十五年)、キリンはキリンライトビールを発売します。アメリカで伸びていたライトビール市場を日本に持ち込む挑戦でした。

結果から言えば、この商品は成功しませんでした。キリン自身も、のちに一番搾りを語る文脈で「大失敗に終わった『キリンライトビール』を教訓に」と説明しています(出典:LOOHCS『キリン一番搾り』記事ほか/取得日 二〇二六年八月十八日)。

【要確認:キリンライトビールの販売終了年について、資料により「一九九〇年まで」と「一九九九年まで」の二説があります(前者は二次情報、後者はWikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」)。年表では併記します】

なぜ失敗したのか。私の見方はこうです。アメリカの「ライト」は、当時の日本の飲み手が求めていた文脈と噛み合っていなかった。日本の消費者はまだ「しっかりしたビール」を求めていた時期で、そこに軽さを提案しても、価値として伝わらなかった。

ただし、この失敗は無駄になりませんでした。詳細なマーケティング調査と、商品のシリーズ化という考え方が、この経験から生まれます。それが一九九〇年の一番搾りに結実するのです。失敗は、次の商品の設計思想として回収されたときに初めて意味を持ちます

一九八三年 キリン生ビール、一九八六年 ハートランド

一九八三年、キリン生ビールが発売されます(一九八九年まで。業務用樽生は一九八〇年代から一九九五年まで/出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。日本で「生ビール」という言葉が家庭に入っていく時期です。

そして一九八六年(昭和六十一年)十月、ビアホール「ハートランド・穴ぐら」が東京にオープンし、その一ヵ月後には「つた館」も開店します。ハウスビールとして五〇〇ミリリットルびんで売られたのがハートランドビールでした(出典:Wikipedia「ハートランドビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

このビアホールは一九八六年から一九九〇年までの期間限定でありながら、のべ五十六万人が来店する一大ビアコミュニティになりました(出典:同上)。

ハートランドは、いま見ても異様な商品です。ラベルがない。緑色のびんに、直接エンボスで木のレリーフが刻まれているだけ。麦芽一〇〇パーセント。ブランド名を大きく出さない。当時のキリンが、これを出したという事実に私は驚きます。市場シェア六割の会社が、自社の名前を消した商品を作る。

ハートランドは一九八七年に缶も発売され全国展開しますが、一九九一年に缶の販売を終了。現在は樽(二〇リットル)と、五〇〇ミリリットル・三三〇ミリリットルのびんのみでの展開です(出典:同上)。

つまりハートランドは、飲食店でしかほぼ出会えないビールになった。これは飲食店にとって非常に強い武器です。コンビニで買えない銘柄が自分の店にある、という状態を作れるからです。私が飲食店の相談を受けるとき、ハートランドの導入は必ず選択肢に入れます。

一九八七年、スーパードライという衝撃

一九八七年、アサヒビールがアサヒスーパードライを発売します。ここから日本のビール市場は根本的に書き換わりました。

この記事は他社を貶めるために書いているのではないので、事実だけを書きます。「辛口」「キレ」という新しい言葉で味の軸を提示した商品が、市場のルールを変えた。それまでビールは「コク」や「苦み」で語られていましたが、そこに別の物差しが持ち込まれたのです。

飲食店の世界でも、こういうことは起きます。既存プレイヤー全員が同じ土俵で競っているところに、まったく違う評価軸を持った店が現れる。そのとき、既存の一位が最も苦しむ。なぜなら、一位は既存の軸で勝っているからです。

一九八八年、「キリンビール」が「キリンラガービール」になった日

一九八八年(昭和六十三年)、それまで「キリンビール」だった商品名が「キリンラガービール」に変更されます(出典:キリン「キリンラガービールの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。ラベルのデザインは大きく変わりませんでした。

これは象徴的な改名です。それまで「キリンビール」は、キリンのビールそのものでした。固有名詞であり、同時に一般名詞に近かった。それを「ラガー」という種類名を付けた名前に変えたということは、「キリンのビールは、これ以外にもある」と会社が宣言したということです。

市場が多様化した以上、旗艦商品も一つのカテゴリの中の一つに位置づけ直さなければならない。その決断が一九八八年でした。

一九八八年 キリン生ビールドライ/ファインモルト――追随の代償

同じ一九八八年、キリンはキリン生ビールドライキリンファインモルトを発売します(出典:Wikipedia「麒麟麦酒」「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ドライについては、キリンドライ〈生〉が一九八八年から一九八九年、ファインモルト〈生〉が一九八八年から一九九一年、ファインドラフトが一九八九年から一九九〇年と、いずれも短命に終わりました(出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

これは商品として悪かったというより、「他社がやったから、うちもやる」という発想そのものが持つ限界を示しています。後追いの商品は、先行商品の価値を強化してしまう。「やっぱりドライといえばあっちだよね」となるからです。

飲食店でも同じです。隣の店が唐揚げで当たったから、うちも唐揚げを出す。これでほぼ確実に負けます。勝つには、別の軸を出すしかない。そしてキリンは、一九九〇年に、まさにそれをやりました。

第八章 一九九〇年――「一番搾り」という解答

「特色ありき」をやめる、という設計思想

キリンの商品開発チームが目指したのは、インパクトのある特色ありきのビールではなく、「キリンのイメージをしっかり持った最上の味の生ビール」でした(出典:キリン歴史ミュージアム「商品ブランドの歴史 キリン一番搾り生ビール」/キリンジャーナル二〇二四年八月三十日/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ここ、非常に重要です。一九八〇年代後半のキリンは、ドライで負け、ライトで負けていた。普通なら「もっと尖った特徴を」と考えます。ところが彼らは逆に振った。尖らせるのをやめて、「キリンらしい最上の味」に戻る

そのうえで導き出された味の設計が、次の三つでした。

  • 上品なコクがある
  • のどごしが爽快である
  • 後口がさっぱりしている

(出典:同上)

この三つを同時に満たすために選ばれた手段が、一番搾りの麦汁だけでつくるという製法でした。

一番搾り麦汁とは、具体的に何か

ここは丁寧に説明します。ビールの製造工程には「麦汁ろ過」という段階があります。

麦芽を粉砕してお湯と混ぜ、糖化させたもの(もろみ)を、ろ過槽に移します。すると、麦芽の粒子が自然に層をつくり、その層がフィルターの役割を果たして、澄んだ甘い液体が下から流れ出てきます。この、原料の自重だけで自然に流れ出てくる最初の麦汁が「一番搾り麦汁」です(出典:Wikipedia「キリン一番搾り生ビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ところが、これだけでは麦芽に含まれる糖分を回収しきれません。そこで通常は、残った麦芽層の上からお湯をかけて、残りの糖分を洗い出します。こうして得られるのが「二番搾り麦汁」です。

一般的なビールは、この一番搾り麦汁と二番搾り麦汁をブレンドして仕込みます。当たり前です。そのほうが原料から取れる量が多く、効率が良いからです。

二番搾りを使わない、という贅沢の構造

キリン一番搾りは、この二番搾り麦汁を使いません(出典:同上)。一番搾りの麦汁だけでビールを造ります。

これが何を意味するか、飲食店の原価計算をやっている方ならすぐ分かるはずです。同じ量の麦芽から取れるビールの量が減る。つまり、一リットルあたりの原料コストが上がる。

それでもなぜ、そうするのか。答えは味です。

タンニンと雑味――味の設計図

キリンの説明によれば、一番搾りの麦汁はタンニン成分が少なく、ビールに上品でさっぱりした味わいを与えるとされています(出典:キリン歴史ミュージアム/取得日 二〇二六年八月十八日)。

タンニンは、ワインの渋みでよく知られる成分です。麦芽の殻の部分などに含まれ、お湯で洗い出す二番搾りの工程では、どうしてもこれが多く出てきます。適量なら味に厚みを与えますが、多すぎると渋みや雑味になる。

つまり一番搾り製法とは、「取れる量を犠牲にして、雑味の少ない部分だけを使う」という引き算の設計です。何かを足して個性を作ったのではなく、何かを捨てて個性を作った。私はこの発想が本当に好きです。

飲食店のメニュー改善でも、いちばん効くのは足すことではなく捨てることです。メニュー数を減らす、仕込みを減らす、席数を減らす。売上が下がるように見えて、実際には満足度と利益率が上がる。一番搾りは、そのビール版なのです。

ネーミングという発明――「一番搾り」

製法そのものは、味を良くするための技術です。しかしそれを「一番搾り」という商品名にしたところが、この商品の真の発明だと私は思っています。

「一番搾り」という日本語は、それだけで「最初の、いちばん良いところ」という意味を持ちます。専門的な説明を一切しなくても、消費者は瞬時に理解できる。しかも、実際にやっていることと言葉がぴったり一致している。誇大でもなければ、比喩でもない。

飲食店のメニュー名でも、これは最強の型です。「本日入荷」「朝〆」「一番だし」――やっていることをそのまま名前にして、それが同時に価値を伝えている状態。あなたのお店のメニューに、この型で書けるものはありませんか。

一九九〇年三月、オフホワイトの缶が店頭に並ぶ

キリン一番搾り生ビールは、一九九〇年(平成二年)三月に発売されました(出典:キリン歴史ミュージアム「商品ブランドの歴史 キリン一番搾り生ビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

【要確認:発売日を「一九九〇年三月二十二日」とする二次情報があります(雑学ネタ帳「キリン一番搾りの日」)。キリン公式の記述は「一九九〇年三月」までで、日付までは確認できていません】

発売時のパッケージは、落ち着きと存在感、高級感のあるオフホワイトベースでした(出典:キリン歴史ミュージアム/取得日 二〇二六年八月十八日)。

白い缶。当時のビールは金や銀、あるいは赤や青といった強い色が主流でしたから、オフホワイトは相当に静かな選択です。「尖らせない」という設計思想が、パッケージにもそのまま出ています。

パッケージの変遷が語るもの(一九九六/一九九八/二〇〇四/二〇〇九/二〇一七)

一番搾りのパッケージは、キリン公式の整理によれば次のように変わってきました(出典:キリン歴史ミュージアム「商品ブランドの歴史 キリン一番搾り生ビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

パッケージの狙い
1990年 落ち着きと存在感、高級感のあるオフホワイトベース
1996年 「現代感・鮮度感・若々しさ」を表現
1998年 「一番搾り」らしさを追求し、「上質・ナチュラル・鮮度感」をイメージ
2004年 上質感と新しさを表現、上下に金色の帯
2009年 麦芽100%へのリニューアルに伴い、「しずくマーク」と「麦芽100%」表記を追加
2017年 上品な麦のうまみをアップ

この表を眺めると、キリンが何を大事にしてきたかが読み取れます。「鮮度感」という言葉が、一九九六年と一九九八年に続けて出てくる。生ビールという商品にとって、鮮度が最大の価値であることを、パッケージのレベルで一貫して主張してきたわけです。

飲食店にとって、これはそのまま応用できます。生ビールの価値は鮮度です。樽の回転、洗浄の頻度、グラスの温度、注ぎの速度――そのすべてが鮮度感に直結します。パッケージで鮮度を訴えているメーカーの商品を、鮮度を落として出してしまっては元も子もありません。

二〇〇九年、麦芽一〇〇パーセントへの全面改良

一番搾りの歴史で最大のリニューアルが、二〇〇九年三月です。麦芽一〇〇パーセントのオールモルト生ビールへ全面的に改良され、アルコール度数も五・五パーセントから五パーセントへ引き下げられました(出典:Wikipedia「キリン一番搾り生ビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

麦芽一〇〇パーセントというのは、副原料(米、コーンスターチ、スターチなど)を一切使わないという意味です。日本のビールは伝統的に副原料を使い、軽快さとコストのバランスを取ってきました。それをやめて麦芽だけにする。一番搾り麦汁だけを使うという引き算に、麦芽だけを使うという引き算を重ねたわけです。

この年、缶に「しずくマーク」「麦芽一〇〇%」の表記が加わりました。やっていることを、缶の上でも言い切る。一貫しています。

主なリニューアルの節目

時期 内容
2004年3月 発売以来初のビール風味の仕様変更
2009年3月 麦芽100%のオールモルト生ビールへ全面改良。度数5.5%→5%
2013年12月 うまさと飲みやすさを向上させるリニューアル
2017年7月 中長期戦略の成長元年としてリニューアル

(出典:Wikipedia「キリン一番搾り生ビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)

二〇一〇年、日本のビールブランドとして初めてドイツで造られる

二〇一〇年、一番搾りは日本国内のビールブランドとしては初めてドイツで製造されました(出典:キリン歴史ミュージアム/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ドイツといえばビール純粋令の国です。そのドイツで、日本のビールが造られる。一八八五年に「ドイツから醸造技師を招く」と趣意書に書いた会社が、一二五年後にドイツで自社ビールを造っている。歴史というのは、ときどきこういう円環を描きます。

二〇一六〜二〇一七年 「四十七都道府県の一番搾り」

私が一番搾りの企画で最も感心したのが、「四十七都道府県の一番搾り」です(二〇一六年〜二〇一七年/出典:Wikipedia「キリン一番搾り生ビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

全国の工場と各地の醸造家が、その土地ごとに味を設計し、四十七通りの一番搾りを造るという企画でした。しかもこれらは熱処理ビールとして造られています。

マーケティングとして見ると、これは「地元」という感情をビールに接続する仕掛けです。人は自分の県のものに弱い。飲食店でも、地元食材フェアが強いのは同じ理屈です。ただし四十七通り作るというのは、生産・物流の両面で相当な負荷がかかります。それをやり切ったところに、この企画の凄みがあります。

二〇二〇年 糖質ゼロ、二〇二五年 ホワイトビール

二〇二〇年十月六日、「キリン一番搾り 糖質ゼロ」が発売されます(出典:Wikipedia「キリン一番搾り生ビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。日本初の糖質ゼロのビールとして、約五年の開発期間を要したと報じられています(出典:価格.comマガジン、ビール女子ほか二次情報/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ここで一点、はっきり書いておきます。この記事では、糖質ゼロであることの健康上の効能については一切書きません。あくまで「そういう規格の商品が、そういう技術で造られた」という事実として扱います。酒類の記事で健康効果を語ることは、私はすべきでないと考えています。

技術的な話としては、原料の大麦と酵母の選定から見直すという、かなり根本的な設計変更が行われています。二〇二五年には製造工程を見直し、デコクション(煮沸をともなう糖化法)を用いた仕込みで厚みを出す方向へリニューアルされたと報じられています(出典:日本経済新聞、二〇二五年六月/取得日 二〇二六年八月十八日)。

そして二〇二五年四月十五日、「キリン一番搾り ホワイトビール」が発売されました(出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。一番搾りブランドが、白ビール(小麦を使った上面発酵系の味わい)の領域に入ったことになります。

二〇二五年十二月期のキリンホールディングス決算では、「ビールカテゴリーでは『一番搾り』ブランドが堅調に推移し、四月発売の『一番搾りホワイトビール』と『一番搾り糖質ゼロ』を加えた三つの異なる個性をもった商品群で店頭のプレゼンスを高めることに取り組んだ」と説明されています(出典:キリンホールディングス 二〇二五年十二月期 決算短信、二〇二六年二月十三日開示/取得日 二〇二六年八月十八日)。

一つのブランドを、三つの個性に分ける。これはブランド運営の教科書的な手法です。棚での占有面積が増え、かつブランドの意味は薄まらない。飲食店で言えば、看板メニューを三つの切り口で展開するのに近い考え方です。

飲食店から見た一番搾り

実務の話をします。一番搾りは、飲食店で扱いやすい銘柄です。理由は三つあります。

第一に、味の輪郭がはっきりしていて、料理を選ばない。後口がさっぱりしているという設計は、和洋中どの料理と合わせても邪魔をしません。

第二に、認知度が圧倒的に高い。メニューに「一番搾り」と書いてあるだけで、お客さまは味を想像できます。説明コストがゼロです。

第三に、ブランド内でのバリエーションが用意されている。黒生、プレミアム、糖質ゼロ、ホワイトビールと、同じブランドの中で提案を広げられる。「一番搾りの黒、ありますよ」と一言添えられる店は、それだけで単価が上がります。

第九章 一九九六年、ラガー生化という事件

なぜ熱処理をやめたのか

一九九六年一月、キリンは主力商品であるラガーを熱処理ビールから生ビール(非熱処理)に変えると発表し、同年二月に実施しました(出典:note「ビールスタンドRYO」、ダイヤモンド・オンライン等の二次情報/取得日 二〇二六年八月十八日)。

【要確認:ラガー生化の時期(一九九六年一月発表・二月実施)は二次情報に基づきます。キリン公式サイト上の該当記述は未確認】

背景は明確です。市場が「生ビール」に移っていたからです。熱処理ビールは古い、生は新しい――そういう空気が支配していました。ならば主力を生にする。合理的な判断に見えます。

「俺のラガーに何をした」

ところが、消費者の反応は激烈でした。長年ラガーを飲んできた人たちが怒ったのです。二次情報として伝えられている声は「俺のラガーに何してくれた」「もう二度と飲まない」といったものでした(出典:note「ビールスタンドRYO」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

そして同年六月、ラガーはアサヒスーパードライに逆転を許します(出典:同上)。

【要確認:一九九六年六月の逆転という記述は二次情報に基づきます】

何が起きたのか。私はこう理解しています。キリンは「味を良くした」つもりだったが、顧客が買っていたのは味だけではなかった。ラガーを飲むという行為には、「昔から変わらないものを飲む」という意味が含まれていた。その意味を、味の改良と引き換えに壊してしまったのです。

飲食店で、これほど身につまされる話はありません。長年通ってくれている常連さんが愛しているのは、実は味そのものではなく「変わらないこと」だったりする。だからリニューアルは、しばしば常連を失います。

二〇〇一年 クラシックラガーという回答

キリンが出した答えが、二〇〇一年の「キリンクラシックラガー」です(出典:Wikipedia「麒麟麦酒」「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

生化した「キリンラガービール」とは別に、熱処理製法のものを別ブランドとして復活させたのです。昭和四十年当時の味わいを再現したという位置づけで、いまも販売が続いています。

これは、失った顧客を取り戻すためのほとんど唯一の正解だったと思います。元に戻すのではなく、両方を用意した。ラガーは生のまま残し、熱処理は別の名前で立てる。どちらの顧客も切らない。

飲食店の商品改定に、そのまま効く教訓

この一連の出来事から、私が飲食店の経営者に必ず伝えていることが三つあります。

  1. 看板商品を変えるときは、変える前に「なぜこれを買ってくれているのか」を聞き取る。味が理由だと思い込まない。
  2. 変えるなら、旧版を残す道を最初から設計しておく。「限定復刻」でも「裏メニュー」でもいい。逃げ道があるだけで失敗の傷が浅くなる。
  3. 変えた理由を、変えた本人が語る。黙って変えるのが最悪です。キリンの場合も、「なぜ生にするのか」の説明が消費者に届いていたかどうかが分かれ目でした。

ラガーの生化は、日本のビール史における最大級の分岐点として語られ続けています。ただ私は、これを失敗談として消費するのではなく、「変えることの難しさ」を教えてくれる教材として扱いたいと思っています。

第十章 主要銘柄の発売年表

この年表の作り方と、見方

ここからが、この記事の背骨です。キリンがこれまでに世に出してきたビール類の銘柄を、時代ごとに表にまとめました。定番商品だけでなく、消えていった銘柄、季節限定、地域限定、復刻版まで、確認できたものはできるかぎり載せています

年表の主な出典は、Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」(取得日 二〇二六年八月十八日)と、キリン公式サイトの各ブランドページ・キリン歴史ミュージアムです。二次情報に頼っている部分については、その旨を注記しています。

種別の表記は、次のように使い分けています。

  • ラガー:下面発酵で造られたビール全般
  • ピルスナー:ラガーのうち、淡色でホップの効いたチェコ・ボヘミア由来のスタイル。日本のビールの大半がこれに属します
  • エール:上面発酵で造られたビール
  • 黒ビール/スタウト:濃色麦芽を使った濃い色のビール
  • 発泡酒:酒税法上の区分。麦芽の使用比率などがビールの要件から外れるもの
  • 新ジャンル(第三のビール):麦芽を使わない、または発泡酒にスピリッツ等を加えたもの。二〇二三年十月に区分が発泡酒へ統合されました
  • ノンアルコール:アルコール分一パーセント未満のビールテイスト飲料
  • クラフト:小規模・多様なスタイルを志向したもの(法的な定義はありません)
  • RTD:Ready To Drinkの略。缶チューハイ・缶カクテル。ビールではないため別表に分けています

【表1】明治から戦前まで(1888〜1945年)

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
1870年 (スプリング・バレー・ブルワリー創業) コープランドが横浜・山手に開いた醸造所。キリンの前史にあたる 閉鎖。名称は2015年にブランドとして復活
1888年 キリンビール ラガー(ピルスナー系) ジャパン・ブルワリー・カンパニーが発売した本格ドイツ風ラガー。販売総代理店は明治屋 1988年に「キリンラガービール」へ改称し現行
1919年 キリン黒ビール 黒ビール 濃色麦芽を用いた黒ビール。約80年続いた長寿銘柄 1998年終売
1928年 キリンレモン 清涼飲料(参考) ビール会社が手がけた透明炭酸飲料。現在のキリンビバレッジにつながる 現行
1932年 キリンスタウト スタウト 強く焙煎した麦芽を使った濃色ビール。76年続いた 2008年8月終売

戦前のキリンは、淡色ラガー・黒ビール・スタウト・清涼飲料という構成でした。すでに複数カテゴリを持っていたことが分かります。

【表2】戦後から1970年代まで(1945〜1979年)

銘柄・出来事 種別 内容 現況
1949年 キリンビール(ラベル復活) ラガー 戦後、聖獣「麒麟」の描かれたラベルが青一色刷りで復活 現行ブランド
1954年 年間庫出量でトップシェアを獲得
1957年 キリンビール(ラベル多色刷り化) ラガー ラベルが多色刷りに戻る 現行ブランド
1974年 ロバートブラウン ウイスキー(参考) キリンシーグラム(現キリンディスティラリー)の製品
1976年 マインブロイ プレミアム(ラガー系) キリンの初期プレミアムビール 1991年終売

この三十年、キリンのビール銘柄は驚くほど少ない。ほぼラガー一本と、黒ビール・スタウトだけで市場の六割を押さえていたということです。商品数で戦っていなかった時代の姿がここにあります。

【表3】1980年代――多様化の始まり

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
1980年 キリンライトビール ライトビール 米国で伸びていたライトビールの日本版。市場に受け入れられず、のちに一番搾り開発の教訓となった 終売(1990年説と1999年説あり/要確認)
1983年 キリン生ビール 生(非熱処理ラガー) 「生」を前面に出した缶・びん商品 1989年終売(業務用樽生は1995年頃まで)
1986年 ハートランドビール 麦芽100%ラガー 緑びんにエンボスのみ、ラベルなし。ビアホール「ハートランド」のハウスビールとして誕生。麦芽100% 現行(樽20L/びん500ml・330ml。缶は1991年終了)
1986年 午後の紅茶 清涼飲料(参考) 日本の紅茶飲料市場を切り拓いた 現行
1988年 キリンラガービール(改称) ラガー 「キリンビール」から商品名を変更。ラベルはほぼそのまま 現行
1988年 キリンドライ〈生〉 ドライ系ラガー ドライブームへの対応商品 1989年終売
1988年 キリンファインモルト〈生〉 ラガー 麦芽の質を訴求した商品 1991年終売
1989年 ファインドラフト ラガー 短期で市場から退いた 1990年終売

一九八〇年代に、銘柄数が一気に増えます。そしてその多くが数年で消えている。市場が動いているときに手数を出すのは正しいのですが、手数を出せば当たるわけではないことも、この表は同時に示しています。

【表4】1990年代――一番搾りと、発泡酒前夜

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
1990年3月 キリン一番搾り生ビール ラガー(生) 一番搾り麦汁のみを使用。上品なコク・爽快なのどごし・さっぱりした後口を狙った設計 現行(キリンの主力ブランド)
1990年 キリンドラフト ラガー(生) 1996年終売
1990年 マイルドラガー ラガー 1993年終売
1991年9月11日 キリン秋味 季節限定ラガー 通常ビールの1.3本分の麦芽を使用。アルコール分約6%。「豊饒」をキーワードにした秋季限定 現行(毎年秋季限定)
1991年 浜麒麟 地域限定ラガー 神奈川県限定 終売
1991年 キリンプレミアムビール プレミアム 1991年内に終売
1991年6月 ビール工場 ラガー 1999年終売
1992年 関西風味 地域限定 近畿地方限定 1998年終売
1993年 北のきりん 地域限定 北海道限定 終売
1993年 日本ブレンド ラガー 1994年終売
1993年 キリン冬仕立て 季節限定 冬季限定商品 1994年終売(1996年にも展開)
1994年 キリンアイスビール ラガー 低温処理をうたった商品 1994年内に終売
1996年2月 キリンラガービール(生化) ラガー(生) 主力ラガーを熱処理から非熱処理へ変更。消費者の反発を招いた 現行(生のまま)
1997年 ビール職人 プレミアム 2003年終売
1997年 LA2.5 低アルコールビール アルコール分を抑えた商品 1999年終売
1998年2月 麒麟淡麗〈生〉 発泡酒 副原料に大麦を初めて使用し、ビールに近い味を実現。キリン初の発泡酒 2015年2月に「淡麗極上〈生〉」へリニューアルし現行
1998年 一番搾り 黒生ビール 黒ビール 一番搾り製法の黒 2007年9月終売(同月「一番搾りスタウト」へ)
1998年 キリン黒ビール(1919年〜)が終売
1999年 ラガースペシャルライト ラガー 2000年終売
でらうま 地域限定 東海3県限定 終売

一九九〇年代のキリンは、一番搾りという歴史的なヒットと、ラガー生化という歴史的な痛手を、同じ十年の中で経験している。この振れ幅の大きさが、この会社の一九九〇年代です。

【表5】2000年代――発泡酒・新ジャンルの乱戦

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
2001年 キリンクラシックラガー 熱処理ラガー 昭和40年当時の熱処理製法を再現。生化したラガーとは別ブランドとして復活 現行
2001年 KB ラガー 2001年内に終売
2001年 白麒麟 発泡酒(冬季限定) 冬季限定の白ラベル 2009年で終了
2002年2月 キリン 極生 発泡酒 低価格帯の発泡酒 2008年4月終売
2002年 淡麗グリーンラベル 発泡酒 糖質70%オフをうたう発泡酒。緑のパッケージ 現行
2002年7月 まろやか酵母 チルドビール 要冷蔵のチルド流通商品 2008年3月終売
2003年3月 生黒 発泡酒(黒) 黒い発泡酒 2006年12月終売
2003年6月 ハニーブラウン 発泡酒 蜂蜜を思わせる甘やかな設計 2005年1月終売
2003年 ラガーブルーラベル ラガー 2005年8月終売
2004年5月 ラテスタウト チルド(黒) 2005年3月終売
2004年6月 豊潤 チルドビール のちの「豊潤〈496〉」とは別商品 2007年2月終売
2004年7月 小麦 発泡酒 小麦を使った発泡酒 2005年8月終売
2004年11月 やわらか 発泡酒 2005年10月終売
2004年12月 ホワイトエール チルド(エール) 上面発酵の白ビール 2005年10月終売
2005年4月6日 キリン のどごし〈生〉 新ジャンル 麦芽を使わず、大豆たんぱくを味の決め手に。「ブラウニング製法」で深みを出す 現行(2023年10月以降は発泡酒区分)
2005年春 淡麗アルファ 発泡酒 2008年12月終売
2005年10月 ゴールデンホップ チルドビール 2007年9月終売
2006年2月15日 キリン円熟 発泡酒 2011年3月終売
2006年4月 一番搾り 無濾過〈生〉 チルドビール ろ過をしない一番搾り 2008年4月終売
2007年3月 キリン・ザ・ゴールド ラガー この商品以降、17年間キリンの定番ビール新ブランドは出なかった 2009年2月終売
2007年3月 グランドエール チルド(エール) 2008年3月終売
2007年5月 キリン良質素材 新ジャンル 2008年7月終売
2007年7月11日 キリン ニッポンプレミアム プレミアム 2009年2月終売
2007年9月19日 一番搾り スタウト スタウト 一番搾り製法の黒ビール。「一番搾り 黒生ビール」の後継 現行(一番搾り〈黒生〉)
2007年10月 キリンスパークリングホップ 新ジャンル ホップの香りを立てた設計 2009年7月終売(2012年11月28日再発売)
2008年2月20日 キリンゼロ〈生〉 発泡酒 2010年3月にリニューアル
2008年5月28日 ザ・プレミアム・無濾過〈リッチテイスト〉 チルド(プレミアム) 2010年3月終売
2008年8月 キリンスタウト(1932年〜)が終売
2008年9月17日 キリンスムース 新ジャンル 2009年2月終売
2008年10月22日 キリンストロングセブン 新ジャンル 高アルコールを訴求 2011年3月終売
2008年 円熟 黒 発泡酒(黒) 2008年11月終売
2009年2月10日 淡麗W(ダブル) 発泡酒 2014年終売
2009年3月 キリン一番搾り生ビール(麦芽100%化) ラガー(生) オールモルト化。度数5.5%→5%。「しずくマーク」「麦芽100%」表記を追加 現行
2009年4月8日 キリンフリー ノンアルコール アルコール0.00%を実現したビールテイスト飲料 2017年9月終売
2009年6月24日 キリンコクの時間〈贅沢麦〉 新ジャンル 2013年5月終売
2009年9月9日 キリンホップの真実 新ジャンル 2010年5月終売

この表を眺めていると、めまいがしてきませんか。二〇〇〇年代のキリンは、平均すると年に四〜五本のペースでビール類の新銘柄を出し、そのほとんどが二〜三年で消えています

これは「無駄打ちが多かった」という話ではありません。酒税法の区分が動くたびに、そこに合わせた商品を出さざるを得ない構造があったのです。この構造については第十二章で詳しく解説します。

【表6】2010年代から現在まで

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
2010年3月17日 キリン1000 新ジャンル 2010年9月終売
2010年4月14日 キリン休む日のAlc.0.00% ノンアルコール 2015年12月終売
2010年7月21日 キリン本格〈辛口麦〉 新ジャンル 2013年5月終売
2010年10月6日 冬麒麟 新ジャンル(冬季) 冬季向けの新ジャンル 現行(季節商品)
2011年2月23日 キリン濃い味〈糖質0〉 新ジャンル 糖質ゼロ規格の新ジャンル 現行
2012年2月22日 キリン麦のごちそう 新ジャンル 2013年12月終売
2012年6月19日 グランドキリン クラフト志向ビール コンビニ限定から始まった、香りと個性を打ち出したシリーズ 現行
2013年2月20日 キリン濃い味デラックス 新ジャンル 2016年8月終売
2013年5月14日 キリン澄みきり 新ジャンル 現行
2014年6月11日 キリン一番搾りプレミアム プレミアム 一番搾り製法のプレミアム版 現行
2014年9月2日 淡麗プラチナダブル 発泡酒 現行
2015年1月27日 キリン のどごしZERO 新ジャンル のどごしブランドのゼロ規格 現行
2015年2月 淡麗極上〈生〉 発泡酒 淡麗〈生〉を大麦40%増量してリニューアル 現行
2015年 SPRING VALLEY BREWERY/496 クラフト 直営ブルワリー&レストランを開設。旗艦ビールが「496」 現行
2015年6月16日 パーフェクトフリー ノンアルコール 2025年10月終売
2016〜2017年 47都道府県の一番搾り 地域限定ラガー(熱処理) 全国の工場と各地の醸造家が47通りの味を設計した企画商品 企画終了
2017年4月11日 キリン零ICHI(ゼロイチ) ノンアルコール 一番搾り製法を用い、人工甘味料・苦味料を使わないノンアルコール 現行
2017年4月18日 キリン のどごしスペシャルタイム 新ジャンル 2018年8月終売
2018年3月13日 本麒麟 新ジャンル ドイツ産ホップの一部使用と長期低温熟成。アルコール分6%。発売直後に出荷制限がかかるヒットに 現行
2019年10月15日 キリン カラダFREE ノンアルコール 現行
2020年4月3日 キリン GREEN’S FREE ノンアルコール 現行
2020年10月6日 キリン一番搾り 糖質ゼロ ラガー(糖質ゼロ規格) 約5年の開発期間をかけた糖質ゼロのビール。2025年に製造工程を見直しリニューアル 現行
2021年3月23日 SPRING VALLEY 豊潤〈496〉 クラフト キリンラガーの約1.5倍の麦芽と4種のホップ、ドライホップ製法。アルコール分6% 現行
2024年4月2日 キリンビール 晴れ風 ラガー 麦芽100%。日本産希少ホップ「IBUKI」を使用。アルコール分5%。17年ぶりの定番ビール新ブランド 現行
2025年4月15日 キリン一番搾り ホワイトビール 白ビール 一番搾りブランドの白ビール 現行
2025年9月30日 キリン本格醸造 ノンアルコールラガーゼロ ノンアルコール ラガーの名を冠したノンアルコール 現行
2025年10月7日 キリングッドエール エール(プレミアム) キリンのプレミアム帯におけるエール 現行

【表7】季節限定・地域限定・シリーズ派生

定番の陰に隠れがちですが、キリンは季節限定と派生商品を非常に丁寧に運用してきました。飲食店の期間限定メニューを考えるうえでも参考になる部分です。

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
1991年 キリン秋味 秋季限定ラガー 通常ビールの1.3本分の麦芽。アルコール分約6% 現行(毎年秋)
1993年 キリン冬仕立て 冬季限定 終売
2001年 白麒麟 冬季限定発泡酒 2009年で終了
2002〜2003年秋 毬花一番搾り 秋季限定 ホップの毬花を訴求 終売
2004〜2006年秋 とれたてホップ 一番搾り 秋季限定 収穫したてのホップを使う 「一番搾り とれたてホップ」へ
2007年〜 一番搾り とれたてホップ 秋季限定 岩手県遠野産などの収穫したてのホップを使用 毎年秋に展開
2010年〜 冬麒麟 冬季限定新ジャンル 現行
2017年3月 一番搾り 若葉香るホップ 春季限定 終売
2017年6月 一番搾り 夏冴えるホップ 夏季限定 終売
2020年3月 一番搾り 超芳醇 限定 アルコール分6% 終売
キリンアイスプラスビール 夏季限定 夏向けの限定商品 現行(毎年夏)
キリンブラウマイスター プレミアム ドイツ語で「醸造長」を意味する名を冠した商品 現行

【表8】ノンアルコール・ビールテイスト飲料

発売年 銘柄名 種別 特徴 現況
1997年 LA2.5 低アルコールビール アルコール分を抑えた商品(ノンアルコールではない) 1999年終売
2009年4月8日 キリンフリー ノンアルコール アルコール0.00%を実現した草分け的商品 2017年9月終売
2010年4月14日 キリン休む日のAlc.0.00% ノンアルコール 2015年12月終売
2015年6月16日 パーフェクトフリー ノンアルコール 2025年10月終売
2017年4月11日 キリン零ICHI(ゼロイチ) ノンアルコール 一番搾り製法を採用。人工甘味料・苦味料不使用。アルコール分0.00% 現行
2019年10月15日 キリン カラダFREE ノンアルコール 現行
2020年4月3日 キリン GREEN’S FREE ノンアルコール 現行
2025年9月30日 キリン本格醸造 ノンアルコールラガーゼロ ノンアルコール 「本格醸造」を掲げたノンアルコール 現行

【要確認:キリンの「微アルコール(アルコール分0.5%程度)」カテゴリーの商品について、本稿の調査範囲では確定情報を得られませんでした。市場に出ている微アルコール商品には他社製品も多く、混同を避けるため本稿では銘柄名を挙げていません】

【表9】RTD(缶チューハイ・缶カクテル)――ビールではないが、外せない

ここはビールではありません。RTD(Ready To Drink)と呼ばれる、缶チューハイ・缶カクテルのカテゴリーです。しかしキリンを語るうえで、氷結を外すわけにはいきません。飲食店にとっても、ビール以外のアルコールをどう組むかは死活問題です。

発売年 銘柄名 種別 特徴 現況
2001年7月 キリン 氷結(発売当初は「氷結果汁」) RTD(缶チューハイ) 東洋製罐が開発した「ダイヤカット缶」を採用。発売時はシチリア産レモンとグレープフルーツの2フレーバー。発売から半年で611万ケース(250ml缶換算)を販売 現行
2003年頃〜 キリン 本搾りチューハイ RTD 果汁と酒だけで造る設計 現行
2004年9月 酔茶チューハイ RTD 2005年7月終売
2006年5月 お茶のチューハイ RTD 2006年8月終売
2007年9月 キリンカクテル スパークル RTD 2008年5月終売
2010年2月 キリン 世界のハイボール RTD 2011年3月終売
2010年11月 I.W.ハーパーハイボール/フォアローゼズハイボール RTD 2012年5月終売
2011年1月 キリン夜カフェ RTD 終売
2019年2月21日 氷結の「ダイヤカット缶」が立体商標として登録された旨が公表される。酒類・食品業界での立体商標登録は珍しい

(出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」「氷結 (チューハイ)」、GetNavi web、流通ニュース/取得日 二〇二六年八月十八日)

氷結という商品を、私はこう読む

氷結について、少しだけ書かせてください。この商品の本質は、缶のデザインにあります

東洋製罐が開発したダイヤカット缶は、缶の側面に凹凸のダイヤ形状を刻んだものです。中身の圧力によって、開栓すると「パキパキッ」と音を立てて形が変わる。冷たさと爽快感を、味ではなく音と手触りで表現したわけです。

発売から半年で六一一万ケース、翌二〇〇二年には缶チューハイ市場でシェア三割に達したと報じられています(出典:GetNavi web/取得日 二〇二六年八月十八日)。

飲食店に置き換えれば、器の話です。同じ料理でも、器と提供の所作で満足度は大きく変わる。氷結は、それを工業製品でやってのけた例だと私は思っています。二〇一九年に缶の形そのものが立体商標として登録されたというのは、その価値が法的にも認められたということです。

年表から読み取れる三つのこと

ここまで一〇〇を超える銘柄を並べてきました。この年表から、私は次の三つを読み取っています。

第一に、生き残る銘柄には共通点があります。ラガー、一番搾り、淡麗、のどごし、氷結、秋味、ハートランド。これらはすべて「その商品でしか言えないこと」を名前か製法のどちらかに持っている。逆に、短命だった銘柄の多くは、名前を聞いても中身が想像できません。

第二に、消えた銘柄の大半は二〇〇〇年代に集中しています。これは商品開発が下手だったのではなく、酒税法の区分が動き、そのたびに新しい枠に合わせた商品を出さなければならなかったからです。制度が商品を作らせ、制度が商品を殺した。この構造は第十二章で詳述します。

第三に、二〇一〇年代以降、新銘柄の投入ペースが明確に落ちています。そして残った銘柄を長く育てる方向へ舵が切られている。二〇二四年の晴れ風が「一七年ぶりの定番ビール新ブランド」と報じられたのは、その象徴です。数を打つ時代から、育てる時代へ。これは飲食店のメニュー戦略にもそのまま当てはまる転換です。

第十一章 ビールの種類がわかる章

ここからは、銘柄ではなく「種類」そのものの話をします。この章だけ読んでも、ビールの分類が一通り分かるように書きました。飲食店の方は、スタッフ教育の資料としてそのまま使っていただいてもかまいません。

そもそも、ビールは何でできているか

ビールの基本原料は四つです。

  • 麦芽(モルト):大麦を発芽させて乾燥させたもの。糖分と、色・香ばしさの源になります
  • ホップ:つる性植物の毬花。苦みと香り、そして保存性を与えます
  • :ビールの九割以上は水です。硬度や成分が味を大きく左右します
  • 酵母:糖をアルコールと炭酸ガスに変える微生物。ビールの種類を決める最大の要素です

これに加えて、日本のビールでは副原料(米、コーンスターチ、スターチ、糖類など)が使われることがあります。副原料は「かさ増し」と誤解されがちですが、実際には味を軽快にし、キレを出すための設計要素です。麦芽一〇〇パーセントが常に上等だという話ではありません。

ラガーとエール――酵母と温度の違い

ビールの最も大きな分類が、ラガーエールです。これは酵母の種類と、発酵させる温度の違いによります。

項目 ラガー(下面発酵) エール(上面発酵)
酵母のふるまい 発酵の終わりにタンクの底に沈む 発酵中にタンクの上部へ浮き上がる
発酵温度 おおむね低温(10℃前後) おおむね常温に近い温度(20℃前後)
発酵期間 比較的長い 比較的短い
味わいの傾向 クリアで雑味が少なく、キレがある 果実のような華やかな香りが出やすい
代表的なスタイル ピルスナー、ヘレス、デュンケル、ボック ペールエール、IPA、スタウト、ヴァイツェン
キリンの例 キリンラガービール、一番搾り、晴れ風 キリングッドエール、グランドエール(終売)

覚え方は簡単です。「低温でじっくり=ラガー」「常温で短く=エール」。日本のビールの大半はラガーです。なぜかというと、低温で長く発酵させたほうが雑味の少ないクリアな味になり、しかも大量生産に向いているからです。

歴史的には、エールのほうが古い。冷却技術がなかった時代は、常温で発酵させるしかなかったからです。低温発酵のラガーが広まったのは、冷凍機が実用化された一九世紀後半以降でした。キリンビールが一八八八年にドイツ風ラガーとして生まれたのは、まさにその技術革新の直後だったということになります。

ピルスナーが世界を席巻した理由

ラガーの中で最も普及したスタイルがピルスナーです。一八四二年、当時のボヘミア(現在のチェコ)のピルゼンという町で生まれました。

ピルスナーの特徴は、淡い黄金色ホップの効いたすっきりした苦みです。それまでのビールは濁っていて色も濃いものが主流でしたが、ちょうどこの時代にガラス製のジョッキやグラスが普及し始めます。「透明な容器に注いだときに美しい」という価値が、初めて意味を持ったのです。

見た目で選ばれるビールが生まれた。これは飲食店の商売にとっても大きな話です。黄金色に泡が乗ったジョッキという絵は、一八四二年以降に発明された商品体験なのです。

日本のビールの大半は、このピルスナーの系譜に属します。キリンラガー、一番搾り、晴れ風、いずれもそうです。

黒ビール、スタウト、ポーター

色の濃いビールについても整理しておきます。

  • 黒ビール:日本での一般的な呼び方。濃色麦芽(焙煎した麦芽)を使って色と香ばしさを出したビール全般を指します。ラガーの黒もエールの黒もあります
  • ポーター:一八世紀のロンドンで生まれた濃色エール。荷運び人(porter)に好まれたことが名の由来とされます
  • スタウト:もともとは「強い(stout)ポーター」の意味。焙煎麦芽の香ばしさとコーヒーのような苦みが特徴です

キリンにはキリン黒ビール(一九一九〜一九九八年)キリンスタウト(一九三二〜二〇〇八年)という二つの長寿黒ビールがありました。現在は一番搾り〈黒生〉(二〇〇七年発売の「一番搾り スタウト」の系譜)が担っています。

飲食店の実務で言えば、黒ビールは一杯の単価を上げる商品です。二杯目以降の提案として非常に有効で、しかも「黒、ありますよ」の一言で済む。ハーフ&ハーフにできるのも強みです。

熱処理ビールと生ビール(非熱処理)の違い

ここは日本のビールを語るうえで、避けて通れない論点です。

ビールは、発酵を終えた時点で酵母が生きています。そのまま容器に詰めると、酵母が働き続けて味が変わってしまう。そこで酵母を止める必要があります。方法は二つあります。

  • 熱処理(パストリゼーション):加熱によって酵母を失活させる方法。味が安定し、日持ちがよくなります。一方で加熱による風味の変化が生じます
  • 非熱処理(ろ過):微細なフィルターで酵母を取り除く方法。加熱しないため、香りや味が発酵直後に近い状態で保たれます

日本で「生ビール」と呼ばれるのは、後者の非熱処理のものです。つまり「生」は樽か缶かの違いではありません。缶でも非熱処理なら生ビールですし、樽詰めでも熱処理していれば生ではありません。ここを誤解している飲食店スタッフは、本当に多い。

キリンの商品で言えば、キリンラガービールは一九九六年に熱処理から非熱処理(生)へ変更されました。一方、キリンクラシックラガーは熱処理製法です。つまり同じキリンのラガーでも、この二つは製法が違う。飲み比べると、はっきり違いが分かります。

私が飲食店の方にお勧めしているのは、この二本を並べて飲み比べる会をスタッフでやることです。同じ会社の、同じ「ラガー」という名前の商品で、熱処理と非熱処理を比べられる。これほど分かりやすい教材はありません。

「生ビール」表示のルール

「生ビール」という表示は、業界の公正競争規約で定義されています。熱処理をしていないビールにのみ「生ビール」「ドラフトビール」と表示できるというのが、その骨子です。

逆に言えば、「うちは樽だから生」という説明は誤りです。お客さまに聞かれたときに正しく答えられるかどうかで、店の信用は変わります。

一番搾り製法を、もう一度工程で理解する

第八章で書いた一番搾り製法を、ビール製造の全工程の中に置き直しておきます。

  1. 製麦:大麦を発芽させ、乾燥させて麦芽にする
  2. 粉砕:麦芽を砕く
  3. 仕込(糖化):砕いた麦芽をお湯と混ぜ、酵素の働きででんぷんを糖に変える
  4. 麦汁ろ過:糖化したもろみをろ過槽へ。ここで最初に自然に流れ出るのが「一番搾り麦汁」。残った麦芽層にお湯をかけて回収するのが「二番搾り麦汁」
  5. 煮沸:麦汁を煮沸し、ホップを加える
  6. 発酵:酵母を加え、糖をアルコールと炭酸ガスに変える
  7. 熟成(貯酒):低温で寝かせ、味を整える
  8. ろ過・熱処理:酵母を取り除く(または加熱で止める)
  9. 充填:缶・びん・樽に詰める

つまり一番搾り製法とは、工程4だけを特別にした製法です。他の工程は変えていない。たった一工程の判断が、三十六年続くブランドを生んだわけです。

デコクションとインフュージョン

仕込(糖化)の方法にも二つの流儀があります。

  • インフュージョン法:一つの槽の中で温度を段階的に上げていく方法。イギリス系のビールで多く使われます
  • デコクション法:もろみの一部を取り出して煮沸し、それを戻すことで全体の温度を上げる方法。ドイツ・チェコ系の伝統的な手法で、麦芽由来の香ばしさと厚みが出やすいとされます

キリンは二〇二五年、一番搾り糖質ゼロのリニューアルにあたってデコクション(煮沸をともなう糖化)を用いた仕込みで深みを出す方向を採ったと報じられています(出典:日本経済新聞、二〇二五年六月/取得日 二〇二六年八月十八日)。

【要確認:当該リニューアルの製法呼称について、キリン公式リリースでの表現を直接確認できていません。日経記事の記述に基づく記載です】

ドライホップとは何か

ホップは通常、煮沸の工程で加えます。加熱することで苦み成分が抽出されるからです。ところが加熱すると、ホップの華やかな香りは飛んでしまう。

そこで、発酵後や熟成中に、加熱せずにホップを漬け込むという手法が使われます。これがドライホップです。苦みを増やさずに香りだけを立てられるため、クラフトビール、とくにIPAでは定番の技法になっています。

キリンのSPRING VALLEY 豊潤〈496〉は、キリンラガーの約一・五倍の麦芽と四種類のホップを使い、ドライホップ製法を用いることで、苦みを抑えながら豊かな香りを実現していると説明されています(出典:キリンホールディングス プレスリリース/日本ビアジャーナリスト協会/取得日 二〇二六年八月十八日)。

発泡酒とは何か――酒税法の定義から

ここからが、日本独特の話です。発泡酒新ジャンルは、味のカテゴリーではありません。税金のカテゴリーです。ここを理解しないと、なぜあれほど多くの銘柄が生まれては消えたのかが分かりません。

日本の酒税法では、「ビール」と名乗れる条件が定められています。おおまかに言えば、麦芽の使用比率が一定以上であることと、使ってよい副原料が定められた範囲内であることです。

この条件から外れた麦芽使用の発泡性酒類が発泡酒です。麦芽比率が低い、あるいは規定外の副原料を使っている。そうすると「ビール」とは名乗れませんが、その代わりに酒税が安くなる

ここに商機を見出したのが、一九九〇年代のビール各社でした。安く売れるビール風の酒を作れる。不況下の日本で、これが猛烈に売れたのです。

新ジャンル(第三のビール)の二つの型

次に生まれたのが新ジャンル、いわゆる第三のビールです。これには二つの型があります。

  • 麦芽をまったく使わない型:えんどうたんぱく、大豆たんぱく、とうもろこしなどを原料に、ビール風の発泡性酒類を造る。キリンののどごし〈生〉がこの型です
  • 発泡酒にスピリッツ等を加える型:発泡酒をベースに、麦由来のスピリッツなどを混和する。こちらは「リキュール(発泡性)」などに分類されました

二〇〇三年、サッポロビールが原料に麦芽や麦を使わない酒類を発売したことが、この市場の始まりとされています(出典:Wikipedia「発泡酒」/取得日 二〇二六年八月十八日)。翌二〇〇四年には、新ジャンルが市場の約五パーセントを占めるまでになりました(出典:キリンジャーナル「キリンの太鼓判!『チームキリン』が挑んだ『キリン のどごし〈生〉』誕生秘話」二〇二五年八月二十九日/取得日 二〇二六年八月十八日)。

二〇二三年十月、「第三のビール」という区分が消えた

二〇一八年(平成三十年)に酒税法が改正され、ビール系飲料の税率を段階的に一本化していくことが決まりました。

その第二段階として、二〇二三年十月一日から「第三のビール」という区分が廃止され、発泡酒に統合されました(出典:Wikipedia「発泡酒」ほか/取得日 二〇二六年八月十八日)。

キリンは二〇二四年三月、「酒類の品目等の表示義務」改正に伴い、新ジャンル商品の品目および税率適用区分の表示を変更する旨を公表しています(出典:キリン「『酒類の品目等の表示義務』改正に伴う新ジャンル商品の品目及び税率適用区分の表示変更について」二〇二四年三月五日/取得日 二〇二六年八月十八日)。

つまり、のどごし〈生〉や本麒麟の缶に書かれている品目表示は、いまは「発泡酒」になっています。中身が変わったわけではなく、制度上の呼び名が変わったのです。お客さまから聞かれたときに説明できるようにしておくと、店の信頼につながります。

二〇二六年十月、五四・二五円への一本化

そして、この記事を書いている二〇二六年八月時点で目前に迫っているのが、二〇二六年十月の酒税一本化です。

三五〇ミリリットル換算の酒税額の推移を整理すると、次のようになります。

時期 ビール 発泡酒 第三のビール(新ジャンル)
2020年10月改正前 77円 46.99円 28円
2020年10月〜 70円 46.99円 37.8円
2023年10月〜 63.35円 46.99円 46.99円(発泡酒へ統合)
2026年10月〜 54.25円に一本化

(出典:辻・本郷 税理士法人「二〇二六年にビール系飲料の酒税が統一」、四国銀行「酒税一本化とは?」ほか/取得日 二〇二六年八月十八日)

【要確認:改正前の税額(ビール77円・第三のビール28円)は二次情報に基づく概数です。正確な税率は国税庁の公表資料でご確認ください】

この改正が何を意味するか。ビールは安くなり、発泡酒と新ジャンルは高くなる。つまり価格差で商品を選ぶ理由が消えるのです。

これは飲食店にとっても、メーカーにとっても、地殻変動です。第十六章で改めて論じます。

ノンアルコールビールは、どうやって造るのか

ノンアルコール・ビールテイスト飲料の造り方には、大きく三つのアプローチがあります。

  • 脱アルコール法:普通にビールを造ってから、アルコールだけを取り除く。減圧蒸留や膜分離が使われます。ビールらしい風味が残りやすい一方、設備と手間がかかります
  • 発酵抑制法:発酵をほとんど進めないか、途中で止めることでアルコールが生じないようにする
  • 非発酵法:そもそも発酵させず、麦芽エキス・ホップ・香料などを配合してビール風の飲料を造る

日本では、酒税法上「アルコール分一度未満」であれば酒類に該当しません。さらに市販のノンアルコールビールの多くはアルコール分〇・〇〇パーセントを掲げています。

キリンの零ICHI(ゼロイチ)は、一番搾り生ビールで採用している一番搾り製法をノンアルコール・ビールテイスト飲料にも採用し、人工甘味料や苦味料を使用せず、よりビールに近い味わいを目指した商品です(出典:キリン「キリン 零ICHI(ゼロイチ)」商品ページ/取得日 二〇二六年八月十八日)。アルコール分は〇・〇〇パーセント、発売は二〇一七年四月十一日です。

飲食店の実務としては、ノンアルコールの一杯をきちんとメニューに載せているかどうかが、いまは来店動機を左右します。運転する方、飲めない方、その日は飲まない方。その人たちが「頼めるものがない」と感じた瞬間に、グループごと予約が飛びます。ノンアルコールは、その一人のための商品ではなく、テーブル全体を守るための商品です。

糖質ゼロ・プリン体などの表示について

「糖質ゼロ」「糖質七〇パーセントオフ」といった表示は、栄養表示基準に基づくものです。たとえば「ゼロ」を名乗るには、一〇〇ミリリットルあたりの糖質が定められた基準値未満である必要があります。

この記事では、これらの表示が健康にどう影響するかについては一切書きません。あくまで「そういう規格の商品が存在する」という事実として扱います。酒類を扱う以上、健康上の効能をうたうことは適切ではないと考えるからです。飲食店のメニューやPOPでも、同じ姿勢をお勧めします。

用語の早見表

用語 意味
麦芽(モルト) 大麦を発芽・乾燥させたもの。ビールの糖分と色の源
ホップ 苦みと香り、保存性を与えるつる性植物の毬花
麦汁 糖化を終えて得られる、甘い液体。発酵前の状態
一番搾り麦汁 ろ過槽で原料の自重だけで最初に流れ出る麦汁
二番搾り麦汁 残った麦芽層にお湯をかけて回収する麦汁
下面発酵 酵母が底に沈む低温発酵。ラガー
上面発酵 酵母が上に浮く常温寄りの発酵。エール
ピルスナー 淡色でホップの効いたラガー。日本のビールの主流
スタウト 焙煎麦芽を使った濃色ビール。もとは「強いポーター」の意
熱処理 加熱で酵母を失活させる方法
生ビール 熱処理をしていないビール。樽か缶かは関係ない
ドライホップ 加熱せずにホップを漬け込み、香りだけを移す技法
デコクション もろみの一部を煮沸して戻す糖化法
発泡酒 酒税法上、ビールの要件から外れた麦芽使用の発泡性酒類
新ジャンル 麦芽不使用、または発泡酒に他の酒類を加えたもの。2023年10月に発泡酒へ統合
RTD Ready To Drink。缶チューハイ・缶カクテル
IBU 苦みの指標。数値が大きいほど苦い

第十二章 発泡酒・新ジャンルの攻防と、酒税法

一九九〇年代、なぜ発泡酒が生まれたのか

バブル崩壊後の日本で、消費者は明確に安さを求めるようになりました。そこにビール各社が見つけたのが、酒税法の隙間です。

麦芽比率を下げれば、酒税が安くなる。安くなった分を価格に反映すれば、ビールより安いビール風の酒が売れる。この発想から生まれたのが発泡酒でした。

ここで重要なのは、これは脱法行為ではないということです。法律が定めた区分に沿って商品を設計しているだけです。ただし国から見れば、税収が減る。だから制度が変わる。そしてまた新しい区分に合わせた商品が生まれる。この繰り返しが、二〇〇〇年代の日本のビール市場を作りました。

一九九八年二月、麒麟淡麗〈生〉――大麦という発明

キリンは発泡酒市場への参入が他社より遅れました。しかし、一九九八年二月に発売した麒麟淡麗〈生〉で一気に市場を塗り替えます(出典:Wikipedia「麒麟淡麗〈生〉」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

この商品の技術的な核心は、副原料に大麦を初めて使用したことでした。それによってビールに近い味わいを実現し、発泡酒市場そのものを大幅に拡大させたのです。

ここを味わってほしい。「安いから買う」商品を、「うまいから買う」商品に引き上げたのです。安さで参入した市場を、品質で獲りに行った。キリンらしい戦い方だと私は思います。

淡麗はその後も麦の使用量を増やし続けています。

時期 内容
1998年2月 麒麟淡麗〈生〉発売。副原料に大麦を初めて使用
2005年1月 大麦を20%以上増量
2007年12月 さらに10%増量
2015年2月 大麦40%増量。「淡麗極上〈生〉」へリニューアル

(出典:Wikipedia「麒麟淡麗〈生〉」/取得日 二〇二六年八月十八日)

発泡酒という安い区分の中で、二十年近くかけて麦を増やし続けている。制度の枠内で、できるかぎり良いものにする。これは非常に地道な仕事です。

二〇〇二年 淡麗グリーンラベルと極生

二〇〇二年二月にキリン 極生、同じく二〇〇二年に淡麗グリーンラベルが発売されます(出典:Wikipedia「麒麟麦酒」「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

極生は価格帯を下げた発泡酒で、二〇〇八年四月に終売。一方、淡麗グリーンラベルは糖質七〇パーセントオフという規格で、いまも生き残っています

この対比が示しているのは、安さだけで作った商品は、より安い商品が出た瞬間に死ぬということです。グリーンラベルには「糖質を抑えたい人向け」という、価格以外の選ばれる理由がありました。だから残った。

二〇〇五年 のどごし〈生〉――麦芽ゼロからの設計

キリンの新ジャンルの主力が、のどごし〈生〉です。開発の経緯が公式に詳しく語られているので、追ってみます(出典:キリンジャーナル「商品ブランドの歴史:キリンの太鼓判!『チームキリン』が挑んだ『キリン のどごし〈生〉』誕生秘話」二〇二五年八月二十九日/取得日 二〇二六年八月十八日)。

時期 出来事
2000年8月 麦芽を使用しないビール系飲料の研究開発を開始
2001年 試験醸造品での消費者調査を実施
2002年 さまざまなたんぱく素材での試験醸造を実施
2003年 業界初の新ジャンル商品が市場に登場
2004年 新ジャンルが市場の約5%を占めるまでに成長
2005年4月6日 「キリン のどごし〈生〉」全国発売
2006年8月 「ブラウニング製法」が特許を取得

注目してほしいのが、研究開始が二〇〇〇年八月だという点です。業界初の新ジャンル商品が市場に出たのが二〇〇三年ですから、キリンは市場が生まれる三年前から、麦芽を使わない酒の研究を始めていたことになります。

後追いに見えて、実は先回りしていた。一九八八年のドライ追随で懲りた会社が、次の波では三年前から準備していた。私はここに、この会社の学習能力を見ます。

ブラウニング製法と大豆たんぱく

のどごし〈生〉の技術的な核は二つです。

第一に、大豆たんぱく。これは味の決め手であると同時に、酵母の栄養源となって発酵を促進する働きも担っています(出典:同上)。麦芽を使えないなら、酵母が食べるものを別に用意しなければならない。その解が大豆たんぱくでした。

第二に、ブラウニング製法アミノカルボニル反応(食品を加熱したときに香ばしい色と香りが生まれる反応)を意図的に起こすことで、深みのある味と香りを実現する製法です。これによって、着色料を使わずに自然な黄金色を出しています(出典:同上)。

開発チームは一六〇回以上の試験醸造を重ねたと公表されています。そして二〇〇五年から二〇二四年までの二十年間、連続して年間五億本(三五〇ミリリットル缶換算)を出荷している(出典:同上)。

二十年間、毎年五億本。これは驚異的な数字です。

二〇一八年 本麒麟という反撃

二〇一八年三月十三日、本麒麟が発売されます(出典:キリン プレスリリース/日本経済新聞/取得日 二〇二六年八月十八日)。

特徴は、爽やかで上質な苦みが特長のドイツ産ホップの一部使用と、長期低温熟成。アルコール分は六パーセントです。

販売予定数は約五一〇万ケース(六五、〇〇〇キロリットル/大びん換算)とされていましたが、発売直後に出荷制限がかかり、初年度で累計出荷本数(三五〇ミリリットル缶換算)は三億本を突破したと報じられています(出典:流通ニュース、価格.comマガジン/取得日 二〇二六年八月十八日)。

本麒麟の名前の付け方が、私は好きです。「本」の一文字。新ジャンルという、安さで語られてきたカテゴリーに、「本物」という言葉をぶつけた。しかも「麒麟」という社名そのものを商品名にしている。これは会社としての覚悟の表明です。

飲食店のメニュー命名でも、同じことが言えます。安いカテゴリーの商品に、価格以外の理由を与える言葉を付けられるか。ランチメニューでも、ハイボールでも、原理は同じです。

消えていった新ジャンルたち

第十章の表を見返してください。二〇〇七年から二〇一三年にかけて、キリンは実に多くの新ジャンル商品を出しては引っ込めています。

  • キリン良質素材(2007年5月〜2008年7月)
  • キリンスパークリングホップ(2007年10月〜2009年7月、2012年11月再発売)
  • キリンスムース(2008年9月〜2009年2月)
  • キリンストロングセブン(2008年10月〜2011年3月)
  • キリンホップの真実(2009年9月〜2010年5月)
  • キリンコクの時間〈贅沢麦〉(2009年6月〜2013年5月)
  • キリン1000(2010年3月〜2010年9月)
  • キリン本格〈辛口麦〉(2010年7月〜2013年5月)
  • キリン麦のごちそう(2012年2月〜2013年12月)

半年で消えた商品もあります。キリン1000は、二〇一〇年三月に出て九月には終売です。

これを笑うことはできません。当時のこのカテゴリーは、各社が毎年新商品を投入し、棚の取り合いをしていました。出さなければ棚を失う。出せば失敗のリスクがある。制度が作った市場の中で、企業は走り続けるしかなかったのです。

飲食店にとっての発泡酒・新ジャンル

実務の話をします。飲食店では、発泡酒と新ジャンルはほとんど扱われてきませんでした。理由は単純で、樽での供給が中心ではないこと、そして「安いお酒を出している店」という印象を避けたいからです。

ただし二〇二六年十月の一本化で、この前提が変わります。ビールと発泡酒の税差が消えるなら、あえて発泡酒を選ぶ理由が薄れる。家庭用市場では、ビールへの回帰が進むという見方が有力です。

これは飲食店にとって、むしろ追い風になり得ます。家でビールを飲む習慣が戻れば、店でビールを飲む心理的なハードルも下がるからです。第十六章で改めて考えます。

第十三章 グループの姿――ビール会社が医薬と健康に広がった理由

この章は、キリンという企業グループの事業構造の話です。健康上の効能については一切書きません。あくまで「この会社がどういう事業を持っているか」という構造の説明として読んでください。

一九一八年の研究部から、一九四三年の麒麟科学研究所へ

すでに書いたとおり、キリンは一九一八年に研究部を設置し、一九四三年に麒麟科学研究所を開設しています(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

ビール造りは、微生物を扱う仕事です。酵母を管理し、雑菌を排除し、発酵をコントロールする。これは応用微生物学そのものです。ビール会社が生命科学の会社になっていくのは、実は必然に近い

一九八二年、医薬領域へ/一九八四年 キリン・アムジェン

一九八二年、キリンは医薬領域の研究開発を開始します。そして一九八四年、キリン・アムジェン社を設立(出典:同上)。

アムジェンは米国のバイオテクノロジー企業です。ビール会社が、バイオベンチャーと合弁を組む。一九八〇年代の日本企業としては、かなり先進的な動きです。

一九八八年には、ラホヤアレルギー免疫研究所の設立を支援しています(出典:同上)。

一九九〇年 エスポー、二〇〇八年 協和発酵キリン

一九九〇年、医薬品「エスポー」を発売(出典:同上)。一九八二年の研究開始から八年で製品化にこぎ着けたことになります。

そして二〇〇七年にキリンファーマ株式会社を設立二〇〇八年に協和発酵バイオ株式会社を設立し、協和発酵キリン株式会社が発足します(出典:同上)。

ビール会社の研究部から始まったものが、日本を代表するバイオ医薬企業の一角になった。一九一八年の一行が、九十年後にここまで来ているわけです。

キリンビバレッジと、清涼飲料の系譜

飲料事業の系譜も追っておきます。

出来事
1928年 キリンレモン発売
1963年 自動販売サービス株式会社(現キリンビバレッジ)設立
1976年 小岩井乳業株式会社設立
1977年 KW Inc.(コカ・コーラボトリング事業)設立
1985年 「リフレ」発売
1986年10月 「午後の紅茶」発売
1991年 清涼飲料部門を分割し「キリンビバレッジ」を設立

(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」、Wikipedia「麒麟麦酒」「午後の紅茶」/取得日 二〇二六年八月十八日)

午後の紅茶は一九八六年十月発売。日本の紅茶飲料市場を切り拓いた商品です。同じ一九八六年に、ハートランドビールも生まれています。この年のキリンは、ビールでも飲料でも、既存の型を外した商品を出している。偶然ではないと思います。

洋酒・ワイン――キリンシーグラムからメルシャンへ

出来事
1972年 キリンシーグラム株式会社(現キリンディスティラリー)設立
1974年 「ロバートブラウン」発売
2002年 Four Roses事業権を取得
2006年 メルシャン株式会社を連結子会社化

(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)

これにより、キリングループはビール・発泡酒・新ジャンル・RTD・ウイスキー・ワインという、酒類のほぼ全カテゴリーを持つことになりました。富士御殿場蒸溜所とシャトー・メルシャンは、いずれも見学可能な施設として運営されています(第十五章で触れます)。

海外事業――サンミゲル、ライオン、ブラジルキリン

二〇〇二年、San Miguel Corporationに資本参加(出典:同上)。フィリピンの巨大飲料・食品企業です。

その後、オーストラリアのライオン社をはじめとする海外事業を展開しますが、二〇一七年にブラジルキリンを売却しています(出典:同上)。

海外展開は、成功と撤退の両方を含みます。ブラジルからの撤退は、この会社にとって大きな判断でした。撤退できる会社は強い、というのが私の考えです。損切りができない経営は、傷を広げるだけですから。

二〇一九年 ファンケル、二〇二三年 Blackmores

近年のキリンを理解するキーワードがヘルスサイエンスです。

出来事
2002年 「KW乳酸菌」を発見
2010年 「プラズマ乳酸菌」を発見
2017年 「iMUSE」発売/ブラジルキリンを売却
2019年 CSVパーパスを策定/iMUSEヘルスサイエンスファクトリー設立/ファンケルに資本参加
2020年 「iMUSE」が機能性表示食品として届出受理
2023年 Blackmoresを連結子会社化

(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)

Blackmoresはオーストラリアの自然健康食品企業です。ファンケルは日本の化粧品・健康食品企業。キリンは、酒類・飲料に続く第三の柱として、この領域を明確に育てにきています

繰り返しますが、本稿ではこれらの製品の効能については書きません。あくまで事業ポートフォリオの構造として記述しています。

二〇二五年十二月期のキリングループ

現在のキリンホールディングスの規模を、公式資料の数字で押さえておきます。

項目 数値
設立年月日 1907年(明治40年)2月23日 ※2007年7月1日に持株会社化に伴い商号変更
本社所在地 東京都中野区中野四丁目10番2号(中野セントラルパークサウス)
資本金 102,046百万円
売上収益 2,433,363百万円(2025年12月期・連結)
従業員数 31,144人(2025年12月時点・連結)

(出典:キリンホールディングス「会社概要」/取得日 二〇二六年八月十八日)

また、二〇二五年十二月期の決算では、事業利益が前年比一九・三パーセント増で過去最高となり、ファンケルの完全子会社化によりヘルスサイエンス事業が黒字転換したと報じられています(出典:キリンホールディングス 二〇二五年十二月期 決算短信、二〇二六年二月十三日開示/The社史/取得日 二〇二六年八月十八日)。

キリンビール社については、決算短信の中で「二〇二六年のビール類酒税一本化をはじめとする酒税改正を見据え、主力ブランドを中心に投資を強化し、魅力あるブランドポートフォリオの構築に取り組んだ」と説明されています(出典:同上)。

「食と健康」という一本の線

ここまでを整理すると、キリングループの事業はこう並びます。

  • ビール・発泡酒・新ジャンル(キリンビール)
  • RTD・ウイスキー・ワイン(キリンディスティラリー、メルシャン)
  • 清涼飲料(キリンビバレッジ)
  • 乳製品(小岩井乳業)
  • 医薬(協和キリン)
  • ヘルスサイエンス(ファンケル、Blackmores、iMUSEなど)

一見バラバラに見えますが、すべてが「発酵」と「微生物」と「口に入るもの」でつながっている。一九一八年の研究部から一本の線が引けます。

飲食店の多角化を考えるときにも、この視点は役に立ちます。店舗を増やす、業態を増やす、通販を始める――どれをやるにしても、既存の強みから線が引けるかどうか。線が引けない多角化は、たいてい失敗します。

第十四章 現在――クラフト、ノンアル、そして飲食店との接点

二〇一五年、SPRING VALLEY BREWERYという名の帰還

二〇一五年、キリンはSPRING VALLEY BREWERY(スプリングバレーブルワリー)を開設します。旗艦ビールは「496」(出典:日本ビアジャーナリスト協会/取得日 二〇二六年八月十八日)。

この名前を見たとき、私は思わず唸りました。スプリング・バレー――一八七〇年にコープランドが横浜・山手に開いた、あの醸造所の名前です。一四五年の時を越えて、キリンが自社のクラフトビール事業に、自らの前史の名前を与えた。

ブランドの作り方として、これほど美しい手はありません。新しいものを始めるときに、自分の歴史のいちばん深いところから名前を借りてくる。ゼロから作った名前には出せない重さが、最初から乗ります。

ブルワリーは、二〇二一年一月までに一五〇万人以上が訪れたと報じられています(出典:日本ビアジャーナリスト協会/取得日 二〇二六年八月十八日)。

「496」という数字の由来については諸説語られていますが、本稿で確証を取れた一次情報がないため、断定は避けます。

【要確認:「496」という名称の由来について、キリン公式の説明を直接確認できていません】

二〇二一年、SPRING VALLEY 豊潤〈496〉が缶になった

二〇二一年三月二十三日、SPRING VALLEY 豊潤〈496〉が全国発売されます(三月一日からTap Marchéおよびスプリングバレーブルワリー直営店で先行提供/出典:キリンホールディングス プレスリリース、BCN+R/取得日 二〇二六年八月十八日)。

仕様を整理します。

項目 内容
麦芽 キリンラガービールの約1.5倍
ホップ 4種類を使用。ドライホップ製法
狙い 豊かな香りを出しつつ、苦みを抑える
アルコール分 6%
容量 350ml缶・500ml缶
製造 横浜工場・取手工場・滋賀工場

(出典:キリンホールディングス プレスリリース/BCN+R/キリン ホームタップ商品ページ/取得日 二〇二六年八月十八日)

この商品の位置づけは明快です。クラフトビールを、コンビニとスーパーの棚に置く。専門店に行かないと出会えなかったカテゴリーを、日常の買い物動線に持ち込む。キリンはこれを「クラフトビール市場一・五倍の拡大を目指す」と表現していました(出典:キリンホールディングス プレスリリース/取得日 二〇二六年八月十八日)。

飲食店から見ると、これは両義的です。家で本格的なビールが飲めるようになれば、店に行く理由が減る。しかし同時に、「クラフトビールとはこういうものだ」と知る人が増えることでもある。市場が育つのは、長い目で見れば飲食店にとってプラスです。

二〇二四年 晴れ風――一七年ぶりの新ブランド

二〇二四年四月二日、「キリンビール 晴れ風」が全国発売されました(出典:キリンホールディングス プレスリリース/日本経済新聞/取得日 二〇二六年八月十八日)。

報道では、二〇〇七年の「ザ・ゴールド」以来、一七年ぶりの定番ビール新ブランドと伝えられています(出典:日本経済新聞/神奈川新聞/取得日 二〇二六年八月十八日)。

仕様は次のとおりです。

項目 内容
発売日 2024年4月2日(火)
麦芽 麦芽100%
ホップ 日本産希少ホップ「IBUKI」を使用
香りの設計 爽やかな柑橘香。奥ゆかしく、穏やかに香る設計
アルコール分 5%
初年度販売目標 約430万ケース(報道ベース)

(出典:キリンホールディングス プレスリリース/日本ビアジャーナリスト協会/取得日 二〇二六年八月十八日)

【要確認:初年度販売目標「約430万ケース」は二次情報(メディア記事)に基づきます。プレスリリース本文での明記は確認できていません】

IBUKIという日本産ホップ

晴れ風の設計で私が最も注目したのが、日本産希少ホップ「IBUKI」の採用です。

ホップは、日本でも岩手県や秋田県、山形県などで栽培されています。しかし国産ホップの生産量は減少傾向にあり、栽培農家の高齢化も進んでいる。国産ホップを主力商品で使うということは、その産地を支えるという意思表示でもあります。

キリンは以前から、「一番搾り とれたてホップ」で岩手県遠野産などのホップを使ってきました。晴れ風のIBUKI採用は、その延長線上にあります。

晴れ風ACTION――買うことが寄付になる設計

晴れ風のもう一つの特徴が、「晴れ風ACTION」という仕組みです。

売上の一部を、日本全国の自治体の伝統行事の保全に寄付するというもので、三五〇ミリリットル缶で〇・五円、五〇〇ミリリットル缶で〇・八円が自動的に寄付に回ります。第一弾のテーマは「桜」、第二弾は「花火」で、四七自治体を支援する計画でした。消費者は専用サイトから追加の寄付もできます(出典:キリンホールディングス プレスリリース/取得日 二〇二六年八月十八日)。

この設計、飲食店の販促にそのまま応用できます。「買うと、地域の何かが守られる」という構造は、お客さまに買う理由を一つ増やします。しかも、それを店側が押しつけずに済む。缶に書いてあるからです。

私が飲食店に勧めるとしたら、晴れ風を置くなら、その寄付の仕組みをPOPで一言添える。それだけで一杯の意味が変わります。

二〇一七年 Tap Marché――飲食店に四タップを置くという発明

飲食店の経営者にとって、キリンの近年の施策で最も直接的に効いているのがTap Marché(タップ・マルシェ)です。

キリンは二〇一七年一月にこれを発表し、二〇一七年四月をめどに一都三県(東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県)の飲食店で展開を開始、初年度は一、〇〇〇店での取り扱いを目指しました(出典:キリン ニュースリリース「『Tap Marché(タップ・マルシェ)』を地域限定で展開」二〇一七年一月十二日/取得日 二〇二六年八月十八日)。

仕組みはこうです。

  • ビールの注ぎ口(タップ)を四つ持つ小型サーバー
  • 容量三リットルの小型ペットボトルに対応
  • したがって、四種類のビールを、少量ずつ仕入れられる

(出典:Wikipedia「タップ・マルシェ」/取得日 二〇二六年八月十八日)

これが飲食店にとって何を意味するか、説明させてください。

従来、樽生ビールを扱うには一九リットルや二〇リットルの樽を仕入れる必要がありました。回転しない銘柄は、確実に品質が落ちる。だから多くの店は一種類か二種類に絞らざるを得なかった。クラフトビールを置きたくても、置けなかったのです。

三リットルなら、回転します。設置スペースの問題で多品種の樽詰ビールを諦めていた飲食店にも導入が進み、従来はクラフトビールがあまり置かれていなかった映画館やブックカフェにも広がっています(出典:Wikipedia「タップ・マルシェ」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

キリンはこれを「ビールを『とりあえず』から『これが好き』へ」という言葉で説明しています(出典:キリンジャーナル「ビールを『とりあえず』から『これが好き』へ。タップ・マルシェが描くクラフトビールの未来」二〇二三年九月十五日/取得日 二〇二六年八月十八日)。

Tap Marchéを、私が飲食店に勧める理由

私がこの仕組みを高く評価しているのは、客単価を上げる導線として、極めて素直だからです。

ビールを一種類しか置いていない店では、二杯目の提案が「もう一杯いかがですか」しかありません。ところが四種類あれば、「二杯目は違うものを試してみませんか」と言える。これは同じ「もう一杯」でも、お客さまの受け取り方がまったく違います。

さらに、飲み比べセットが組めます。小さいグラスで三種類。これは単品より高く売れて、しかも満足度が高い。私が関わってきた店で、これがハマらなかったことはほとんどありません。

導入を検討されるなら、キリンの担当者に相談するのが早いです。ただし注意点が一つあります。四種類置いたら、四種類とも説明できるスタッフを育てないと意味がない。器具を入れただけでは売れません。ここは店側の仕事です。

ホームタップ――家庭に生ビールが入った

キリン ホームタップは、家庭用のビールサーバーを月額制で提供するサービスです。

報道によれば、二〇一五年に首都圏で「ブルワリーオーナーズクラブ」として始まり、二〇一七年に「ホームタップ」として全国展開。二〇二〇年末には会員数が約二万人となり、二〇二一年三月時点で同年末に会員数一〇万人を目指す本格展開が発表されました(出典:日経クロストレンド、TechCrunch Japan/取得日 二〇二六年八月十八日)。

【要確認:ホームタップのその後の会員数実績について、公式に公表された最新の数値は確認できていません】

飲食店の立場からすると、これは競合サービスに見えるかもしれません。私の見方は少し違います。家で生ビールを飲む人は、生ビールの品質にうるさくなる。そして、うるさくなった人は、雑に注がれた店の生ビールを許さなくなる。

つまりホームタップの普及は、飲食店に対する品質要求を引き上げる。これは、ちゃんとやっている店にとっては追い風です。逆に、樽の洗浄をサボっている店にとっては脅威になります。

ノンアルコールの現在地

キリンのノンアルコール・ビールテイスト飲料は、現在零ICHI、GREEN’S FREE、カラダFREE、そして二〇二五年九月三十日発売の本格醸造 ノンアルコールラガーゼロという布陣になっています(出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

一方、草分けだったキリンフリーは二〇一七年九月に、パーフェクトフリーは二〇二五年十月に終売しています。ノンアルコールというカテゴリー自体は成長しているのに、個々の銘柄は入れ替わっている。市場が成熟し、要求水準が上がったということでしょう。

二〇〇九年のキリンフリーが「アルコール〇・〇〇パーセントを実現した」ことで話題になった時代から、いまは「ビールとしてうまいか」で選ばれる時代になりました。ゼロであることは、もはや差別化要因ではない

二〇二五年 グッドエール、ノンアルコールラガーゼロ

直近の動きも押さえておきます。

  • 二〇二五年四月十五日:キリン一番搾り ホワイトビール発売
  • 二〇二五年九月三十日:キリン本格醸造 ノンアルコールラガーゼロ発売
  • 二〇二五年十月七日:キリングッドエール発売(プレミアム帯のエール)

(出典:Wikipedia「麒麟麦酒の商品一覧」/取得日 二〇二六年八月十八日)

ここに、キリンの現在の方針が読み取れます。ラガー一辺倒だったキリンが、エールを定番のプレミアム帯に置いた。一八八八年以来、ドイツ風ラガーで来た会社が、上面発酵のビールを主力商品として出す。これは相当に大きな転換です。

【要確認:キリングッドエールの詳細仕様(麦芽・ホップ・アルコール分等)について、公式リリースを直接確認できていません】

第十五章 工場見学と文化活動

全国九つのビール工場

キリンビールは、全国に九つのビール工場を持ち、そのすべてで見学を受け入れています(出典:キリン「キリンの工場見学」/取得日 二〇二六年八月十八日)。

工場 所在地 併設レストラン(確認できたもの)
キリンビール 北海道千歳工場 北海道 レストラン「ハウベ」
キリンビール 仙台工場 宮城県 レストラン「キリンビアポート仙台」
キリンビール 取手工場 茨城県
キリンビール 横浜工場 神奈川県 レストラン「キリン横浜ビアホール」
キリンビール 名古屋工場 愛知県
キリンビール 滋賀工場 滋賀県
キリンビール 神戸工場 兵庫県 「丘の上のビアレストラン」
キリンビール 岡山工場 岡山県
キリンビール 福岡工場 福岡県 レストラン「キリンビアファーム」

(出典:キリン「キリンの工場見学」/取得日 二〇二六年八月十八日)

【要確認:併設レストランの有無・名称は、記事作成時点で確認できた範囲のものです。訪問前に各工場の公式ページで最新情報をご確認ください】

ビール以外の見学施設

キリングループの見学施設は、ビール工場だけではありません。

施設 所在地 分野
キリンビバレッジ 湘南工場 神奈川県 清涼飲料(午後の紅茶ツアー)
キリンビバレッジ 滋賀工場 滋賀県 清涼飲料
キリンディスティラリー 富士御殿場蒸溜所 静岡県 ウイスキー
シャトー・メルシャン 勝沼ワイナリー 山梨県 ワイン
シャトー・メルシャン 桔梗ヶ原ワイナリー 長野県 ワイン
シャトー・メルシャン 椀子ワイナリー 長野県 ワイン

(出典:キリン「キリンの工場見学」/取得日 二〇二六年八月十八日)

ビール九ヵ所、清涼飲料二ヵ所、ウイスキー一ヵ所、ワイン三ヵ所。合計一五ヵ所の見学施設を運営している企業グループというのは、日本でもかなり珍しい。

「キリン一番搾り おいしさ実感ツアー」

ビール工場の主力プログラムが「キリン一番搾り おいしさ実感ツアー」です(出典:同上)。二十歳以上の方には参加費用が設定されています。

このツアーの白眉は、一番搾り麦汁と二番搾り麦汁を、実際に飲み比べられるところです。第八章で長々と説明した「一番搾り製法」を、舌で確認できる。

私は飲食店の経営者やスタッフの方に、このツアーを社員研修として使うことを本気で勧めています。理由を三つ挙げます。

飲食店経営者こそ、工場へ行くべき三つの理由

第一に、商品の背景を語れるスタッフが育ちます。「一番搾りって、二番搾りの麦汁を使ってないんですよ」の一言が言えるかどうかで、接客の質が変わります。しかもそれは、実際に飲み比べた人が言うから説得力を持つ。

第二に、品質管理の基準が上がります。工場のクリーンさ、温度管理の徹底ぶりを見た人は、店に帰ってからサーバーの洗浄を手抜きできなくなります。これほど効く教育はありません

第三に、単純に楽しい。スタッフの慰安を兼ねた研修として、費用対効果が非常に高い。バスで行って、見学して、併設レストランで食事をして帰る。これで一日のチーム作りが成立します。

予約状況や実施内容は変わりますので、必ず各工場の公式ページを確認してから計画してください。

キリン歴史ミュージアム

この記事を書くにあたって、私が最も頼りにしたのがキリン歴史ミュージアムのウェブサイトです。

ここには、商品ブランドごとの歴史、ラベルデザインの変遷、酒・飲料の歴史といったコンテンツが、企業自身の手で整理されています。企業が自社の歴史を、失敗を含めてウェブ上に整理して公開している。これは非常に価値のあることです。

飲食店でも、創業からの歩みをきちんと言語化して残している店は強い。物語は、意図的に残さなければ消えます。二代目、三代目に引き継ぐつもりがあるなら、いまのうちに書いておくべきです。

キリンシティという業態

キリンは一九八三年にキリンシティを設立しています(出典:キリンホールディングス「キリングループの歴史」/取得日 二〇二六年八月十八日)。ビールメーカーが直営のビアレストランを運営するという業態です。

メーカーが自ら店を持つことの意味は大きい。自社製品が、現場でどう扱われ、どう飲まれているかを、伝聞ではなく実地で知れるからです。注ぎ方の技術も、そこで磨かれます。

そして一九八六年のビアホール「ハートランド」もそうでした。期間限定のビアホールに、のべ五十六万人が集まった(出典:Wikipedia「ハートランドビール」/取得日 二〇二六年八月十八日)。ビールを売るのではなく、ビールを飲む場所を作る。この発想が、ハートランドという商品そのものを生んだわけです。

第十六章 これから――二〇二六年十月以降のビール

価格差が消える世界で、何が起きるか

二〇二六年十月、ビール・発泡酒・新ジャンルの酒税が三五〇ミリリットルあたり五四・二五円に一本化されます。

この改正の目的は、国税庁の説明によれば「類似する酒類間の税率格差が商品開発や販売数量に影響を与えている状況を改め、酒類間の税負担の公平性を回復する等の観点」からとされています(出典:辻・本郷 税理士法人ほかの解説記事/取得日 二〇二六年八月十八日)。

つまり国は、「税金の都合で商品が作られる状態をやめさせる」と言っているわけです。

ここまでこの記事を読んでこられた方には、この一文の重みが分かるはずです。第十章の年表で見た、二〇〇〇年代の膨大な新ジャンル商品の生成と消滅。あれは制度が生んだものでした。その制度が、なくなる。

「安さ」から「味わい」へ

解説記事の多くが、この改正を「安さ」から「味わい」の時代へという言葉で表現しています(出典:ヤマダ会計グループほか/取得日 二〇二六年八月十八日)。

私も、大枠ではその通りだと思います。価格で選ばれてきた商品は、価格という理由を失う。残るのは味と、ブランドと、物語です

これはキリンにとって、悪い話ではありません。この会社が持っているのは、まさに味とブランドと物語だからです。一八八八年から続くラガー、一九九〇年からの一番搾り、二〇一五年に一四五年前の名前で復活したスプリングバレー。語れるものを、これほど持っている会社はそう多くない

飲食店のビールメニューを、どう組み直すか

ここからは、飲食店の経営者向けの具体的な話です。二〇二六年十月以降を見据えて、私が考えている論点を四つ書きます。

論点一:生ビールの一杯目の価格を、いま見直す。酒税が下がるからといって、仕入れ価格がそのまま下がるとは限りません。ただし、少なくとも「税制が変わったので価格を見直しました」という説明が、いまなら通ります。値上げも値下げも、説明できる理由があるときにやるのが鉄則です。

論点二:二杯目以降の選択肢を増やす。これはTap Marchéでも、びんビールでも、瓶の黒ビールでもかまいません。一杯目は「とりあえず生」でいい。問題は二杯目です。ここで別の提案ができるかどうかが、客単価を決めます。

論点三:ノンアルコールを、ちゃんとメニューに載せる。「ノンアルもあります」ではなく、銘柄名を書いて、価格を書いて、他のドリンクと同じ扱いでメニューに載せる。これをやっていない店が、まだ本当に多い。四人組の一人が飲めないというだけで予約が流れる時代です。

論点四:ビールの物語を、一つだけ覚える。スタッフ全員に、扱っているビールの物語を一つだけ覚えてもらう。麒麟のたてがみの隠し文字でも、一番搾り麦汁の話でも、晴れ風の寄付の話でもいい。一つでいいのです。それが言えるかどうかで、店の格が変わります。

私が注目している三つの論点

最後に、私自身がこれから注目している論点を三つ挙げておきます。

第一に、エールの定着。キリンが二〇二五年十月にグッドエールをプレミアム帯に投入したことは、日本のビール市場にとって象徴的です。一四〇年近くラガーの国だった日本で、エールが定番になるのか。私はここを見ています。

第二に、国産ホップと国産大麦。晴れ風のIBUKI採用、とれたてホップの継続。原料の国内調達をどこまで維持できるかは、日本のビール文化の持続可能性そのものです。飲食店としても、国産原料を使ったビールを扱うことは、地域との関係づくりになります。

第三に、飲まない人をどう歓迎するか。ノンアルコール、微アルコール、そして「飲まない選択」。酒を出す店が、飲まない人をどれだけ気持ちよくもてなせるか。ここが、これからの飲食店の分かれ目になると私は思っています。キリンがノンアルコールの銘柄を入れ替えながら磨き続けているのは、その未来を見ているからでしょう。

第十七章 まとめ

一三八年を、三行にすると

ここまで長くお付き合いいただき、ありがとうございました。最後に、この記事全体を三行にまとめます。

  1. キリンは、外国人が横浜の湧水で始めた醸造所を起点に、一八八八年に「キリンビール」を生み、一九〇七年に日本の会社になった。ラベルの麒麟は、いまも一三〇年以上ほとんど変わっていない。
  2. この会社の強さは、引き算にある。二番搾り麦汁を使わないと決めた一番搾り。副原料を使わないと決めた麦芽一〇〇パーセント。麦芽をまったく使わないと決めたのどごし。何を足すかではなく、何を捨てるかで商品を作ってきた。
  3. そして、消えた銘柄のほうが、残った銘柄よりはるかに多い。この記事の年表に並んだ一〇〇を超える銘柄の大半は、もう買えない。それでも会社は続いている。続けるというのは、そういうことです。

あなたのお店で、明日からできること

飲食店の経営者の方へ、最後に三つだけ。

  • 今日、自分の店の生ビールを一杯、自分で飲んでみてください。お客さまと同じ席で、同じグラスで。それだけで気づくことがあります
  • スタッフに、扱っているビールの話を一つ覚えてもらってください。麒麟のたてがみでも、一番搾り麦汁でも構いません
  • 工場見学を、次の社員研修の候補に入れてください。全国九ヵ所、どこかは通える距離にあるはずです

ビールは、ただの飲みものではありません。一三八年分の判断が入っている液体です。それを扱う仕事をしているのだと思えば、注ぎ方ひとつも変わってくる。私はそう信じています。

出典一覧(すべて取得日 2026年8月18日)

一次情報(キリン公式)

二次情報

画像について

この記事には、写真・図版を一点も掲載していません。理由を明記しておきます。

キリンホールディングスの「サイトのご利用にあたって」には、次のように定められています。

当ウェブサイトに掲載されている情報などに関する著作権およびその他の権利は、当グループまたは当グループに使用を認めた権利者に帰属します。これらの著作権は、各国の著作権法、各種条約、その他の法律で保護されており、私的利用など法律によって認められる範囲を超えて、当ウェブサイトに掲載されている内容を使用(複製、改ざん、頒布などを含む。)することはできません。

(出典:キリンホールディングス「サイトのご利用にあたって」/取得日 二〇二六年八月十八日)

つまり、私的利用の範囲を超える複製・頒布は明示的に禁止されています。ウェブ記事への掲載は私的利用にあたりませんので、キリン公式サイトおよびプレスリリース掲載の商品画像・歴史資料画像は、いずれも本記事では使用していません。ダウンロードも行っていません。

【要確認:キリン公式の報道関係者向け素材(プレスキット)の利用条件について、本稿の調査範囲では、報道機関以外の第三者が自社メディアに転載できるかどうかを明示した規定を確認できませんでした。画像を掲載する場合は、キリン広報部門への個別許諾の取得を推奨します】

【要確認:ウィキメディア・コモンズ等に、パブリックドメインまたは自由なライセンスで公開された明治期のキリンビール広告・ラベル画像が存在する可能性がありますが、本稿では個々のライセンス表示を一点ずつ確認できていないため、使用を見送りました】

本記事に残した【要確認】の一覧

  1. ジャパン・ブルワリー・カンパニーへの岩崎弥之助・益田孝・渋沢栄一の出資関与(キリン公式一次資料での明示を未確認)
  2. 一九七六年のキリンビール国内シェア「六三・八パーセント」(二次情報のみ)
  3. キリンライトビールの販売終了年(一九九〇年説と一九九九年説あり)
  4. キリン一番搾り生ビールの発売日(公式は「一九九〇年三月」まで。「三月二十二日」は二次情報)
  5. キリンラガー生化の時期(一九九六年一月発表・二月実施/二次情報)
  6. 一九九六年六月にアサヒスーパードライへ逆転された旨(二次情報)
  7. 一番搾り糖質ゼロ二〇二五年リニューアルの製法呼称(日経記事の記述に依拠)
  8. ビール系飲料の改正前酒税額(ビール七七円・第三のビール二八円/二次情報の概数)
  9. キリンの微アルコール(〇・五パーセント程度)カテゴリー商品の有無・銘柄
  10. SPRING VALLEY「496」という名称の由来(キリン公式説明を未確認)
  11. 晴れ風の初年度販売目標「約四三〇万ケース」(二次情報)
  12. キリン ホームタップの最新会員数実績
  13. キリングッドエールの詳細仕様(麦芽・ホップ・アルコール分)
  14. 各ビール工場の併設レストランの有無・名称(訪問前に公式ページで要確認)
  15. キリン公式の報道関係者向け素材の第三者転載可否
  16. ウィキメディア・コモンズ等における明治期キリン関連画像のライセンス

おわりに

私がこの記事で一番書きたかったのは、一杯のビールの向こうに、どれだけの人の判断が積み上がっているかということでした。

一八八五年に「本場から技師を招く」と書いた人がいて、一八八九年に「麒麟をもっと大きく描こう」と言った人がいて、一九四九年に「色は青一色でもいいから刷ろう」と決めた人がいて、一九九〇年に「二番搾りは使わない」と決めた人がいる。

そのすべてが、今日あなたのお店で注がれる一杯に入っています。

次にジョッキを持ち上げるとき、ほんの一瞬でいいので、そのことを思い出していただけたら嬉しいです。

20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。飲酒運転は絶対にやめましょう。

キリン一番搾りのジョッキ。麒麟のロゴが見える

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