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アサヒビールの歴史と全銘柄年表|1892年の誕生からスーパードライ、そして今

アサヒ生ビール マルエフの瓶と、注がれたビール2杯

私は飲食店の集客と店づくりを仕事にしています。日々いろいろな業態のお店に伺いますが、どんな店に入っても、たいていカウンターの向こうにサーバーがあり、そこから琥珀色の液体が注がれています。ビールです。日本の外食は、良くも悪くもビールと一緒に歩いてきました。

そのビールを、いま日本でいちばん多く売っているのがアサヒビールです。ところがこの会社、ずっと勝っていたわけではありません。むしろ「27年間負け続けた会社」です。3位に落ちてから首位に返り咲くまで、途方もない時間がかかっています。私はこの落差にどうしても惹かれてしまう。負けている時期に何をやっていたか——それが分かる会社史というのは、経営をしている人間にとって、そうそう手に入る教材ではありません。

この記事は、その1社を創業前夜から2026年の今日まで、まるごと追いかけたものです。ただし、会社の年表を写経するつもりはありません。私が読みたかったのは「何という名前のビールを、いつ出して、どう売れて、どう消えたか」です。ですから記事の背骨には、銘柄の発売年表を置きました。あわせて、ラガーとエールの違い、発泡酒と新ジャンルがなぜ生まれたのかといった「ビールの種類」そのものの解説も独立した章にしています。会社史だけの記事にはしません。

目次

この記事で分かること

  • アサヒビールの前身「大阪麦酒会社」が、なぜ1889年の大阪に生まれたのか
  • 大日本麦酒という国内シェア7割の巨大企業が、なぜ1949年に2つに割られたのか
  • 1961年から1987年まで、アサヒが3位に沈み続けた本当の理由
  • 1987年「スーパードライ」の設計思想——辛口とは何を指していたのか、なぜ麦芽を減らしたのか
  • アサヒの主要銘柄をほぼ網羅した発売年表(戦前/戦後/スーパードライ以後/発泡酒・新ジャンル/ノンアル・微アル/地域限定)
  • ラガーとエール、ピルスナー、スタウト、ヴァイツェンの違い(ビールの種類がわかる章
  • 発泡酒・新ジャンル(第三のビール)が生まれた背景と、酒税法がどう味を決めてきたか
  • 2026年10月の酒税一本化で、ビール売り場と飲食店のドリンクメニューがどう変わるのか
  • 欧州・豪州のブランド買収など、アサヒのグローバル展開
  • ノンアルコール・微アルコール・スマドリなど「飲まない人」への取り組み
  • 工場見学施設、大山崎山荘美術館などの文化事業

先にお断りしておきます。この記事の数字と年号は、公表資料と公開情報にあたって書いています。裏が取れなかったものは断定せず、本文中に【要確認:〜】として残しました。参考にした資料は末尾に一覧で挙げています。会社の内部事情や関係者の心情については、公表されている記述の範囲を超えて想像で書くことはしていません。

はじめに——飲食店の現場から見た「アサヒ」という会社

なぜ、1社をまるごと追いかけるのか

飲食店の経営者の方とお話ししていると、ビールの話は必ず出ます。「どのメーカーを入れているか」「樽生をどう管理しているか」「レモンサワーに客が流れて、ビールが出なくなった」。ビールはお店にとって、いちばん出数が多く、いちばん粗利設計が難しく、いちばんお客さまの記憶に残る商品です。1杯目に何を出すかで、そのお店の印象は決まってしまう。

にもかかわらず、私たちはビールを「入れているメーカー」の顔でしか見ていないことが多いのです。そのメーカーが、どういう歴史をくぐって、いまその味に辿り着いたのか。なぜその銘柄はその名前なのか。なぜあの銘柄は消えたのか。それを知ってお客さまに一言添えられるかどうかで、同じ生ビール1杯の価値はまったく変わります。商品の背景を語れる店は強い。これは私が現場で何度も見てきたことです。

この記事の読み方

全体で相当な分量があります。頭から読んでいただくのがいちばん面白いのですが、忙しい方は次のように読んでも構いません。

  • 銘柄の名前を調べたい方 — 「第6章 発売年表」だけ読んでください。表が9つあります。
  • ビールの種類を理解したい方 — 「第7章 ビールの種類がわかる章」から読んでください。
  • 2026年10月の酒税改正の実務が知りたい方 — 「第8章」の後半に飛んでください。
  • スーパードライの話だけ読みたい方 — 「第5章」が独立して読めるように書いています。

出典の扱いについて

この記事では、企業の沿革・商品の発売年・酒税率といった事実関係を扱います。私は醸造家でも税理士でもありませんので、次の方針を徹底しました。

  • 年号・数値は、公表されている沿革や報道、公的資料で確認できたものだけを書く
  • 複数の資料で食い違うものは、断定せずに両論を書くか【要確認】を付ける
  • 味の評価は「私はこう感じる」と主語を立てて書き、事実のように書かない
  • 他社について書くときは、事実の範囲にとどめ、優劣の評価をしない

第1章 創業前史——明治の大阪に、なぜビール会社が生まれたのか

日本のビールは「輸入品の模倣」から始まった

ビールという飲み物は、幕末から明治にかけて日本に入ってきました。最初は居留地の外国人が飲むものであり、日本人にとっては薬臭い舶来の飲み物でした。それが明治10年代から20年代にかけて、全国に雨後の筍のようにビール会社が生まれます。文明開化の象徴であり、同時に「うまくいけば儲かる新規事業」だったからです。

ただし当時のビール製造は、いまでいうところの装置産業です。麦芽を仕込み、低温で発酵させ、瓶に詰めて運ぶ。氷も冷蔵設備も高価だった時代に、これを商業規模でやるのは並大抵ではありません。結果として、乱立した多くの会社が短命に終わりました。生き残った数社が、のちに日本のビール産業の骨格になります。大阪麦酒会社——のちのアサヒビール——は、その生き残った側です。

鳥井駒吉という人——堺の造り酒屋が、麦酒に賭けた

大阪麦酒会社の設立は1889年(明治22年)11月。中心人物は鳥井駒吉です。堺の造り酒屋であり、堺の酒造組合の代表を務めた人物でした。すでに日本酒という確立した商売を持っていた人が、わざわざ得体の知れない西洋の酒に手を出した。ここが面白いところです。

私はこの一点だけで、鳥井駒吉という人に興味を持ちました。既存事業が順調なときに新規事業へ踏み出すのは、経営者にとっていちばん難しい判断です。傾いてから動くのは誰でもできる。順調なうちに動くには、「このままだと10年後に負ける」という嗅覚が要ります。清酒の造り手が、発酵という技術の共通性を見抜いて麦酒に来た——という読み方をすると、この創業はぐっと立体的になります。

1891年、吹田村醸造所——「発祥の地」はいまも工場である

設立の2年後、1891年(明治24年)10月に、大阪府島下郡吹田村(現在の大阪府吹田市)に「吹田村醸造所」が竣工します。ここが、いまのアサヒビール吹田工場です。

私はこの事実がとても好きです。1891年に建った醸造所の場所で、130年以上たったいまも同じ会社がビールを造っている。日本の製造業で、これほど長く同じ土地に居続けている工場はそう多くありません。吹田工場は「アサヒビール発祥の地」として、いまも見学ができます(後述の第11章)。創業の地が観光資源になっているというのは、会社としてかなり贅沢な資産です。

1892年5月、「アサヒビール」発売

1892年(明治25年)5月、大阪麦酒会社は「アサヒビール」を発売します。翌1893年(明治26年)2月には「大阪麦酒株式会社」に改組しました。

初期の「アサヒビール」は、下面発酵の熱処理ビール、つまりラガーです。この初代アサヒビールの系譜は、のちに「アサヒラガービール」と名を変えて生き続け、1989年2月に製造・出荷を終えるまで、通算97年にわたって造られ続けました。1社の看板商品が約1世紀続くというのは、それだけで日本の飲料史の一項目です。

「アサヒ」という名前はどこから来たのか

ブランド名の由来には諸説あります。公開されている代表的な説は次の3つです。設立当初は「朝日麦酒」ではなく「旭麦酒」と表記されていました。

  • 「旭館」説:鳥井駒吉が1888年(明治21年)に堺で開いた社交クラブ「旭館」から取ったという説。旭館の名は、堺屈指の茶屋だった「朝日ノ家」に由来するとされます。
  • 「旭橋」説:鳥井の生家から西に進むと、旭川(内川の分流。1956年に埋め立て)に架かる「旭橋」があった。酒造業者としての原点を忘れないという思いを込めた、という説。
  • 小西儀助からの譲渡説:1884年(明治17年)から大阪で「朝日ビール」を販売していた薬種問屋・小西儀助が、鳥井らの計画を知って自らビール事業から退き、「朝日」のブランドを譲ったという説。

どの説を採るにせよ、「朝日/旭」という言葉が創業者の土地と人生に結びついていることは共通しています。ブランド名は、創業者の原点から取るといちばん強い——これは現代のお店の屋号を考えるときにも、そのまま使える原則だと私は思っています。

1893年コロンブス世界博、1900年パリ万博——「賞」という信用

大阪麦酒は、1893年のコロンブス世界博(シカゴ万国博覧会)で「アサヒビール」が最優等賞を受賞し、さらに1900年のパリ万国博でも最優等賞を受賞しています。

いまの感覚だと「昔の博覧会の賞」は地味に見えます。しかし当時、日本製品が国際的な博覧会で評価されるというのは、国内での信用そのものでした。「舶来品の模倣」と見られていた日本のビールが、本場の審査で評価された。これは営業トークとして絶大です。第三者による評価を取りに行き、それを商売に使うという発想が、創業10年そこそこの会社にすでにあったわけです。

1897年、ビヤホール「アサヒ軒」——外食に生ビールが入った日

1897年(明治30年)7月、本格的なビヤホール「アサヒ軒」の第1号店が開業します。飲食業の視点から見ると、この一手が私はいちばん興味深い。

瓶ビールを酒屋に卸すだけでは、ビールという飲み物の「体験」は伝わりません。冷えた生ビールを、注ぎたてで、専用の店で飲ませる。そうやって初めて「ビールとはこういうものか」という記憶が客の中に作られます。メーカーが自ら飲ませる場所を持つという発想は、いまでいう直営店・アンテナショップ戦略そのものです。130年前に同じことをやっている。

ちなみに、のちに近畿地方限定で発売された「生一丁」(1994年〜)は、このビヤホール「アサヒ軒」の味を再現したと言われています。会社が自分の歴史を商品に戻してくるのは、老舗の強みです。

1900年、日本初の瓶詰生ビール

同じ1900年、大阪麦酒は日本初の熱処理を施さない瓶詰生ビール「アサヒ生ビール」を発売しています。

熱処理をしない、つまり加熱殺菌をしないということは、酵母を濾過で取り除き、雑菌が入らない状態で瓶に詰めきる技術が要るということです。1900年にこれをやったのは相当な挑戦でした。この「アサヒ生ビール」というブランドは、その後いったん途絶えたり復活したりを繰り返しながら、現在の「アサヒ生ビール〈マルエフ〉」まで、名前としてつながっています。

第2章 大合同——大日本麦酒という33年

1906年、3社が1つになった

1906年(明治39年)3月、大阪麦酒(アサヒビール)、日本麦酒(ヱビスビール)、札幌麦酒(サッポロビール)の3社が合同し、大日本麦酒株式会社が誕生します。設立は3月26日、社長には日本麦酒の馬越恭平(三井物産の重役)が就いています。

いまの目で見ると、これは驚くべき合併です。現在のアサヒとサッポロとヱビスが、同じ1つの会社の3ブランドだった時期がある。しかもその会社は、合併時点で国内シェア7割に近づく巨大企業でした。1935年時点でも、ヱビス・サッポロ・アサヒの3商標で市場占有率65%を占めていたとされます。

なぜ合同したのか——過当競争と、国の後押し

合同の直接の理由は、明治30年代の激しい価格競争です。乱立したビール会社が値引き合戦をした結果、三井系の日本麦酒までもが経営危機に陥りかけた。そこで馬越恭平が内閣に働きかけ、「国内の過当競争を排除し、輸出を促進し、資本を集中する」という趣旨の合併勧告を引き出した、とされています。

つまり、これは純粋な民間の判断だけではなく、産業政策としての大合同でした。この構図は、のちに1949年の分割で完全に裏返ることになります。国の都合で1つにされ、国の都合で2つに割られる。ビール産業と酒税・法制度の関係は、この時点ですでに切っても切れません。

買収と合併で膨らんだブランド群

大日本麦酒はその後も統合を続けます。

  • 1907年:東京ビールを製造していた東京麦酒を買収
  • 1933年7月:日本麦酒鑛泉を合併(ユニオンビール・カブトビール・三ツ矢サイダーを製造)。川口・半田・初島・西宮・平野分工場を取得
  • 1943年11月:桜麦酒(サクラビール)を合併し、門司工場とする

結果、大日本麦酒はアサヒ、サッポロ、ヱビス、ユニオン、カブト、東京ビール、シーズンビール、ビタミンビール、ミュンヘンビール……と、大量のブランドを抱える会社になりました。ここで押さえておきたいのは、三ツ矢サイダーとユニオンビールが日本麦酒鑛泉由来であることです。この2つが、のちの分割で朝日麦酒側に行きます。清涼飲料の「三ツ矢」が現在アサヒ飲料の看板であるのは、この経緯によります。

1921年博多、1923年名古屋——工場が増えていく

この時代に、いまも稼働している工場が建ちます。1921年4月に博多工場1923年6月に名古屋工場が竣工しました(現在の名古屋工場は1973年操業のもので、場所は変わっています)。1927年には「アサヒ生特大瓶2リットル」が発売され、1930年にはビール酵母を使った製剤「エビオス錠」が発売されています。ビール会社が薬をつくる、というのは、酵母という素材を持っている会社ならではの横展開でした。

1935年「アサヒスタウト」——90年続いている黒ビール

1935年(昭和10年)、大日本麦酒は「アサヒスタウト」を発売します。上面発酵のスタウトで、戦時中にいったん中断したのち、1951年に10年ぶりに販売を再開しました。

このアサヒスタウトは、いまも生きています。334mlの小瓶のみ、吹田工場のみで製造され、関東と関西を中心に販売されている。しかも数少ない熱処理製法の商品です。2024年5月時点で、日本の大手メーカーが通年で製造している上面発酵ビールは、アサヒスタウト、キリンの一番搾り〈黒生〉、サッポロのヱビス プレミアムエールの3つだけ、とされています。

飲食店の方に一つ提案があります。アサヒスタウトは、メニューに載せると強い商品です。1935年発売、上面発酵、熱処理、吹田工場のみ、小瓶のみ。この5つの事実だけで、お客さまへの説明が1分もちます。定番の生ビールでは差がつかない今、こういう「語れる1本」を1つ持っておくと、客単価と滞在時間の両方が動きます。

1943年、ビールから名前が消えた

戦争は、ビールから商標を奪いました。1943年(昭和18年)5月、ビールメーカー各社の商標が廃止され、各社ともラベルは「麦酒」に統一されます。アサヒもサッポロもヱビスも、ただの「麦酒」になった。

ブランドという概念が国家によって消される。マーケティングをしている人間として、これは背筋が寒くなる話です。ブランドは平時の贅沢品ではなく、平時があってはじめて成立するものだ、ということでもあります。原材料も逼迫し、大麦の代わりに甘藷(サツマイモ)とホップでビール様の飲料を造る研究まで行われました。この「麦芽を使わないビール風の酒」は、後年の第三のビールの発想と技術的に地続きです。

【コラム】青島ビール、朝鮮麦酒——大日本麦酒が海外に残した痕跡

大日本麦酒は日本国外にも展開しました。第一次世界大戦の戦後処理で中国・青島が日本の管理下に置かれたことを受け、1914年にドイツ資本の青島ビールの経営権を取得し、1945年まで自社工場として経営しています。また1933年8月には、朝鮮市場向けに地元資本と折半で「朝鮮麦酒株式会社」を設立しました。この会社が現在の韓国・ハイトビール(ハイト眞露)です。

戦後、これらの権益はすべて失われます。ただし縁は切れておらず、アサヒビールは1999年に青島ビールとの合弁で中国生産を始め、2009年には青島ビールの発行済株式の約20%を取得しています。100年近い時間をまたいで、同じ醸造所と再び手を組んだことになります。

第3章 1949年、会社が二つに割れた

過度経済力集中排除法という「解体」

戦後、GHQによる財閥解体の流れの中で、大日本麦酒は過度経済力集中排除法の指定会社となります(1948年2月)。そして1949年1月、同法により朝日麦酒株式会社日本麦酒株式会社への分割が決まり、1949年9月1日、朝日麦酒株式会社が設立されました。同年10月に東証、11月に大証、12月に名証へ上場しています。

分割の設計は、主要ブランドで切るというものでした。アサヒビール=西日本担当サッポロビール=東日本担当。この「東西で分ける」という一線が、その後40年近くにわたってアサヒの運命を規定します。

山本爲三郎——分割を主導し、初代社長になった人

この分割を推進したのが、大日本麦酒の専務だった山本爲三郎です。そして山本自身が、分割後の朝日麦酒の初代社長に就任しました。当然ながら、当時さまざまな臆測を呼んだと記録されています。

臆測の理由は、朝日麦酒側が受け取ったものが有利に見えたからです。

  • 山本は、大日本麦酒に合併された日本麦酒鑛泉の出身だった
  • その日本麦酒鑛泉から引き継いだ全国ブランド、ユニオンビール三ツ矢サイダーの2銘柄を朝日麦酒が継承した
  • 戦前の大日本麦酒は設備投資を西日本に集中していたため、最新鋭設備のほとんどが朝日麦酒の帰属になった

設備も、全国ブランドも、清涼飲料の柱も取った。分割直後のシェアは、日本麦酒38.7%、朝日麦酒36.1%、麒麟麦酒25.3%。堂々の2位です。この時点で「アサヒは負け組になる」と予想した人は、まずいなかったはずです。

1954年から1960年まで、アサヒは2位だった

実際、朝日麦酒はしばらく好調でした。1952年まで単独2位、1953年は原料配給の関係で日本・麒麟・朝日が3社同率の1位。1954年からは麒麟が1位、朝日が2位、日本麦酒が3位という順になり、1960年まで2位を維持します。山本爲三郎は関西財界の重鎮として活躍しました。

ここまでは、誰がどう見ても順調な戦後です。問題は、この「西日本で強い」という構造そのものが時限爆弾だったことです。

第4章 27年間の下り坂——「夕日ビール」と呼ばれた日々

1961年、3位転落

高度経済成長が始まると、日本の人口と経済は東京へ一極集中していきます。西日本に強い会社は、成長するマーケットの中心から外れていく。1961年、朝日麦酒は3位に落ちました。そしてここから1987年まで、3位が定位置になります。26年です。

私はこの26年という数字を見るたびに、経営の怖さを思います。1949年の分割は、当時としては合理的な設計だったはずです。西日本にブランドが定着していて、設備も西日本にあった。その資産を活かす形で線を引いた。ところが、その「合理的な設計」が、10年後の人口移動によって不利に転じた。しかも一度不利になると、それが自己強化されていく。

首都でも、地元でも、競合が同根だった

不運は重なります。首都・東京では、同じ大日本麦酒から分かれた日本麦酒(1964年にサッポロビールと改称)と競合しました。しかも東京の消費者にとっては、どちらのブランド名も馴染みが薄い。

さらに、かつての地元である近畿地区でも問題が起きます。後発のサントリーがビールを発売する際、山本社長が支援に回ったため、同一の問屋の中で競合関係になるという負担が生じました。1970年代の生ビール競争でも波に乗れず、低迷が続きます。

それでも、新しいことはやり続けていた

ここが、この会社を追う面白さです。シェアが落ち続けた時期こそ、アサヒは技術で先頭を走っていました。

  • 1957年:瓶入りラガー「アサヒゴールド」(初代・正式名称は『特製アサヒビール』)発売
  • 1958年9月日本初の缶入りビール「アサヒゴールド(缶)」発売
  • 1965年3月世界初の屋外発酵貯酒タンクを開発し、西宮・吾妻橋・博多の3工場に設置
  • 1971年6月日本初のオールアルミ缶ビールを発売。缶を製造した昭和アルミニウム缶に素材開発・供給の面で協力
  • 1977年5月日本初のミニ樽「アサヒ生ビールミニ樽(7リットル)」発売

日本初の缶ビール、日本初のオールアルミ缶、世界初の屋外タンク、日本初のミニ樽。負けている会社の年表とは思えません。

ここから私が引き出したい教訓は、少し苦いものです。技術で先行しても、売り方の構造が間違っていれば負ける。逆に言えば、この26年間に蓄積された製造技術と設備投資の経験がなければ、1987年に爆発的な増産などできなかったはずです。負けている期間に積んだものが、勝つときに効いた。

1985年、シェア9.6%——4位転落の寸前

1980年代中盤、ついに市場占有率が10%を割ります。1985年は9.6%。4位のサントリー(9.2%)に追い抜かれる寸前でした。「夕日ビール」と揶揄される状況です。

それでも社内の危機感は、意外なほど薄かったと記録されています。理由は分かりやすい。分割以来、赤字を出したことがなかったからです。シェアは落ちているが、黒字ではある。だから現状維持でいいという空気があった。

これは、いまの飲食店にもそのまま当てはまる話だと私は思います。売上が少しずつ落ちていても、赤字にさえなっていなければ、人は動かない。危機は「赤字」という分かりやすい形で来るとは限らないのです。前年比の下降が5年続いていたら、それはもう十分に危機です。

外から来た社長・村井勉

この状況を変えるため、住友銀行から社長が送り込まれます。マツダを短期間で再建した経験を持つ村井勉です(就任は1982年3月と報じられています【要確認:就任月の一次資料】)。

村井は就任時から改革に取り組みました。改革が進むにつれて社内が活性化し、その中から「主力商品のビールの味とラベルを変更して、アサヒの主張と心を知ってもらうべきではないか」という声が社内から上がってきます。そして正式に、主力ビールの味とCIマークの変更が決定されました。

ここは大事なところなので繰り返します。味を変えろと社長が命じたのではなく、社内から声が上がったと記録されています。改革の順番として、これは示唆的です。外から来た人がまず場の空気を変え、その結果として現場から提案が出てきた。トップダウンで「味を変える」とだけ言っていたら、おそらく現場は動かなかったでしょう。

5,000人×2回の味覚調査が見つけたもの

現状把握のため、アサヒは1984年夏から1985年夏にかけて、東京と大阪で計2回、5,000人を対象に味覚・嗜好調査を行いました。

当時のビール業界の「常識」は、目隠しテスト(ブラインドテスト)の結果から導かれた「客はビールの味が分からない」というものでした。世間の側の常識は「ビールは苦くて重いもの」。この2つの常識が、業界を停滞させていたわけです。

アサヒはこの前提を疑い、「嗜好は変化する」「客は味が分かる」という仮説を立てて調査・分析します。すると、次のようなことが見えてきました。

  • 日本では油・塩・砂糖の摂取量が増え、味付けが濃くなっている。油脂の購入量は1960年から1980年の20年間で一世帯あたり約2倍に増加していた
  • 日本人は日本食という繊細な料理を食べている。「日本食に合うビールがあるはずだ」
  • 肉中心の献立を好む子供が増加傾向にある(学校給食研究会の調査結果)
  • 消費者はビールに「軽快で飲みやすい」「味わい」「爽快感」を求めている。この傾向は20代・30代で顕著

そして、若い人を中心に大半の消費者が、苦味だけではなく、口に含んだときの味わい(コク)喉ごしの快さ(キレ)を求めている、という結論に至ります。

私はここが、この会社の歴史でいちばん学ぶべき箇所だと思っています。アサヒは「ビールをどう売るか」を調べたのではなく、「日本人が何を食べているか」を調べたのです。商品の外側にある生活を見た。飲食店で言えば、料理の味を磨く前に、お客さまが普段どこで何を食べているかを知る、ということです。

1986年1月、CI「ニューセンチュリー計画」

1986年(昭和61年)1月21日、改革の一環として進めていたCI活動「ニューセンチュリー計画」が対外的に発表され、新しいシンボルマークに変更されました。ロゴデザインを担当したのは永井一正。右上がりで、勢いとキレのあるイメージとされています。

いまも缶や瓶に入っている、あの「Asahi」の書体です。会社が変わることを、まず見た目で宣言した。看板を変えるのは、社内に対する「もう戻らない」というメッセージでもあります。

1986年2月「アサヒ生ビール」——コクキレビールの成功

同日に発表され、1986年2月に発売されたのが、新しい味とラベルの「アサヒ生ビール」です。コーポレートロゴを冠した初の商品でした。当時の開発コードは「まるえふ(まるの中にF)」、通称「コクキレビール」。

プロゴルファーの青木功と尾崎将司を起用したテレビCMの宣伝文句「コクがあるのに、キレがある」が広く知られ、大ヒットします。1986年の販売数量は前年比11.9%増、シェアも10.4%と10%台に戻しました。

この年の3月、住友銀行から続けて送り込まれた樋口廣太郎が社長に就任します。樋口は試飲キャンペーンの現場に自ら立ち、消費者の意見を直接聞くという陣頭指揮を行いました。社長が現場で客の声を聞く。当たり前のようでいて、大企業では極めて難しいことです。

幻に終わった売却話

なお、この時期にはアサヒをサントリーへ売却する話が水面下で進んでいたと記録されています。樋口は就任当初、同社の清算を行う意図で送り込まれた部分が強かったとされますが、売却交渉でサントリー側が断りを入れるという結末を迎え、方向転換することになりました。

もしこの交渉がまとまっていたら、翌年のスーパードライは存在しなかったかもしれません。歴史の分岐点というのは、たいてい後から見ないと分かりません。

第5章 1987年3月17日——「アサヒスーパードライ」という設計思想

プロジェクト名は「FX」

1986年3月、新商品の開発プロジェクトが始まります。コードネームは「FX」。同年6月には試作品が完成し、樋口廣太郎ら役員を対象に試飲が行われ、高い評価を得ました。

開発の起点は、前章で見た嗜好調査です。「消費者は軽快で飲みやすく、味わいがあり、爽快感のあるビールを求めている」。これにマッチする味は何かと考えた結果、「辛口」という仮説が生まれ、新しいビールのコンセプトは「辛口・生ビール」と定められました。

「辛口」とは、何を指していたのか

まずここを整理しておきます。ビールにおける「辛口(ドライ)」は、唐辛子のような辛さのことではありません。ワインや日本酒でいう「甘くない」に近い意味です。

具体的には、発酵度を高めて、麦汁に含まれる糖分をより多くアルコールに変えてしまうということです。糖が残らなければ甘さが減り、後味がすっと切れる。そのぶんアルコール度数は上がる。これが「ドライ」の技術的な中身です。

アサヒスーパードライの設計は、公表されている範囲で次のように説明されています。

  • 使用酵母と発酵技術を改良して発酵度合いを高め、糖度を低くした
  • 麦芽以外の副原料(米、コーン、スターチ)の比重を比較的多めにした
  • 使用する麦芽をぎりぎりまで減らし(約70%)、副原料(主にコーンスターチ)の比率を高めることで、すっきりした味を実現した
  • アルコール度数を、当時主流の4.5%前後よりやや高い5.0%とした
  • 同時代のビールに比べ、苦味を抑え、甘さも少なくした

アサヒ318号酵母という主役

開発はレシピ作成から始まりました。コンセプトに合う酵母を自社の酵母バンクから探した結果、選ばれたのが「アサヒ318号酵母」です。発酵能力が飛び抜けて高く、独特の香味特性を備えていた。

この318号酵母は、その後アサヒの商品史の中で何度も主役として顔を出します。2000年の「アサヒスーパーモルト」、2005年の「アサヒ新生」、2023年の「ドライクリスタル」、2025年の「アサヒ ザ・ビタリスト」、2026年の「アサヒ ゴールド」(三代目)、そして数量限定の「EGA BEER」。1つの酵母が、40年にわたって会社の商品開発の背骨になっているわけです。

飲食店に置き換えるなら、これは「自家製の出汁」や「継ぎ足しのタレ」に近い。他社に真似できない中核資産を1つ持っているかどうかで、その後の展開速度がまったく変わります。

麦芽を減らすという、逆張りの決断

ここは冷静に見ておきたいところです。当時も今も、ビールの世界では「麦芽100%」が高級の記号でした。副原料を減らし麦芽を増やすほど良い、という価値観です。

ところがスーパードライは逆をやりました。麦芽を約70%まで減らし、コーンスターチなどの副原料を増やす。理由は「そのほうが、いま日本人が食べているものに合うから」です。高級であることより、食卓に合うことを取った

この設計は、後年アサヒが発泡酒市場への参入を躊躇する一因にもなります。麦芽使用率が低いため、1990年代中盤に登場した低税率系の発泡酒と味の方向性が近く、自社商品同士の食い合いが懸念されたからです。設計思想には、必ず裏側の代償がある。それも含めて記録しておくべきだと思います。

食が変わったから、ビールを変えた

あらためて言葉にしておきます。スーパードライは「新しい味を思いついたから出した商品」ではありません。日本人の食事が濃く、脂っぽくなったから、それに合う酒として設計された商品です。

出来上がった試作品と一緒に、和食・洋食・中華・つまみを用意し、実際の飲食シーンに近い状況で試飲を何度も繰り返して、コンセプトに合う味に到達したと記録されています。ビール単体で美味しいかどうかではなく、料理と一緒にして美味しいかどうかで判断した。飲食店をやっている方なら、この判断基準の重さが分かるはずです。

社内の反対——「自社商品と共食いする」

商品化の最終段階で、社内から反対の声が上がります。理由は、前年に発売した「アサヒ生ビール(コクキレビール)」が好調だったからです。せっかく当たった商品があるのに、似た価格帯の新商品を出せば食い合う。ごく真っ当な懸念です。

それでも樋口廣太郎の判断で、FXの発売が決定されます。1987年1月21日に「アサヒスーパードライ」として発表され、1987年3月17日、首都圏限定で販売が開始されました。

私はこの決断を、経営者として何度も反芻しています。当たっている商品があるときに、次を出せるか。飲食店でも同じです。看板メニューが売れているときに、次の看板を仕込めるかどうか。売れている間は「変えなくていい理由」がいくらでも見つかります。

発売初日は、まったく地味だった

意外に思われるかもしれませんが、スーパードライは当初、社内でも地味な扱いでした。当時アサヒが発売した3種類の新商品の中でも目立たない立場で、発売日前後のマスコミの扱いも小さく、簡潔な紹介にとどまっていたと記録されています。

ちなみに同時期に発表されたもう1つの商品が「アサヒ100%モルト」(1987年3月〜12月)です。麦芽100%ビールで、発売時の扱いはスーパードライより大きかった。しかし競合の麦芽100%ビールに出荷・販売数で大きく水をあけられ、発売から1年足らずで販売終了となりました。

社内で本命だと思われていた商品が消え、地味な扱いだった商品が会社を救った。これも記録しておくべき事実です。売れるものは、事前には分からない。

100万箱 → 1,350万箱、上方修正の連鎖

発売後、問屋には続々と追加注文が入ります。数字の推移を並べます。

  • 当初の年間目標:100万箱
  • 1987年4月時点の出荷量:70万箱(発売から1か月足らず)
  • 1987年5月:夏頃に予定していた全国販売を前倒しで開始。目標を400万箱に上方修正
  • 1987年8月:販売予測から、生産能力を1年間で5割増加させる設備投資計画を始動
  • 1987年11月:目標を1,200万箱にさらに上方修正
  • 1987年の実績:1,350万箱

目標100万箱に対して、実績1,350万箱。13.5倍です。同年12月26日の日経流通新聞「62年ヒット商品番付」で東横綱に選ばれました。

ここで注目したいのは、1987年8月の設備投資判断です。まだ勝ちが確定したわけではない8月の時点で、生産能力を5割増やす投資を決めている。第4章で見た「日本初の缶ビール」「世界初の屋外タンク」といった技術蓄積が、この局面で効いてきます。売れ始めたときに供給できるかどうかが、ヒットを本物にするかどうかを決める。

1988年「ドライ戦争」——追随が、逆にアサヒを利した

1988年、競合他社が一斉にドライビールを発売します。これが「ドライ戦争」と呼ばれる局面です。各社のドライビールは、当時の通常の新商品と比べれば高い売上を記録しました。

ところが結果としては、アサヒの躍進に拍車がかかります。理由として記録されているのは次の2点です。

  • 各社とも、自社内の既存商品と競合状態になってしまった
  • 消費者の中で「ドライビール=アサヒスーパードライ」というイメージが既に形成されており、他社がドライビールを宣伝すればするほど、客は元祖のアサヒに流れた

これはマーケティングの教科書に載せてよい事例です。カテゴリー名とブランド名が一致してしまうと、そのカテゴリーの広告はすべて先行ブランドの広告になる。「ドライビールってどんな味だろう」と思った人が手に取るのは、元祖です。

飲食店で言えば、「この街で〇〇といえばあの店」という状態を作れるかどうか。そこまで行ければ、後発が同じジャンルで広告を打つほど、あなたの店に人が来ます。

1988年、アサヒはサッポロを抜いてシェア2位に回復しました。1989年と1990年には積極的な設備投資を行い、1990年代からはスーパードライに経営資源を集中する戦略に舵を切ります。

1989年、社名が「アサヒビール株式会社」になる

1989年(平成元年)1月、「朝日麦酒株式会社」から「アサヒビール株式会社」に商号が変更されます。同年10月には、東京都墨田区吾妻橋の旧吾妻橋工場跡地に「アサヒビールタワー」が完成しました。

そして同じ1989年、創業時から販売されてきた熱処理ラガー「アサヒビール(アサヒラガービール)」が販売を終了します。理由は、生産設備をスーパードライの増産に割り当てること、そして「最終的に消費者のニーズに合わなくなった」こと。97年続いた創業商品が、新しい看板のために場所を空けたわけです。同年、スーパードライは初めて年間販売数量1億箱を突破しました。

1996年6月、社長が泣いた日

1996年6月、アサヒスーパードライは、長らく銘柄別首位だったキリンラガービールを抜いて月間シェアNo.1になります。当時の社長・瀬戸雄三は7月1日の夕方、本店の社員を社員食堂に集めてこれを報告し、社員の前で涙を流したと伝えられています。

1961年の3位転落から35年。9.6%まで落ちた1985年から11年。この涙の重さは、数字を追ってきた人にしか分からないと思います。

1997年には年間シェアでもNo.1となり、キリンラガーが前年まで45年間保ってきた年間首位銘柄の座から降りました。1998年12月、アサヒは日本のビール市場でシェア首位を獲得します(年間課税数量ベース)。1998年の年間シェアでは、キリンラガーとキリン一番搾りの合計を上回るシェアを獲得しました。

なお「生ビールNo.1アサヒスーパードライ」というコピーが影響し、キリンラガーは1996年に非熱処理化(生ビール化)を行っています。1社の商品設計が、業界全体の製法を動かした例です。

鮮度という、第二の武器

スーパードライを支えたもう1つの柱が鮮度管理です。1990年代以降、アサヒはスーパードライに経営資源を集中し、それに特化した販売戦略と鮮度管理の強化を進めました。

その象徴が「鮮度実感パック」です。原則製造後3日以内(北海道は2日以内)に工場から出荷するという、販売店・数量限定のパック。さらに「できたて工場直送プレミアムギフト」として、製造後3日以内に出荷したギフトセットをお客さまへ直送する商品も展開しています。

ビールは、開けた瞬間から劣化が始まります。しかし「鮮度」を売り物にした瞬間、それは物流と生産計画の勝負になります。味の差ではなく、届け方の差で勝負を仕掛けた。ここもアサヒらしいところです。

飲食店にとってのスーパードライ——樽生と容器

スーパードライは、容器のバリエーションが業界随一です。現在のラインアップだけでも次の通り。

  • :大瓶633ml/中瓶500ml/小瓶334ml(大瓶・中瓶には祝ラベルもある)
  • :500ml/350ml/250ml/135ml/生ジョッキ缶 中生340ml・大生485ml
  • :2Lミニ樽/樽生30L(北海道・九州以外)/20L(東京・神奈川・千葉・埼玉限定)/19L/10L

2Lミニ樽は、1977年5月に日本で初めて「アサヒ生ビールミニ樽(7リットル)」として発売されたものの系譜で、中身や容量を変えながら、他社が全面的に撤退した現在でも販売され続けているロングセラーです。

一方で、消えた容器もたくさんあります。特大瓶「BIG BOY」(1957ml)、スタイニーボトル(334ml)、スリムボトル缶(350ml)、スタイリッシュボトル缶(320ml)、750ml缶、1L缶(ジャンボ缶)、3Lミニ樽。BIG BOYとスタイニーボトルは、2011年の東日本大震災の影響で販売休止となり、そのまま販売終了となりました。

飲食店の方にお伝えしたいのは、「祝ラベル」の存在です。大瓶・中瓶に祝ラベル仕様があります。慶事のご宴会で、何気なく置く1本を祝ラベルに変えるだけで、席の空気が変わります。原価はほぼ同じです。使わない手はありません。

エクストラコールド——「氷点下で出す」という発明

2009年9月から一部で展開が始まり、2010年3月から本格展開されたのが「エクストラコールド」です。通常の樽生ビールの提供温度が4〜8度程度であるのに対し、アサヒはこれを「摂氏マイナス2度〜2度で提供する樽生ビール」と定義しました。スーパードライを0度からマイナス2度と、凍結寸前まで冷却してから注ぎます。

元をたどると、1998年にイギリスで若者のビール離れへの対応策として、ビールを摂氏2度で提供する取り組みが行われ、それがヨーロッパで普及したものです。アサヒはこれを日本に持ち込み、安定して低温を保てる専用ディスペンサーを新開発しました。専用ディスペンサーが設置された飲食店でのみ提供でき、期間限定のアンテナショップ「エクストラコールドBAR」も開設されています。

低温にすると苦味が感じにくくなるため、ビール離れが進む若い層やビールが苦手な方、女性層に支持されている傾向がある、と説明されています。

ここに、飲食店にとって非常に重要な示唆があります。中身を変えずに、温度だけで新しい商品を作ったのです。同じスーパードライが、マイナス2度で出てくるだけで別の商品として値付けできる。設備投資は要りますが、レシピ開発はゼロです。「うちの店で出せる、うちだけの出し方」を考えるとき、温度は最も安上がりで、最も差が出る変数です。

2021年、生ジョッキ缶

2021年4月6日、缶のフタがフルオープンする「生ジョッキ缶」がコンビニエンスストアで先行発売されました(その他の業態は同月20日)。飲料でフルオープン缶を採用したのは日本初です。

開けると泡が自然に立ち上がる。家庭で「ジョッキで飲んでいる感じ」を再現する商品です。これも中身の設計というより、容器と体験の設計でした。この生ジョッキ缶の仕組みは、のちに「アサヒ食彩」や「アサヒドライゼロ 生ジョッキ缶」にも展開されています。

2022年、35年目の全面改良

2022年2月中旬の製造・出荷分から、1987年の発売以来初めて原料レシピの変更を伴う全面改良が行われました。レイトホッピング製法を採用し、キレのよさを維持しながら飲みごたえを向上させたとされます。デザインも刷新され、30年ぶりに缶の背景から横縞が消えました。

それまでも、味の微調整(クオリティアップ)は何度も行われていました。2013年12月製造分からの初の年次改良(酵母管理技術「S-3」の導入)、2014年12月製造分(新仕込み技術)、2018年4月製造分(脂質酸化物の低減)、2018年11月製造分(品質基準の引き上げ)といった具合です。35年間、少しずつ直し続けたうえで、35年目に大きく直した

2026年「スーパードライ3.0」——冷えを設計に入れる

そして直近の動きです。2026年5月29日、アサヒビールは「スーパードライ」ブランドの刷新を発表しました。コンセプトは「新 辛口×冷え」。社内で「スーパードライ3.0」と位置づけられています。中味の改良は2026年8月上旬以降の製造分から順次切り替え、「ドライクリスタル」は2026年10月6日発売とされています。約4年半ぶりの、原料レシピ変更を伴う全面改良です。

報道されている改良の中身は、極めて実務的です。

  • 麦芽比率の向上:冷やすことで麦芽の旨味感や飲みごたえが減ったように感じる傾向があるため、麦芽の使用比率を高めて補強し、飲みはじめの飲みごたえを向上させた(ターゲット温度3℃)
  • ホップの最適化:煮沸直後に投入するホップ品種の配合を最適化し、ホップ由来の香りを引き出して後味のキレのよさを高めた(ターゲット温度8〜10℃)

「ターゲット温度3℃」「8〜10℃」という数字が公にされている点に、私は驚きました。味を、飲まれる温度から逆算して設計しているということです。1987年は「日本人が何を食べているか」から設計した。2026年は「日本人が何度で飲んでいるか」から設計している。設計の起点が、料理から温度へ移った。

この背景には、2026年10月の酒税一本化があります。アサヒビールの常務執行役員マーケティング本部長・古澤毅氏は、報道の中で「酒税が統一されて価格差が縮小する中で、お客さまが『本当にうまいビールってどれなんだろう』と求める瞬間がやってくる。そのときに選ばれるブランドになるために、ブランド価値を明確化して磨いていくことが重要」と述べています。

スーパードライが日本のビールに残したもの

整理します。1987年のこの1本が変えたものは、少なくとも4つあります。

  1. 味の基準を変えた:「ビールは苦くて重いもの」という前提を崩し、辛口・キレという語彙を市場に定着させた
  2. 市場そのものを広げた:日本のビール市場は、発売前の1986年と1990年を比べて32%成長したとされる
  3. 「生」を業界標準にした:非熱処理が当たり前になり、他社の主力銘柄の製法まで動かした
  4. 会社を作り替えた:3位定位置の会社が、11年で首位に立った

さらに、辛口を売りにしたスーパードライの「辛口ブーム」が、日本酒の辛口ブームの一因になったという説もあります。1つの商品が、隣の酒類の売れ筋まで変えた可能性がある。それだけの影響力を持った商品でした。

第6章 アサヒの銘柄をぜんぶ並べる——発売年表

ここからが、この記事の背骨です。アサヒが発売してきたビール類を、時代ごとに表にしました。定番だけでなく、短命に終わった商品、季節限定、地域限定、復刻版、通販・コンビニ限定まで拾っています。消えていった銘柄にこそ、その時代の空気が残っているからです。

年表の見方

「種別」欄は次の言葉を使っています。読み進める前に、ざっと目を通してください。詳しい解説は次の第7章にあります。

  • ラガー=下面発酵。低温でじっくり発酵させる、すっきりした系統。日本のビールの大半がこれです
  • ピルスナー=ラガーの一種。淡い黄金色の、いわゆる「普通のビール」の見た目のもの
  • エール=上面発酵。常温に近い温度で短時間で発酵させる、香りとコクの系統
  • スタウト/黒ビール=焙煎した麦芽を使った濃色のビール
  • 発泡酒=酒税法上の区分。麦芽比率や副原料の条件でビールと呼べないもの
  • 新ジャンル(第三のビール)=発泡酒とも違う区分。2023年10月に区分が廃止され、発泡酒に統合されました
  • ノンアルコール/微アルコール=アルコール0.00%のもの、0.5%程度のもの

年・月は公表されている沿革や商品情報に基づいています。資料によって表記がぶれるものは、その旨を書き添えました。

【年表1】創業から戦前まで(1892〜1945)

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
1892年5月 アサヒビール(初代/のちのアサヒラガービール) ラガー・熱処理 大阪麦酒の創業商品。吹田村醸造所で醸造された、日本の近代ビールの草創期を代表する1本 1989年2月に製造・出荷終了。通算97年
1900年 アサヒ生ビール(初代) ラガー・生(非熱処理) 日本初の、熱処理を施さない瓶詰の生ビール 初代は1941年まで。名称は現在の「マルエフ」に継承
1927年4月 アサヒ生特大瓶2リットル 容器(生ビール) 大日本麦酒時代の大容量商品 終売【要確認:終売年】
1935年 アサヒスタウト スタウト(上面発酵・熱処理) 戦前から続く黒ビール。戦時中に中断し1951年に再開 現行。334ml小瓶のみ、吹田工場のみで製造
1937年8月 アサヒスタッビー 【要確認:種別】 大日本麦酒時代の商品 終売【要確認:終売年】
戦前(日本麦酒鑛泉より承継) ユニオンビール ラガー 収穫の女神が商標。戦前は日本全国で販売された全国ブランド 戦後、朝日麦酒が承継。輸出用として一時期製造
戦前(大日本麦酒) アサヒ黒ビール 黒ビール 西日本で販売されていた黒ビール 終売【要確認:発売年・終売年】

【年表2】戦後の再出発から、スーパードライ前夜まで(1949〜1986)

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
1951年 アサヒスタウト(再開) スタウト(上面発酵) 戦時中の中断から10年ぶりに販売再開 現行
1957年 アサヒゴールド(初代) ラガー・熱処理 正式名称は『特製アサヒビール』。瓶で発売 1965年に「アサヒラガービール」へ実質統合
1958年9月 アサヒゴールド(缶) ラガー・熱処理/容器 日本初の缶入りビール。当時大きな話題に 初代は終売
1959年 アサヒ生ビール(二代目・当初は「アサヒ本生」と称した) ラガー・生 1950年代後半に復活した生ビール 1985年まで。系譜は現マルエフへ
1965年 アサヒラガービール(2期) ラガー・熱処理 アサヒゴールドのリニューアルに際し、商品名が創業商品の系譜に回帰 1989年3月販売終了
1970年代(初出時期は諸説) アサヒスタイニー 小型瓶ビール 当初は簡易熱処理の生風味、のち完全非熱処理の「アサヒスタイニー 本生」へ 1970年代後期に一旦絶版。1998年に「スーパードライ スタイニー」として復活し2011年終了
1971年6月 オールアルミ缶ビール 容器 日本初のオールアルミ缶。缶メーカーに素材開発・供給面で協力 技術としては業界標準に
1977年5月 アサヒ生ビールミニ樽(7リットル) 容器 日本初のミニ樽 容量を変えつつ、現在も2Lミニ樽として販売継続
1982年(1983年とする資料もあり) Be 発泡酒 ビールとジュースを混ぜた「ビール感覚のライトカクテル」。アルコール2% 短期間で終売
1986年2月 アサヒ生ビール(三代目・コクキレビール) ラガー・生 開発コード「まるえふ」。「コクがあるのに、キレがある」でヒットし、会社の空気を変えた1本 系譜は現「アサヒ生ビール〈マルエフ〉」へ

【年表3】スーパードライ以後のビール(1987〜1999)

この時期のアサヒは、スーパードライが売れる一方で、新商品をものすごい勢いで出しては引っ込めています。ほとんどが1〜3年で消えているのが分かるはずです。

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
1987年3月17日 アサヒスーパードライ ドライビール(ラガー・生) 辛口・生。麦芽約70%、副原料に米・コーン・スターチ、アルコール5.0%。日本のビールの味を変えたとされる 現行・主力
1987年3月 アサヒ100%モルト 麦芽100%ビール スーパードライと同時発表。発売時の扱いはこちらの方が大きかった 1987年12月終売
1989年 アサヒスーパーイースト 酵母入りビール 酵母を残した仕立て 1991年終売
1991年4月 アサヒ生ビール Z(ゼット) エール(上面発酵) 上面発酵ながら、スーパードライ同様の切れ味重視 1997年5月終売
1991年 アサヒ生ビール ほろにが ラガー・生 やわらかな苦味をうたった商品 1994年終売。2024年5月に熱処理ビールとして復刻
1992年 アサヒワイルドビート ビール 力強さを打ち出した商品 1993年終売
1992年 アサヒエール6 エール(上面発酵) アサヒが挑んだエールビール 1993年終売
1993年 アサヒピュアゴールド ビール 1994年終売
1994年 アサヒ収穫祭 秋季限定ビール 他社の秋季限定商品に対抗して発売された季節商品 1996年終売
1995年10月 アサヒ生ビール黒生(アサヒ黒生) 黒ビール 「苦味が重い」黒ビールのイメージを変え、すっきり軽くキレのあるタイプに一新。「アフター9のビールです」でベストセラーに 現行(2022年2月に缶の販売を再開)
1995年 アサヒダブル酵母 生ビール 上面発酵酵母と下面発酵酵母の両方を使用 1996年終売
1996年 アサヒ食彩麦酒〈しっかりタイプ〉/〈まろやかタイプ〉 ビール 味の方向性で2種類を出し分けた 1998年終売
1996年 アサヒファーストレディ ビール 苦味20%オフ。当初はミラー社製のOEM、1997年の全面改良で国産化 1999年終売
1997年 REDS レッドビール 広島県限定だった「赤の生」をリニューアルし販売地域を拡大 終売
1998年 DUNK デュンケル(濃色ラガー) 気軽に飲めるデュンケルというコンセプト。スタイニーボトルと350ml缶のみ 1999年終売
1998年 アサヒスーパードライ スタイニー 小型瓶(334ml) シュリンクラベルとマキシキャップを採用した小瓶 2011年3月終売(東日本大震災の影響で休止しそのまま)
1999年 ビアウォーター ビール 苦味を25%抑えた「水のように飲めるビール」というコンセプト 2000年終売
1999年 アサヒ富士山 プレミアムビール 富士山の天然水だけで醸造。約8年続いたロングセラー 2007年終売
1999年 アサヒファーストレディシルキー ビール ファーストレディよりさらに苦味20%オフ 2000年終売
1999年 WiLLスムースビア ビール 他業種の企業と共同で立ち上げた「WiLL」ブランドの1つ 終売

【年表4】2000年代〜2010年代前半のビール(2000〜2017)

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
2000年1月 アサヒスーパーモルト 麦芽100%ライトビール アサヒ318号酵母を使用。アルコール約3.5%、カロリー約30%削減。300ml缶を初採用 2006年8月製造終了
2000年 WiLLスイートブラウンビア ビール 「WiLL」ブランドの第2弾 終売
2003年 穣三昧 ビール 終売
2005年11月 アサヒ酵母ナンバー ビール 酵母を軸にした商品 終売
アサヒマイルドアロマ ビール 2006年8月製造終了
2006年6月28日 アサヒプライムタイム 麦芽100%プレミアム生 ドイツ産ファインアロマホップを使用。350ml・500ml缶のみ 2009年2月出荷終了
2006年7月4日 アサヒ北の職人/北の職人長熟 ビール(北海道限定) 「クリア濾過製法」で渋味成分を低減。のちに長期熟成製法を追加 2010年4月出荷終了
2007年 アサヒこだわりの極 プレミアムビール 当初は特定チェーン限定、のちにナショナルブランド化。チルド配送 2007年5月中旬生産終了
2007年 アサヒ醍醐味 生ビール イオングループ限定 終売
2009年5月26日 アサヒ ザ・マスター 麦芽100%生ビール ドイツの原料・醸造法を採用。ドイツでビール醸造の「マスター」資格を取得した社員が監修。名古屋工場のみで製造 2014年12月頃終了
2009年6月30日 アサヒロイヤルブリュー 麦芽100%ビール イオングループ限定。ザーツ・カスケード・ビターの3種のホップ 終売
2009年9月29日 アサヒゴールド 復刻版 ラガー・生 1957年の初代は熱処理だったが、復刻版は生ビールとしてアレンジ。コンビニ限定・数量限定 2010年に再発売の後、終売
2010年7月13日 アサヒ 宵音(よいね) 麦芽100%ビール イオングループ限定・期間限定。アルコール7%とやや高め 終売
2010年 アサヒ豊かな泡のプレミアム 麦芽100%生ビール 百貨店限定・ギフトセット形態のみ。ドイツ・テトナング産ホップ 終売
2010年9月28日 アサヒ世界ビール紀行 ドイツ メルツェンタイプ メルツェン(ラガー) 数量限定のプレミアムシリーズ第1弾 終売
2010年11月30日 アサヒ世界ビール紀行 ベルギー ベルジャンエールタイプ ベルジャンエール 同シリーズ第2弾 終売
2011年11月29日 初号アサヒビール 復刻版 麦芽100%・生 1892年の初代アサヒビールを、当時の分析値と処方をもとに再現。吹田工場のみで製造。期間限定 終売
2012年4月3日 アサヒスーパードライ -ドライブラック- 黒ビール(ドライ) スーパードライ初の派生商品。黒麦芽使用、ホップ増量、アサヒ318号酵母、アルコール5.5% 缶は2022年に終売。業務用樽詰は販売継続
2012年9月25日 アサヒ ザ・エクストラ 麦芽100%ビール セブン&アイグループ限定。麦芽を当社比約1.8倍使用、アルコール6.5%。名古屋工場のみで製造 終売
2013年6月11日 アサヒスーパードライ -ドライプレミアム- プレミアム生ビール 当初ギフト限定。計画120万セットに対し343万セットを販売し、2014年2月に通年商品化 2016年販売終了(後継は豊醸)
2014年11月5日 ドライプレミアム 香りの琥珀 プレミアムビール 7種のホップと黒麦芽由来の麦芽エキス。歳暮ギフト専用 終売
2014年12月24日 ドライプレミアム 初仕込みプレミアム プレミアムビール その年に収穫した国産ゴールデン麦芽・国産ホップ・国産米を使用 終売
2015年2月17日 ドライプレミアム 煎りたてコクのプレミアム プレミアムビール 「煎りたて国産麦芽」を一部使用。アルコール6.5% 終売
2015年3月31日 スーパードライ エクストラシャープ ドライビール 氷点下で濾過する「エクストラコールドろ過製法」、アルコール5.5%の“超辛口” 終売
2016年3月23日 アサヒ ザ・ドリーム ビール(糖質50%オフ) 2017年の改良で麦芽100%化。低カロリータイプの麦芽100%生ビール 2019年3月頃終了
2016年4月12日 アサヒドライプレミアム豊醸 プレミアムビール ザーツ産ファインアロマホップをふんだんに使用。アルコール6.5% 2021年末までに終了
2017年5月30日 スーパードライ 瞬冷辛口 ドライビール 当初は夏季限定、2018年5月に通年商品へ昇格。アルコール5.5% 2022年の全面改良に伴い終了
2017年 スーパードライ 発売30周年 限定醸造(EXTRA HARD ほか)/ロイヤルリミテッド 限定ビール 30周年を記念し季節ごとに限定発売。ロイヤルリミテッドは国産麦芽100%の特別醸造 終売

【年表5】近年のビール(2021〜2026)

ここ数年のアサヒは、明らかに動き方が変わっています。復刻・低アルコール・限定テスト販売の3つが目立ちます。

発売年 銘柄名 種別 どんなビールか 現況
2021年4月6日 アサヒスーパードライ 生ジョッキ缶 容器(ビール) フタがフルオープンする缶。飲料でのフルオープン缶採用は日本初 現行
2021年9月14日 アサヒ生ビール〈マルエフ〉(缶の一般発売) ラガー・生 長く業務用中心だった「マルエフ」を、缶で本格的に家庭へ。2023年に中瓶・大瓶も再開 現行。2025年1月出荷分から39年ぶりに中味を全面改良、アルコールも4.5%→5%へ
2021年10月5日 花鳥風月 麦芽100%プレミアム生(上面発酵) 東北6県限定。国産麦芽とアロマホップを100%使用し、上面発酵酵母で「吟醸づくり」。アルコール5.5%、福島工場製造 2023年12月製造終了、2024年3月販売終了
2022年2月15日 アサヒ生ビール黒生(缶の販売再開) 黒ビール 缶のデザインを「アサヒ生ビール」と揃えて小売量目の販売を再開 現行
2023年6月6日 アサヒホワイトビール ホワイトビール(エール・熱処理) 首都圏・信越限定。エール酵母と小麦、オレンジピールとコリアンダーシード。アルコール5%、茨城工場製造 2024年12月製造・出荷終了
2023年7月11日 アサヒ食彩 プレミアム生ビール(生ジョッキ缶) 当初コンビニ限定、好評で2024年に販路拡大。フランス産希少ホップ、アルコール5.5%。韓国でも発売 2025年10月末終了(ザ・ビタリストに統合)
2023年10月11日 アサヒスーパードライ -ドライクリスタル- ライトビール(ドライ) スーパードライ史上初のライトビール。ドイツ産ホップ「ポラリス」を一部使用し発酵度を上げた。アルコール3.5% 現行(2026年10月6日に中味リニューアル)
2024年4月9日 アサヒクラシック ビール(麦芽・米使用) 阪神甲子園球場100周年記念。1924年当時の処方をもとに味わいを再現。球場内限定 2024年シーズン限りの商品
2024年5月 アサヒビール ほろにが(復刻) 熱処理ビール 1991年の「ほろにが」を熱処理ビールとして復刻。コンビニ限定・数量限定 数量限定のため終了
2024年7月9日 アサヒだらだらエール エール(熱処理) 首都圏4都県のセブン-イレブン限定。オーツ麦芽のなめらかな口当たりと4種のホップ。アルコール3.5% 数量限定のため終了
2025年4月1日 アサヒ ザ・ビタリスト 生ビール 苦味にこだわった1本。ホップ「タラス」「ヘルスブルッカー」とアサヒ318号酵母。アルコール6% 現行
2025年9月/2026年6月2日 アサヒ EGA BEER 熱処理ビール テスト販売サイト「アサヒ空想開発局」発。タレントがプロデュース。6種のホップ、アサヒ318号酵母、アルコール5.5% 数量限定
2026年3月23日 アサヒ 贅濁(ぜいだく) 麦芽100%熱処理・無ろ過 「アサヒ空想開発局」限定。無ろ過製法によるコクときめ細かな濁り。350ml缶6本セットのみ 数量限定
2026年4月14日 アサヒ ゴールド(三代目) 麦芽100%生ビール 約61年ぶりに「アサヒ ゴールド」の商標が復活。従来品比で麦芽使用量を約1.5倍に増やし、アサヒ318号酵母を使用。アルコール5.5% 現行(2026年8月出荷分からパッケージのみ刷新)
2026年6月2日 アサヒ KAME BEER 熱処理ビール 「アサヒ空想開発局」限定。「カリスタホップ」とハイビスカスによる華やかな香りとピンクゴールドの液色。アルコール5%(2026年8月4日発売) 数量限定
2026年8月〜 アサヒスーパードライ(スーパードライ3.0) ドライビール 「新 辛口×冷え」。麦芽比率を高め、煮沸直後のホップ配合を最適化。約4年半ぶりの全面改良 現行・順次切替中

【年表6】地域限定ビールという実験場(1992〜2024)

1990年代のアサヒは、地域限定ビールを大量に出しています。私はこれを「実験場」だと見ています。全国発売はリスクが大きいが、地域限定なら失敗しても傷が浅い。しかもその地域の人気番組のレギュラーや、地元にゆかりのある人をCMに起用するという、極めてローカルな売り方をしていました。

発売年 銘柄名 発売地域 どんなビールか 現況
1992年 福島麦酒 福島県 県名を冠した地域限定ビール 2000年終売
1993年 江戸前 関東地方ほか(一時期は甲信越・富山県) 関東向けの地域限定ビール 2000年終売
1993年 名古屋麦酒 東海3県 他のビールより濃度を強めた「高濃度ビール」。地域限定ではプレミアム級 終売
1994年 生一丁 近畿地方ほか(一時期は北陸3県) ビヤホール「アサヒ軒」の味を再現したと言われる 終売
1994年 博多蔵出し 九州・山口地方(沖縄県を除く) 博多工場発の地域限定 2000年終売
1995年 道産の生 北海道 北海道限定 2000年終売
1995年 みちのく淡麗生 青森・秋田・岩手・山形・宮城 東北向けの淡麗タイプ 1997年頃終売【要確認:終売年】
1996年 赤の生 広島県 赤褐色のレッドビール。のちに「REDS」として全国展開 1997年終売
1996年 四国麦酒きりっと生 四国地方 1998年の四国工場竣工に伴いリニューアル 1998年終売
1998年 四国工場蔵出し生 四国地方 四国工場からの蔵出しをうたった 2000年終売
〜1996年 夏生/冬生/春生 季節限定 季節ごとに出し分けた商品群 終売
2021年10月 花鳥風月 東北6県 麦芽100%プレミアム・上面発酵 2024年3月終売
2023年6月 アサヒホワイトビール 首都圏・信越 熱処理のホワイトビール 2024年12月終売
2024年7月 アサヒだらだらエール 首都圏4都県(セブン-イレブン) 低アルコールのエール 数量限定のため終了

沖縄については、アサヒとオリオンビールが2002年8月に包括的業務提携を結んでおり、沖縄・奄美群島以外の地域でのオリオンブランド商品の販売をアサヒが受託しています。「アサヒオリオンドラフト」「アサヒオリオンいちばん桜」(2009年〜、全国のコンビニで季節限定)「アサヒオリオン夏いちばん」(2014年〜、同)などがそれにあたります。

【年表7】発泡酒(1982〜2024)

発売年 銘柄名 種別 どんな中身か 現況
1982年(1983年とする資料もあり) Be 発泡酒(混合タイプ) ビールとジュースを混ぜたライトカクテル。アルコール2%。3色に染めた猫のCMが話題に 短期間で終売
2001年2月21日 アサヒ本生 発泡酒 アサヒの発泡酒市場初参入。富山湾の海洋深層水を使用。赤ラベル 2007年に「本生ドラフト」へ。製造終了
2001年〜 アサヒ本生オフタイム 発泡酒 緑ラベル。苦味少なめタイプ 終売(後継はスタイルフリー)
2001年〜 アサヒ本生ゴールド 発泡酒 金ラベル。飲み応えタイプ。リッチ酵母を使用 終売(後継は贅沢日和)
2001年〜 アサヒ本生アクアブルー 発泡酒 青ラベル。糖質50%オフ 製造終了
2001年 WiLLビー・フリー 発泡酒 柑橘風味のカクテル感覚で楽しめる発泡酒 終売
2005年9月21日 アサヒ麦香る時間 発泡酒 コンビニチェーンと共同開発。発芽玄米を副原料に使用し、麦芽比率は25%以上50%未満 終売
2005年 アサヒ本生限定醸造 発泡酒 褐色ラベル。プレゼント専用の非売品 非売品
2006年・2007年 アサヒ本生クリアブラック 発泡酒(黒) 秋季限定商品 終売
2006年11月 アサヒ贅沢日和 発泡酒 「本生ゴールド」の後継。発泡酒で長期熟成製法を採用 2009年8月終了
2007年3月27日 アサヒスタイルフリー 発泡酒 糖質0%。「本生オフタイム」の実質的な後継。発泡酒の定番として定着 現行
2007年 アサヒ冬の贈り物(発泡酒版) 発泡酒 琥珀色ラベル。麦芽・ホップを3種類ずつ使い長期熟成したプレミアム発泡酒。プレゼント専用の非売品 非売品
2008年10月 アサヒジンジャードラフト 発泡酒 ショウガから抽出したジンジャーエキスを加えた、辛味とキレのある発泡酒 2009年10月終了
2009年3月17日 アサヒクールドラフト 発泡酒 発泡酒では初めて高濃度の麦汁を使用。「スーパードライの発泡酒版」との見方も 2011年5月終了
アサヒスパークル 発泡酒 スーパードライの発泡酒版という位置づけ。この思想はクールドラフトが引き継いだ 終売
アサヒフルーツブルワリー(アップル/ラズベリー/グレープフルーツ) 発泡酒(フルーツ) ビールをフルーツジュースで割ったもの。税法上は発泡酒 終売
2012年6月12日 アサヒレッドアイ 発泡酒(トマト) ビアカクテル「レッドアイ」をベースに、麦芽とトマト果汁を原料に加えた 現行
2014年9月2日 アサヒスーパーゼロ 発泡酒 プリン体0mg・糖質0%。米乳酸発酵液を採用。アルコール5.5% 終売
2014年9月9日 アサヒビアスプリッツァー 発泡酒(ビアカクテル) シャルドネ果汁を使用した白ワインのビアカクテル。限定発売 限定発売
2015年4月13日 アサヒスタイルフリー[プリン体ゼロ] 発泡酒 スタイルフリー初の横展開。糖質0%・プリン体0.00mg、アルコール6% 後継のパーフェクトへ
2016年5月31日 アサヒスタイルフリー パーフェクト 発泡酒 糖質0%・プリン体0.00mgに加え人工甘味料0。アルコール6% 現行
2018年〜 アサヒオリオンビアカクテル(シークヮーサー/パイナップル/マンゴー) 発泡酒(ビアカクテル) オリオンビールとの共同開発。期間・数量限定 期間・数量限定
2024年2月20日 アサヒオフ(発泡酒へ区分変更) 発泡酒 2009年に新ジャンルとして発売された商品が、全面改良に合わせて発泡酒へ区分変更。麦芽使用比率を向上。アルコール3.5% 現行

【年表8】新ジャンル=第三のビール(2005〜2020)

この表がいちばん、時代の空気を映していると思います。2009年から2014年にかけて、次から次へと出しては消えている。安さで戦う市場が、いかに消耗戦だったかが分かります。

発売年 銘柄名 酒税法上の区分 どんな中身か 現況
2005年4月20日 アサヒ新生 その他の醸造酒(発泡性)① アサヒ初の第三のビール。麦芽や麦の代わりに大豆ペプチドを使用し、アサヒ318号酵母で高発酵 2005年11月に「新生3」へ
2005年11月22日 アサヒ新生3(しんなまスリー) その他の醸造酒(発泡性)① 「新生トライアングル仕込み法」で雑味を低減 2009年2月終了。技術は「ドライゼロ」へ継承
2006年5月30日 アサヒぐびなま。 その他の醸造酒(発泡性)① 苦味を抑えた飲みやすさを追求。大豆ペプチドを使用 2009年2月終了(この撤退で同区分から撤退)
2006年10月17日 アサヒ極旨(ゴクうま) リキュール(発泡性)① アサヒ初のリキュール系。発泡酒に大麦スピリッツをブレンド 2011年2月終了
2007年10月23日 アサヒあじわい リキュール(発泡性)① 麦由来原料の使用率99.9%、残り0.1%はホップ 2010年3月終了
2008年3月25日 クリアアサヒ リキュール(発泡性)① 「澄み切り二段発酵」製法。テーマは「うまみだけ。雑味なし」。アサヒの新ジャンルで初の大ヒット 現行・主力
2009年2月24日 アサヒオフ リキュール(発泡性)① プリン体・糖質を抑えた設計。同区分で初めてプリン体を低減した商品 2024年2月に発泡酒へ区分変更(現行)
2009年6月30日 アサヒオリオンリッチ リキュール(発泡性)① オリオンビール製造。期間限定 2012年で終了
2009年9月15日 アサヒ麦搾り リキュール(発泡性)① 大麦由来原料とホップのみを使用。麦芽と大麦を1.5倍(当社比) 2011年3月終了
2010年3月24日 アサヒストロングオフ リキュール(発泡性)① アルコール7%、糖質60%オフ 2014年12月頃終了
2010年5月25日 アサヒオリオンサザンスター リキュール(発泡性)① スッキリとした軽快な味わい。以降も初夏に期間限定発売 期間限定
2010年9月14日 アサヒくつろぎ仕込<4VG> リキュール(発泡性)① ドイツのヴァイツェンに特徴的な香り成分を引き出した。アルコール5% 2011年3月終了
2011年3月1日 アサヒ一番麦 リキュール(発泡性)① 麦汁は通常の1.5倍の麦を使用し、一番麦汁のみ使用 2013年2月頃終了
2011年7月5日 アサヒブルーラベル リキュール(発泡性)① 新ジャンルで糖質0%。ドイツ産サフィアホップを「レイトホッピング」で使用。アルコール4% 2014年8月頃終了
2011年10月4日 アサヒ冬の贈り物(新ジャンル版) リキュール(発泡性)① 冬季限定。クリスタル麦芽を一部使用。アルコール5% 期間限定
2012年5月29日 アサヒダイレクトショット リキュール(発泡性)① 高炭酸ガス圧の「刺激UP製法」と、当時世界最大の「メガ飲み口」 2013年3月頃終了
2012年7月2日 アサヒジャパンゴールド リキュール(発泡性)① 大会応援商品。英国産ホップ「ケント・ゴールディング」を一部使用。期間限定 期間限定
2013年1月22日 アサヒウイニングブリュー リキュール(発泡性)① 大会応援商品。アメリカ産「ナゲットホップ」使用。期間限定 期間限定
2013年3月12日 クリアアサヒ プライムリッチ リキュール(発泡性)① 同社の新ジャンルで最高級濃度の原麦汁エキス。アルコール6% 後継の「ザ・リッチ」に交代
2013年4月9日 アサヒふんわり リキュール(発泡性)① シトラホップとミュンヘン麦芽。アルコール約2.5%と当時最も低い部類 2014年終了
2013年7月23日 アサヒオリオンちゅらたいむ リキュール(発泡性)① オリオンビールとの共同開発。名護工場製造、「やんばるの水」を使用。アルコール5% 数量・期間限定
2014年1月15日 アサヒクリスタルゴールド リキュール(発泡性)① 大会応援商品。クリスタル麦芽とファインアロマホップ。アルコール6% 期間限定
2014年5月20日 アサヒアクアゼロ リキュール(発泡性)① 糖質0%。マグネシウム・カルシウム・カリウムを仕込み段階で補う。アルコール4% 製造終了
2015年3月17日 クリアアサヒ 糖質0 リキュール(発泡性)① クリアアサヒの横展開第2弾。アルコール6% 後継の「贅沢ゼロ」へ
2015年12月/2016年2月 クリアアサヒ 初摘みの香り/クリアアサヒ 桜の宴 リキュール(発泡性)① 季節限定の横展開 期間限定
2017年2月21日 クリアアサヒ 贅沢ゼロ リキュール(発泡性)① 糖質0のまま、麦の使用量を「糖質0」から30倍に増量。アルコール6% 現行
2018年7月3日 クリアアサヒ クリアセブン リキュール(発泡性)① 糖類不使用・高発酵製法。ドイツ産パールホップをフリージングホップで使用。アルコール7% 製造終了
2019年1月29日 アサヒ 極上〈キレ味〉 リキュール(発泡性)① 麦100%使用。高発酵技術と冷涼ホップでキレを実現。「スーパードライの新ジャンル版」との見方も 2022年3月製造終了
2020年3月17日 アサヒ ザ・リッチ リキュール(発泡性)① 「プライムリッチ」の事実上の後継。贅沢醸造にこだわった 現行

【年表9】ノンアルコールと微アルコール(2009〜2024)

発売年 銘柄名 アルコール分 どんな中身か 現況
2009年 アサヒポイントワン 0.1% アサヒのビールテイスト飲料への初参入。他社が0.5%だった時代に0.1%を実現 2009年7月末終了
2009年9月1日 アサヒポイントゼロ 0.00% ポイントワンの後継。アルコール0.00%を実現 終売
2010年8月3日 アサヒダブルゼロ 0.00% アルコール0.00%に加えカロリーゼロ 2012年4月末終了
レーベンブロイ・アルコールフリー 0.5%未満 麦芽100%のビールテイスト飲料。ドイツから輸入 2012年7月頃終了
2012年2月21日 アサヒドライゼロ 0.00% 麦汁を一切使用せずにビール成分を再現。2013年10月の改良でカロリーゼロ・糖質ゼロ化 現行・主力
2014年6月10日 アサヒドライゼロブラック 0.00% ドライゼロの黒ノンアルコールビール版。当初からカロリーゼロ・糖質ゼロ 350ml缶のみ
2015年3月3日 アサヒドライゼロフリー 0.00% カロリーゼロ・糖質ゼロに加えプリン体ゼロ 現行
2015年6月23日 アサヒスタイルバランス ノンアルコールビールテイスト 0.00% 難消化性デキストリンを配合。機能性表示食品として届け出られた商品 現行
2016年2月16日 アサヒヘルシースタイル 0.00% 難消化性デキストリンを配合。特定保健用食品として許可された商品 現行
2021年3月30日 アサヒ ビアリー 0.5%(微アルコール) 香り豊かでコク深いビールを醸造してから、独自の低温蒸溜でアルコールを分離する脱アルコール製法。開発期間約3年半、約100回の試験製造。首都圏・関信越で先行発売 現行
2021年6月29日 アサヒ ビアリー 香るクラフト 0.5%(微アルコール) ビアリーの第2弾 現行
2023年 アサヒスーパードライ0.0%(欧州向け) 0.0% ヨーロッパ現地法人を販売元として、欧州を中心に8カ国で発売 海外向け
2024年4月9日 アサヒゼロ 0.00% 国産麦芽を使用し、濃厚なビールを醸造してからアルコール分を完全除去する「ブリューゼロ製法」。通常の倍以上のうまみ成分を残すとされる。2023年10月に近畿地区で試験販売 現行

年表から読み取れること

ここまで9つの表で、およそ160の銘柄を並べました。あらためて眺めると、いくつかのことが見えてきます。

1. 生き残っている銘柄は、驚くほど少ない。1892年から数えて、いま現役なのはスーパードライ、マルエフ、黒生、スタウト、熟撰、ザ・ビタリスト、ゴールド、ドライクリスタル、スタイルフリー、クリアアサヒ、ザ・リッチ、アサヒオフ、ドライゼロ、アサヒゼロ、ビアリーといったところです。出した商品の9割近くが消えている。これがメーカーの現実です。

2. 消えた商品は、失敗ではなく実験だった。1990年代の地域限定ビール、2010年代前半の新ジャンル乱発。これらは短命でしたが、そこで得た技術と知見は次に回っています。たとえば「アサヒ新生」で培った、麦汁を使わずにドライな味わいを実現する技術は、のちの「アサヒドライゼロ」に受け継がれたと説明されています。撤退した商品の技術が、10年後の主力を作った。

3. 復刻が増えている。2009年のアサヒゴールド復刻版、2011年の初号アサヒビール復刻版、2024年の「ほろにが」復刻、2026年のアサヒゴールド三代目。会社が自分の歴史を資源として使い始めています。これは老舗にしかできない打ち手です。

4. アルコール度数の幅が広がっている。かつては4.5〜5%に集中していたのが、いまは3.5%(ドライクリスタル、だらだらエール、アサヒオフ)から6.5%(豊醸、ザ・エクストラ)まで、そして0.5%(ビアリー)と0.00%(ドライゼロ、アサヒゼロ)まで広がりました。「どれだけ酔うか」を客が選ぶ時代になったということです。

飲食店の方にとっては、ここが実務上いちばん大事な変化だと私は思います。ドリンクメニューに「弱いビール」と「アルコールのないビール」の席を用意しているか。以前は「ノンアルは1種類置いておけばいい」で済みました。いまは、飲めない人・その日は飲まない人・運転する人・少しだけ飲みたい人が同じテーブルに座ります。この4種類に別々の答えを出せる店は、確実に単価が上がります。

第7章 ビールの種類がわかる章

年表に出てきた「ラガー」「エール」「発泡酒」「新ジャンル」といった言葉を、ここで一度きちんと整理します。お店でお客さまに聞かれたとき、この章の内容が頭に入っていれば、まず困りません。

ビールは、たった4つの材料でできている

ビールの主な原料は、水・デンプン源(麦芽など)・ビール酵母・ホップの4つです。日本のビールでは、これに副原料として米・コーン・スターチなどが加わることがあります。

  • :ビールの主成分。地域によってミネラル組成が違うため、その土地に適したビールの型が生まれました。硬水のダブリンはスタウトに、軟水のプルゼニは淡色ラガーに向く、といった具合です
  • 麦芽:大麦を発芽させ、発酵前に成長を止めるために窯で乾燥・焙煎したもの(焙燥)。この焙燥の温度と時間で色が変わり、濃く焙煎した麦芽からは色の濃いビールができます
  • ホップ:和名をセイヨウカラハナソウというつる性植物。苦味と香りを与え、雑菌の繁殖を抑え、泡持ちを良くします
  • 酵母:糖をアルコールと炭酸ガスに変える。同時に、そのビールの個性を決める最大の要因でもあります

エールとラガー——違いは「酵母の居場所」

ビールの分類でいちばん基本になるのが、この2つです。難しく考える必要はありません。発酵が終わったとき、酵母がどこにいるかで分けているだけです。

エール(上面発酵)——出芽酵母を用い、常温に近い温度で短時間で発酵させます。盛んに炭酸ガスを出すため、酵母が液面に浮かんで層を作る。だから「上面発酵」。複雑な香りと深いコクが特徴です。ペールエール、スタウト、アルトビール、ケルシュ、ヴァイツェンなどがここに入ります。19世紀にラガーが普及するまで、ビールといえばエールでした。

ラガー(下面発酵)——低温(10℃以下)で長時間かけて発酵させます。役目を終えた酵母は底に沈む。だから「下面発酵」。比較的すっきりした味で、ピルスナー、ボックなどのスタイルがあります。

「ラガー」という言葉自体は、ドイツ語で「貯蔵された」という意味です。もともとは中世ドイツのバイエルン地方のローカルなビールでした。秋の終わりに材料を氷とともに洞窟へ貯蔵し、翌春に取り出すと発酵が終わっている。冷蔵庫が発明された19世紀以降、これが瞬く間に世界の主流になります。理由は単純で、一定の品質のビールを大量生産するのに最適だったからです。

ピルスナーが世界を制した理由

いま日本で「ビール」といって思い浮かべる、淡い黄金色で炭酸が強く、透き通ったあのビール。あれがピルスナーです。ラガーの一種で、19世紀のボヘミア(現在のチェコ)のプルゼニで生まれました。

ピルスナーが世界を制した理由は、味だけではありません。ガラス製のグラスやジョッキが普及したことが大きい、と指摘されています。それまで陶器のジョッキで飲んでいたビールが、ガラス越しに見えるようになった。そのとき、濁った茶色より、透き通った黄金色のほうが美しく見えた——という説です。

私はこの話がとても好きです。商品が売れる理由は、必ずしも商品の中にはない。器が変わったから中身が変わった。飲食店でも、グラスを変えただけで注文数が変わることは、いくらでもあります。

黒ビールとスタウトはどう作るのか

黒ビールの色は、着色料ではありません。強く焙煎した麦芽(黒麦芽・ロースト麦芽)を使うことで、あの色と香ばしさが出ます。コーヒーの浅煎りと深煎りの関係に近いと考えてください。

「スタウト」はもともと、濃色のポーターの中でも強い(stout)ものを指した言葉で、上面発酵=エールに分類されます。アサヒスタウトが上面発酵なのはこのためです。一方、ドイツ系の濃色ラガーはデュンケル(暗い、の意)と呼ばれ、こちらは下面発酵です。アサヒの「DUNK」(1998年)や業務用限定の「琥珀の時間」は、このデュンケルタイプにあたります。

アサヒの「スーパードライ ドライブラック」(2012年)は、黒麦芽を使い、ホップを増量しつつ、酵母はスーパードライと同じアサヒ318号を使ったものでした。つまりラガー系の黒ビールです。同じ「黒ビール」という棚に、上面発酵と下面発酵が並んでいる。お客さまに説明するときは、ここを押さえておくと親切です。

ヴァイツェン、ホワイトビール、ケルシュ

もう少し細かい型も見ておきます。

  • ヴァイツェン:小麦麦芽を多く使ったドイツのビール。バナナやクローブのような独特の香りが出ます。アサヒが2010年に出した「くつろぎ仕込<4VG>」は、この香り成分に着目した商品でした
  • ホワイトビール(ベルジャンホワイト):小麦を使い、オレンジピールやコリアンダーシードを加えたベルギー系のビール。2023年の「アサヒホワイトビール」がこれにあたります
  • ケルシュ:ドイツ・ケルンのビール。上面発酵ながら低温で熟成させる、エールとラガーの中間のような性格
  • メルツェン:3月に仕込んで秋まで貯蔵したドイツのラガー。2010年の「アサヒ世界ビール紀行 ドイツ メルツェンタイプ」がこれです

ここで1つ、日本の法律の話が絡んできます。オレンジピールやコリアンダーシードのような副原料を使ったビールは、2018年3月31日までは、日本の酒税法上すべて「発泡酒」に分類されていました。本場ベルギーでは堂々たるビールなのに、日本に輸入すると発泡酒になってしまう。それが2018年4月1日施行の改正酒税法で、政令で定めた副原料を麦芽の100分の5まで使えるようになり、ビールと認められるようになりました。

「生ビール」とは何か——日本での定義

ここは、飲食店の方に必ず知っておいていただきたいところです。

熟成の終わったビールは、酵母の活動を止めるために60度前後で加熱殺菌されるのが伝統的な製法です。この熱処理を行わず、特殊な濾過装置で酵母を取り除いたものが「生ビール」です。

つまり「生ビール」は、樽から注がれるかどうかとは関係ありません。缶でも瓶でも、非熱処理なら生ビールです。逆に、樽から注いでいても熱処理されていれば生ビールではない。日本ではほとんどのビールが非熱処理になっているため、この区別を意識する場面は減りましたが、正確に知っておくとお客さまへの説明で信頼が変わります。なおこの定義は日本の基準であり、国によって基準は異なります。

ちなみに、発泡酒や新ジャンルにおける「生」の定義も、ビールと同様に「熱処理をしていないもの」です。ただしこれらは「ビールの表示に関する公正競争規約」の対象ではないため、「非熱処理」といった表記は基本的に行われていません。

熱処理ビールは、まだ残っている

非熱処理が主流になった今でも、アサヒには熱処理の商品が残っています。アサヒスタウトアサヒホワイトビール(2024年終売)、アサヒだらだらエール、復刻版のアサヒビール ほろにがEGA BEER贅濁

これは偶然ではありません。熱処理には、味が安定し、加熱由来の丸みが出るという性格があります。「あえて熱処理」を選んでいるわけです。古い技術は、劣った技術ではありません。使い分けの問題です。

「辛口」「キレ」「コク」を言葉で分解する

この3語は、日本のビールを語るうえで避けて通れません。私なりに分解します。

  • 辛口(ドライ):発酵度を高めて糖を残さないこと。甘さが少なく、後に引かない。ワインや日本酒の「辛口」と同じ発想です
  • キレ:飲み込んだあと、味が口に残らずすっと消えていく感じ。糖分が少ないこと、苦味の後残りが短いことが効きます
  • コク:口に含んだときの味の厚み。麦芽由来の旨味や、熟成による複雑さが効きます

「コクがあるのに、キレがある」(1986年・アサヒ生ビール)というコピーが強かったのは、この2つが本来は相反するからです。厚みを出せば後に残る。後を切れば薄くなる。その両立を売り文句にした。矛盾を1行で言い切るコピーは強い、という教科書のような例です。

麦芽比率と副原料——味と税金の両方に効く

ここから、話が急に生々しくなります。日本では麦芽の比率が、味だけでなく税額を決めるからです。

ビールにおける麦芽比率は、味の方向を決めます。麦芽が多いほど、麦の旨味とコクが増し、いわゆる「重い」方向へ行く。副原料(米、コーン、スターチ)を増やすと、すっきり軽い方向へ行く。スーパードライが麦芽約70%という設計を選んだのは、この軽さが欲しかったからです。

ところが同じ「麦芽を減らす」という操作が、税制の文脈では「安くする手段」になります。ここが日本のビール類のややこしさの根っこです。次の項から順に見ていきます。

日本の酒税法で「ビール」と名乗れる条件

日本の酒税法は、酒類を「ビール」「リキュール」「雑酒」など17種類に分類しています。ざっくり言えば、麦芽の比率が一定以上あり、使ってよいと定められた副原料しか使っていないものがビールです。

かつては麦芽比率67%(3分の2)以上がビールとされていました。現在は50%以上に緩和され、さらに2018年4月からは果実や香味料といった副原料も一定範囲で認められるようになっています。この緩和によって、それまで発泡酒扱いだった輸入ビールがビール扱いに変わった銘柄もあります。

発泡酒とは何か

酒税法第3条の定義では、発泡酒は「麦芽又は麦を原料の一部とした酒類で、発泡性を有するもの(アルコール分が20度未満のもの)」とされています(他の分類に該当するものや、麦を原料としたアルコール含有物を蒸留したものを原料の一部としたものを除く)。

日本で1990年代以降に展開されている発泡酒は、ほとんどが「ビールの原料のうち麦芽の使用割合を下げ、代わりに大麦・米・糖類などの割合を増やしたビール風アルコール飲料」です。税制上は麦芽比率によって「50%以上」「25%以上50%未満」「25%未満」の3種に分かれ、大手が販売する一般的な発泡酒は「25%未満」が主流でした。麦芽比率50%以上の発泡酒の税率は、ビールと同じです。

もう1つ覚えておきたいのは、「発泡酒=安いビールもどき」ではないということ。ベルギービールのように、副原料の関係で日本では発泡酒に区分されていた高級品もありました。また地ビール(クラフトビール)の世界では、発泡酒免許の最低製造数量が6キロリットルとビールの10分の1で済むため、あえて発泡酒として造る「地発泡酒」も存在します。

新ジャンル(第三のビール)とは何か

「第三のビール」は、ビール、発泡酒に続くものという意味で、新聞社や放送局などのメディア・広告代理店によって作られた言葉です。メーカー各社はビールとの誤認を避けるため「新ジャンル」と呼んできました。

作り方は、大きく2通りです。

  1. 麦芽以外の原料を発酵させる:大豆やエンドウのたんぱく質などを使う。酒税法上は「その他の醸造酒(発泡性)①」。アサヒの「新生」「ぐびなま。」がこれです
  2. 発泡酒に別の酒類を混ぜる:発泡酒に大麦スピリッツや小麦スピリッツを加える。酒税法上は「リキュール(発泡性)①」。マスコミによっては「第四のビール」と呼ばれました。アサヒの「クリアアサヒ」「ザ・リッチ」がこれです

アサヒは1のタイプから2009年に撤退し、以後は2のタイプ(同社の言い方では「麦(由来)の新ジャンル」)に絞っています。

そして重要なのが、2023年10月1日をもって「第三のビール」という区分そのものが廃止され、発泡酒に統合されたことです。既存製品もそれ以降の製品も、いまは「発泡酒②」に分類されています。売り場の呼び方としては残っていますが、法律上の第三のビールはもう存在しません。

ノンアルコールビールの作り方は2通り

アルコールの入っていないビールテイスト飲料には、大きく2つの作り方があります。

  1. そもそも発酵させない(もしくは麦汁を使わない):ビールに似た味を、原料の配合と調合で組み立てる。アサヒの「ドライゼロ」(2012年)は、麦汁を一切使用せずにビール成分を再現した商品です。第三のビール「新生」で培った、麦汁を使わずドライな味わいを出す技術が生きています
  2. ビールを造ってから、アルコールを抜く(脱アルコール製法):普通にビールを醸造したうえで、アルコールだけを取り除く。香味成分が残りやすい代わりに、設備と技術が要ります

アサヒの「アサヒゼロ」(2024年4月)は2のタイプで、「ブリューゼロ製法」と名づけられています。国産麦芽を使い、濃厚なビールを醸造してからアルコール分を完全に除去することで、通常の倍以上のうまみ成分を残してアルコール分0.00%を実現した、と説明されています。

微アルコール(0.5%)という、新しい枠

2021年3月に発売された「アサヒ ビアリー」は、アルコール0.5%です。ノンアルコールでもなければ、通常のビールでもない。「微アルコール」という新しい枠を、会社が自分で作りました。

製法は脱アルコールです。独自の仕込工程で香り豊かでコク深いビールを醸造したうえで、独自の低温蒸溜によってビール由来の香味を損なわずにアルコールを分離する。開発には約3年半、約100回の試験製造を要したとされています。

私はこの0.5%という数字に、強い意図を感じます。0.00%はもう他社もやっている。5%は既存の主戦場。その間の、誰も居なかった場所に旗を立てた。飲食店で言えば「まだ誰も出していない価格帯・時間帯・シーン」を探すのと同じ発想です。

クラフトビールという言葉

最後に「クラフトビール」です。実はこの言葉に、日本の法律上の定義はありません。一般には小規模な醸造所が造る個性的なビールを指します。日本では1994年の酒税法改正でビール製造免許の最低製造数量が引き下げられ、いわゆる「地ビール」が全国に生まれました。

面白いのは、大手も小さく造っているということです。アサヒは1994年に「隅田川ブルーイング株式会社」を設立し、1995年に「東京で最初の地ビール」を生み出しています。現在の「TOKYO隅田川ブルーイング」がその系譜で、創業以来およそ150種類のクラフトビールのレシピを開発してきたとされます。ケルシュスタイル、香るヴァイツェン、ビターなスタウトといったラインアップを、東京・墨田区の隅田川ブルワリーと、茨城県守谷市のマイクロブルワリーで製造しています。

第8章 税率が商品を作った——発泡酒と新ジャンルの30年

ここからは、日本のビール類が「なぜこんなに種類が多いのか」という話です。結論から言えば、味の追求ではなく、税率の差が商品を生んだからです。この30年の攻防を追うと、2026年10月に何が起きるのかがはっきり見えます。

発泡酒の遠い祖先は、戦時中にあった

実は、麦芽を使わないビール風の酒の研究は、戦時中から行われていました。戦況の悪化で大麦や米の供給が不足したため、軍部の依頼で「麦酒類似飲料」の製造開発が、大学や大日本麦酒などの研究機関で進められたのです。原材料は甘藷(サツマイモ)とホップ。現在でいう「第三のビール」に相当するものでした。

戦後も食糧不足が続き、麦芽の使用が認められなかったことから「合成ビール」と呼ばれるビール類似の酒が開発されます。1950年(昭和25年)には、イモとホップを使った「イモ・ビール」が新発売され、これが日本の市販発泡酒第1号となりました。ただし1年程度で終売しています。

1950年代から60年代にかけて、この種の酒を出す会社がいくつも現れましたが、多くは数年で撤退します。「ビールに対抗して発泡酒を売るのは難しい」と考えられ、発泡酒は酒税法上の区分としては存在しながら、参入する企業のない休眠ジャンルになりました。醸造タイプの商品は、1990年代中盤まで途絶えます。

1989年、値引き競争が始まった

転機は1989年(平成元年)です。この年、酒類販売免許が緩和され、大型ディスカウント店でビールを扱えるようになりました。これにより大型店舗間の低価格競争が起こり、その圧力が卸売業者や生産メーカーに向かいます。

ところがビールは、小売価格のうち46.5%が税金で占められていた商品です(1990年代前半における日本国産ビールの一般的な価格は225円前後)。値下げの余地がほとんどない。しかも安い輸入ビールを扱う店が急増し、国内メーカーは危機感を募らせます。

「価格と内容で対抗できる商品」が急務になった。ここで各社が目をつけたのが、麦芽比率を下げれば税率が下がるという酒税法の構造でした。

1994年、「ホップス」から始まった

1994年(平成6年)10月、サントリーが麦芽率を65%に抑えた発泡酒「ホップス」を発売します。350ml缶で希望小売価格180円(税別)。当時のビールが225円前後だったことを考えると、決定的な差です。

1995年5月にはサッポロビールが麦芽比率25%未満の「ドラフティー」を160円(税別)で発売。品薄になって増産体制を整えるほどの売れ行きとなり、発泡酒市場が本格的に立ち上がります。当時は「節税ビール」「麦芽アルコール飲料」とも呼ばれました。

1996年の増税——狙い撃ちと、技術の応酬

発泡酒が伸びれば、ビールの売上が落ちる。つまり税収が落ちる。政府は1996年(平成8年)秋、麦芽率50%以上の発泡酒の税率をビールと同じにしました

大手ビールメーカーは、商品開発の企業努力を無視した狙い撃ちだと反発します。しかし同時に、技術で応じました。サントリーは麦芽使用率を25%未満まで下げた「スーパーホップス」を1996年5月から投入し、145円(税別)という低価格を実現します。

増税されたら、もっと麦芽を減らす。この応酬が、日本のビール類の味を規定していきます。

1998年「淡麗〈生〉」と、アサヒの不参加

1998年(平成10年)、キリンビールが発泡酒に初参入し「麒麟淡麗〈生〉」を発売。同年の発泡酒市場のシェア50%以上を占める大ヒットとなり、市場が一気に拡大します。

このとき、アサヒは動きませんでした。「アサヒはドライ一本、ビールのみで勝負します。発泡酒は発売しません」と宣言したこともあったと記録されています。理由は2つ挙げられています。

  • スーパードライが順調に推移していた
  • 発泡酒の開発初期段階で問題点の解消に手間取り、市場に出せる品質に達していなかった

加えて、第5章で触れたとおり、麦芽比率の低いスーパードライと発泡酒は味の方向性が近く、自社商品同士の食い合いが強く懸念されたという事情もありました。

2001年「本生」——48年ぶりの首位

しかしデフレの流れの中で発泡酒のシェアは伸び続けます。その間、アサヒが毎年のように出したビールの新商品は不振で(年表3・4を見返してください)、看板のスーパードライにも売上の翳りが見え始めました。

そして技術的な壁が破れます。発泡酒の試作品が抱えていた特有の匂いと雑味を、大麦エキスと海洋深層水を使うことで解消できたのです。品質を満たす商品ができたことで方針転換し、「発泡酒カテゴリーが成立したから」という説明とともに、2001年(平成13年)2月21日、「アサヒ本生」で発泡酒市場に参入しました。

本生は好調で、2001年の発泡酒シェアでアサヒは2位に。そして同年、ビール類(ビールと発泡酒の合計)のシェアでキリンを抜き、1953年以来48年ぶりに首位に返り咲きます

この一連の経緯は、経営判断として非常に示唆的です。「やらない」と公言していたことを、やった。しかもその理由を「市場が成立したから」と説明した。前言撤回を、環境変化として堂々と言い切る。プライドで市場を落とすより、はるかに賢い判断だったと私は思います。

2003年の増税、そして第三のビールへ

発泡酒は伸び続けました。2002年のビール類市場で発泡酒は37.2%を占め、2003年4月には月単位で48.2%と過去最高を記録します。

当然、また増税が来ます。2003年5月1日、酒税法が改正され発泡酒が増税。商品価格に反映されて10円の値上げとなりました。

この改正が、さらに安い区分の研究・開発を促し、第三のビールの商品化につながります。2004年2月にサッポロビールが「ドラフトワン」(エンドウたんぱく)を発売したのが第1号。同年3月にサントリーが「麦風」(ビール+麦焼酎)を発売。キリンの「のどごし〈生〉」(大豆たんぱく)が続き、アサヒは2005年4月に「アサヒ新生」で参入しました。

2006年、抜け道が塞がれた

2006年(平成18年)5月、国税庁は改正酒税法を施行し、第三のビールに該当する分類を増税します(350ml缶で3.8円の増税)。同時にビールは0.7円減税されました。

このとき重要だったのは、指定された原料や従来から存在した製法以外の「第三のビール」は、ビールと同額の課税になったことです。定義表の各項目が、既存製品をピンポイントで指定する形になっており、新しい原料でビール風の酒を醸造してもビール並みに課税される。つまり新たな節税商品を作る道は、事実上閉ざされました

この時点で、日本のビール類は「ビール」「発泡酒」「第三のビール(その他の醸造酒①/リキュール①)」という区分に固定されます。以後の各社の商品開発は、この枠の中での勝負になりました。

2008年「クリアアサヒ」——安さの市場で勝つ

アサヒは第三のビールで苦戦していました。「新生」も「ぐびなま。」も、他社に差をつけられて2009年2月に終了しています。

流れを変えたのが2008年3月25日発売の「クリアアサヒ」です。発泡酒に採用していた「澄み切り二段発酵」製法を使い、テーマは「うまみだけ。雑味なし」。アサヒの新ジャンルとして初の大ヒットとなりました。2023年10月時点で、発泡酒②に属するカテゴリーでは全メーカー中で最大の売上を誇るとされています。

ちなみに、この時期のシェア争いは激烈でした。2006年1〜6月期にはアサヒが6年ぶりにキリンに首位を譲りますが、下半期に巻き返し、年間では僅差で首位を維持しています。

2020年から始まった、段階的な一本化

そして現在につながる大きな流れです。2017年(平成29年)に酒税法が改正され、ビール類の税率を段階的に一本化することが決まりました。

2020年10月1日から2023年9月30日までの1リットルあたりの税率は、次の通りでした。

区分 1リットルあたりの税率(2020年10月〜2023年9月)
ビール 200円
発泡酒(麦芽比率50%以上) 200円
発泡酒(麦芽比率25%以上50%未満) 167.125円
発泡酒(麦芽比率25%未満) 134.25円
いわゆる第三のビール 108円
チューハイ等(アルコール分10度未満で発泡性のある酒類) 80円

参考までに、2006年5月1日から2020年9月30日までは、ビールと麦芽比率50%以上の発泡酒が220円、25%以上50%未満が178.125円、25%未満が134.25円でした。

2023年10月、「第三のビール」という区分が消えた

2023年(令和5年)10月1日、第三のビールという区分が廃止され、発泡酒に統合されました。既存製品もそれ以降の製品も「発泡酒②」に分類されることになります。

同時に、この段階でビールは減税されました。この「ビール回帰」の流れを背景に開発されたのが、第5章で触れた2023年10月11日発売の「アサヒスーパードライ ドライクリスタル」です。ビール減税でビールへの回帰が進む一方、若い世代のアルコール離れが進む——その両方に応える3.5%という提案でした。

2026年10月1日、ついに横並びになる

そして2026年(令和8年)10月1日。ビール、発泡酒、新ジャンルを含むビール類の税率が、麦芽使用比率にかかわらず1リットルあたり155円で一本化されます。350ml換算で54.25円です。

改正前(2020年9月時点)のビール1本(350ml換算)の酒税は77円でしたから、ビールは2020年9月以前と比べて22.75円も税率が下がったことになります。2026年10月の改正だけを見ると、ビールは9.1円の減税、発泡酒と新ジャンルは約7.3円の増税とされています。

つまり、30年かけて広がった価格差が、ゼロになります。「安いから発泡酒」「安いから新ジャンル」という購買動機が、制度上の根拠を失う。1994年の「ホップス」から始まった30年戦争が、ここで終わります。

各社が主力を「ビール」に格上げする

価格差が消えるなら、わざわざ麦芽を減らす理由はありません。ビール大手各社は、新ジャンルの主力商品をビールへ格上げすることを相次いで発表しています。

  • キリンビールは「本麒麟」を2026年下期に「ビール」の品目へ変更して発売すると発表
  • サントリーは「金麦」を2026年10月の酒税改正を機に「ビール」の品目へ変更して発売すると発表
  • サッポロビールも主力銘柄のビール化(麦芽50%以上への変更)を発表
  • アサヒも「クリアアサヒ」をビールに格上げする方針が報じられています

【要確認:クリアアサヒのビール格上げについて、正式リリースの日付と適用時期】

飲食店の実務——手持品課税という落とし穴

ここは、お店を経営されている方に必ずお伝えしたい実務の話です。

酒税が変わるとき、手持品課税(てもちひんかぜい)という仕組みが動きます。増税される品目については、改正日の午前0時時点で一定量以上の在庫を持っている酒類販売業者や飲食店に対し、差額分の税が課される場合があります。2026年10月1日については、対象商品を2,000リットル以上持っている場合に申告が必要とされています。

2,000リットルは350ml缶に換算すると約5,714本。相当な量ですから、通常の飲食店で該当することは多くないはずです。ただし業態によっては届くこともあります。該当しそうな方は、必ず税理士か管轄の税務署にご確認ください。私は税理士ではありませんので、ここでは仕組みの存在をお伝えするにとどめます。

それより現実的に効いてくるのは、仕入価格の変動と、メニュー価格の見直しです。発泡酒・新ジャンルの仕入れが上がり、ビールの仕入れが下がる。もしお店で発泡酒や新ジャンルを安価なドリンクとして扱っているなら、2026年秋以降の原価設計を、いまのうちに引き直しておくべきです。逆に言えば、これまで原価の関係でビールを出しにくかった業態にとっては、ビールを主役に戻す好機でもあります。

第9章 世界のアサヒ——ブランドを買い、ブランドを届ける

1994年、中国から始まった本格進出

アサヒの海外展開は、1994年1月の中国が本格的な出発点です。現地ビール会社への資本参加を通じた進出でした。1999年には青島ビールとの合弁企業「深圳青島ビール朝日有限公司」でスーパードライの現地生産を開始し、2004年には北京の「北京ビール朝日有限公司」が操業。2009年には青島ビールの発行済株式の約20%を取得しています。

第2章で触れたとおり、青島ビールは大日本麦酒が1914年から1945年まで経営していた醸造所です。約半世紀を経て、再び手を組んだことになります。

スーパードライを、現地で造る

スーパードライの海外展開は、輸出ではなく現地生産を軸に進みました。

  • 1994年:カナダ・モルソン社のバンクーバー工場で現地生産を開始。1998年にアサヒビールU.S.A.社を設立
  • 1999年:チェコのスタロプラメン社へ現地生産を委託し、ヨーロッパへ本格進出
  • 2002年:タイのブンロートグループへ現地生産・販売を委託
  • 2005年:イギリスのシェパード・ニーム社の工場で現地生産を開始
  • 2008年:ロシアのバルチカ社と提携し現地生産を開始
  • 2017年9月:イタリアのペローニ社パドヴァ工場で瓶と樽生の製造を開始。2020年6月にはローマ工場で缶と瓶の生産を開始し、欧州各国向けをペローニ製に全面切り替え
  • 2019年1月:オーストラリアのラバトン工場で330ml瓶の製造を開始

ビールは重くて嵩張り、しかも鮮度が命です。だから輸出よりも現地生産が効く。ブランドだけを持っていって、造るのは現地でやるという形が、この30年の基本戦略でした。

韓国では2000年に輸出を開始し、2004年にロッテグループの酒類販売会社に出資して販売を本格化。2011年には同国の輸入ビール市場でシェア28.3%を獲得し、日本メーカーとして初の首位獲得に貢献したとされています。

2016年から2020年——ブランドを買う4年間

アサヒが大きく変わったのは、2016年からの数年です。「造る会社」から「持つ会社」への転換と言ってもいい規模の買収が続きました。

  • 2016年10月:旧SABミラー社のイタリア(ペローニ)、オランダ(グロールシュ)、英国事業を取得し、欧州市場に本格参入
  • 2016年12月:アンハイザー・ブッシュ・インベブから、旧SABミラーが保有する東欧のピルスナー・ウルケルなどの事業を買収
  • 2017年3月:旧SABミラー社の中東欧5か国のビール事業を取得
  • 2019年4月:英国Fuller, Smith & Turner社のプレミアムビール・サイダー事業を取得
  • 2019年7月:アンハイザー・ブッシュ・インベブと、オーストラリアの大手酒類メーカー、カールトン&ユナイテッドブルワリーズ(CUB)の売買契約を締結。取得額は160億オーストラリアドル。2020年6月に取得完了

ピルスナー・ウルケル。ビール好きの方なら、この名前の重みが分かるはずです。1842年にチェコ・プルゼニで生まれ、世界中のピルスナーの原型となった銘柄です。ビールの世界における「元祖」を、日本の会社が持っている。第7章で「ピルスナーが世界を制した」と書きましたが、その原点のブランドが、いまアサヒグループの中にあります。

2025年、東アフリカへ

2025年12月17日、アサヒグループホールディングスは、欧州統括会社Asahi Europe and International を通じて、英国ディアジオ社の東アフリカ酒類事業を買収すると発表しました。取得額は30億ドル(約4,654億円)、買収手続きは2026年後半に完了する見通しとされています。

【要確認:本買収の完了時期と最終的な取得内容(2026年8月時点で手続き進行中)】

4極体制という、経営の形

これだけの規模になると、日本から全部を見るのは無理です。アサヒグループは2022年1月1日にアサヒグループジャパン株式会社を設立し、「4 Regional Headquarters体制」に移行しました。日本・東アジア、欧州、アジアパシフィック(オセアニア・東南アジア)などの地域統括会社が、それぞれの市場を見る形です。

ちなみに、アサヒが持株会社制に移行したのは2011年7月1日で、これは大手ビール4社の中で最も遅い移行でした。サッポロが2003年、キリンが2007年、サントリーが2009年。アサヒは最後まで事業持株会社を堅持していた会社です。

スポーツで世界に出る

ブランドを世界に知らせる手段として、アサヒはスポーツを選んでいます。

  • 2021年4月:Asahi Super Dryが、ラグビーワールドカップ2023フランス大会のオフィシャルビールに決定。アジアの酒造メーカーとして史上初のワールドワイドパートナーです
  • 2022年8月:シティ・フットボール・グループとグローバルパートナーシップを締結。同グループ傘下4チームのオフィシャルビールパートナーに
  • 2024年10月9日:ラグビーワールドカップのグローバルパートナーシップを2029年まで延長。2025年女子イングランド大会、2027年男子オーストラリア大会、2029年女子オーストラリア大会でもオフィシャルビールとなります

面白いのは、フランス大会での対応です。フランスでは法律(エヴァン法)でアルコールとタバコの広告が禁じられているため、場内では商品名を直接表示せず、「辛口」「Aaah! 0.0% SUPER TRY」といった表現とカラーリングで間接的に連想させる配慮を行いました。規制の中で、規制を守りながらブランドを伝える。この工夫は、広告表示に制約のある業界すべてにとって参考になります。

第10章 いまのアサヒ——クラフト、ノンアル、微アル、そして「飲まない人」

まず、市場が縮んでいるという前提

景気のいい話から始めたいところですが、事実から入ります。日本の酒類消費数量は1994年(平成6年)をピークに減少傾向にあり、ビール類の出荷数量も2005年以降減少が続いています。生産年齢人口の減少という構造要因があり、これは営業努力でどうにかなる話ではありません。

加えて、ビールという商品自体の相対的な地位が下がりました。かつては「とりあえずビール」が儀式でしたが、いまは1杯目からハイボールでもレモンサワーでもノンアルでも構わない。飲食店の現場にいる方なら、この変化を数字で実感されているはずです。

この前提のうえで、いまのアサヒが何をしているかを見ていきます。

ノンアルの2世代——ドライゼロとアサヒゼロ

アサヒは、ビールテイスト飲料への参入が大手4社の中で最後発でした。2009年の「ポイントワン」(0.1%)が最初で、その後「ポイントゼロ」「ダブルゼロ」と続き、2012年2月の「アサヒドライゼロ」でようやくブランドが確立します。麦汁を一切使用せずにビール成分を再現するという設計で、これは撤退した第三のビール「新生」の技術の応用でした。

そして2024年4月の「アサヒゼロ」が第2世代です。こちらは正反対の作り方で、ちゃんとビールを造ってから、アルコールだけを抜く。国産麦芽を使い、濃厚なビールを醸造してからアルコール分を完全除去する「ブリューゼロ製法」で、通常の倍以上のうまみ成分を残したとされています。

この2つが併存しているのが、いまのアサヒのノンアル戦略です。調合で作る安定した定番と、醸造から作る本格派。飲食店のドリンクメニューでも、この2種類を置き分けると説明がしやすくなります。

ビアリー——0.5%という空白

第7章でも触れましたが、2021年3月の「アサヒ ビアリー」は、アルコール0.5%の「微アルコール」という枠を自分で作った商品です。

飲食店の視点で言うと、この0.5%は使い方が難しく、そして面白い。「今日は控えめにしたい」「もう1杯だけ雰囲気を味わいたい」というお客さまに出せる。ただしアルコールは入っていますから、運転される方には出せません。この線引きをスタッフ全員が正確に理解していないと事故になります。置くなら、教育とセットで。これは強くお伝えしておきます。

スマドリ——「飲まない人」を主語にした会社

2022年1月5日、アサヒビールは株式会社電通デジタルとの合弁で「スマドリ株式会社」を設立しました(同年4月1日より事業開始)。「スマートドリンキング」を推進する会社です。

掲げているのは、飲む人・飲まない人、飲める人・飲めない人、飲みたい時・飲めない時、あえて飲まない時——さまざまな状況における「飲み方」の選択肢を広げ、多様性を受容できる社会を実現する、という考え方です。同年6月には「渋谷スマートドリンキングプロジェクト」が発足し、東京・渋谷区宇田川町に「SUMADORI-BAR SHIBUYA」を出店しました(2024年3月30日にリニューアルオープン)。

この取り組みの前提として置かれている認識が、私はいちばん重要だと思っています。「お酒を飲まない/飲めない人は、お酒を飲む場が嫌いなわけではない。飲む人と一緒に楽しみたいと思っているが、飲めないことに不自由を感じている」

これは飲食店の売上に直結する話です。4人グループのうち1人が飲めないとき、そのグループは「飲めない人でも居心地のいい店」を選びます。1人の飲めない人が、4人分の来店を決めているのです。ノンアル・微アルのメニューを整えることは、慈善事業ではなく、4人客を取りにいくための投資です。

TOKYO隅田川ブルーイング——大手が小さく造る

アサヒは1994年に「隅田川ブルーイング株式会社」を設立し、翌1995年に「東京で最初の地ビール」を生み出しました。現在の「TOKYO隅田川ブルーイング」は、その歴史と、小規模醸造所で培った100種類以上のクラフトビール開発のノウハウを掛け合わせたブランドです。創業以来およそ150種類のレシピを開発してきたとされています。

ラインアップには、ドイツ・ケルンの伝統的なスタイルに着想を得たケルシュスタイル、やわらかな味わいとフルーティな香りの「香るヴァイツェン」、厳選したビターホップを100%使用した「ビタースタウト」などがあります。製造は東京都墨田区の隅田川ブルワリーと、茨城県守谷市のマイクロブルワリーです。

飲食店の方に一言。「大手のクラフト」は、扱いやすさが段違いです。供給が安定し、営業担当がつき、品質のばらつきが小さい。個性で言えば独立系の醸造所に譲る部分もありますが、まずクラフトビールをメニューに入れてみたいという段階なら、こういう選択肢から始めるのは十分に合理的です。

アサヒ空想開発局——テスト販売という売り方

ここ数年で目立つのが、新商品テスト販売サイト「アサヒ空想開発局」です。年表5に出てきた「EGA BEER」(2025年9月)、「贅濁」(2026年3月)、「KAME BEER」(2026年8月)は、いずれもここ発の商品です。

これは、かつての地域限定ビールと同じ発想の現代版だと私は見ています。いきなり全国発売はしない。小さく出して、反応を見て、良ければ広げる。1990年代は「地域を限る」ことで実験しましたが、いまは「販売チャネルを限る」ことで実験している。EGA BEERは実際に、テスト販売での好評を受けて2026年6月に数量限定で本発売されています。

お店でも同じことができます。いきなりグランドメニューに入れず、まず黒板で1週間出してみる。やっていることは同じです。

2026年、アサヒゴールドが61年ぶりに戻ってきた

2026年4月14日、レギュラー価格帯の麦芽100%生ビール「アサヒ ゴールド」(三代目)が発売されました。「アサヒ ゴールド」の商標が復活するのは約61年ぶりです。

中身は、従来品と比べて麦芽使用量を約1.5倍に増やし、麦芽を増やすことで生じやすい渋味や雑味を抑えるために麦芽とホップの配合を調整。そこにアサヒ318号酵母を使うことで、麦芽100%でありながらすっきりとしたキレのある後味を実現した、とされています。アルコール5.5%。

初代アサヒゴールドは1957年の熱処理ビール、二代目は2009年のコンビニ限定復刻版、そして三代目は2026年の麦芽100%生ビール。同じ名前で、中身がまったく違う。それでも「ゴールド」という名前を使うのは、この会社にとって、その語が資産だからです。

そして時期に注目してください。2026年4月は、10月の酒税一本化の半年前です。麦芽100%のレギュラー価格帯ビールを、価格差が消える直前に出してきた。ここには明確な戦略が読み取れます。

2025年秋、供給が止まった

直近の出来事として、記録しておかなければならないことがあります。2025年9月29日、アサヒグループホールディングスのグループ各社で、サイバー攻撃によるシステム障害が発生しました。商品の受注・出荷業務やコールセンター業務ができなくなり、同日11時頃にはネットワークを遮断してデータセンターを隔離する措置が取られています。

10月3日にランサムウェアによる攻撃と発表され、10月7日には犯行声明が出されました。11月27日の記者会見では、従業員やお客様相談室に問い合わせをした方の個人情報など、計191万4,000件が流出した可能性があると発表されています。同社は身代金の要求には応じませんでした。

復旧の経緯は次の通りです。

  • 2025年12月:システムを使用した商品の受注・出荷業務を再開
  • 2026年2月12日:ビール及び飲料商品の物流が正常化
  • 2026年3月10日:全商品の出荷を4月7日に再開すると発表

業績への影響も出ました。2025年12月期の決算は、売上収益2兆8,946億円(前期比1.5%減)、事業利益2,629億円(同7.8%減)。純利益は36.7%の減益となっています。なお、サイバー攻撃による影響額については、開示資料と報道で数字の取り方が異なります【要確認:影響額の定義と正確な金額】。2026年12月期の業績予想は、売上収益3兆2,200億円(前期比11.2%増)、事業利益2,910億円(同10.6%増)とされています。

あのとき、お店で何が起きたか

この出来事は、飲食店にとって他人事ではありませんでした。受注・出荷が止まったことで、酒屋や飲食店はFAXでの注文のやり取りを余儀なくされたり、他社製品への切り替えを行ったりしています。コンビニでは同社が製造するプライベートブランド商品の出荷が停止し、包括業務提携を結ぶオリオンビール製品の県外出荷にも影響が出ました。

需要が急に他社へ移ったため、他のメーカーも一部商品の出荷制限を始めています。2025年10月の販売数量は、キリン・サントリー・サッポロの3社合計でビールが18%増加したと発表されました。歳暮用のビールセットについても、各社が販売を絞る事態になっています。

私がこの件から学んだことを、2つだけ書きます。

1つめ。仕入れが止まるという事態は、実際に起きる。天災でもなく、メーカーの工場が壊れたわけでもなく、システムが止まっただけで、日本中の飲食店の棚から特定メーカーの商品が消えました。「うちは1社としか取引がない」という状態は、平時は効率的でも、有事には脆いということです。

2つめ。効いたのはアナログの備えだった。報じられているところによれば、工場系のシステムが分離されていたため製造ライン自体は攻撃を免れ、さらにアナログでの事業継続計画(BCP)の準備と訓練がなされていたため、障害発生から3日後には最低限のビールの供給が維持できたとされています。停電したときに手書きの伝票が切れるか。電話が鳴ったときに紙の台帳で予約が確認できるか。デジタルの備えの最後を支えるのは、いつもアナログです。

なお同社は2026年2月に再発防止策とガバナンス体制の強化を発表し、外部との接続におけるVPNを廃止してゼロトラストモデルへ移行すること、検知精度の向上、バックアップ戦略の見直し、社員教育と外部監査の定期実施などを進めるとしています。

第11章 会社の外側——工場、ミュージアム、美術館

いま稼働している6つの工場

アサヒビールの国内工場は、現在6か所です。

工場名 操業開始 所在地 備考
吹田工場 1891年 大阪府吹田市 前身の「吹田村醸造所」として操業開始。アサヒビール発祥の地。アサヒスタウトはここでのみ製造
博多工場 1921年 福岡市博多区 佐賀県鳥栖市への移転が予定されていたが、事業費高騰を理由に3年程度延期
北海道工場 1966年 札幌市白石区 以前は合弁の「北海道アサヒビール」として操業
名古屋工場 1973年 名古屋市守山区
福島工場 1979年 福島県本宮市 2011年の東日本大震災で被災
茨城工場 1991年 茨城県守谷市 マイクロブルワリーを併設

閉じた工場たち

逆に、閉じた工場も記録しておきます。吾妻橋工場(1901年操業・1985年閉鎖/東京都墨田区)は、もとは札幌麦酒の工場で、大日本麦酒を経て朝日麦酒の所属となりました。現在はアサヒビール本社ビル、リバーピア吾妻橋、墨田区役所などが建っています。

ほかに、東京大森工場(1962年操業・2003年閉鎖)、西宮工場(1927年操業・2012年閉鎖/阪神甲子園球場に近く、造りたてのビールを球場まで直送していた)、四国工場(1998年操業・2023年1月31日操業終了)、神奈川工場(2002年操業・2023年1月31日操業終了)。

四国工場と神奈川工場が同じ日に操業を終えているのが、市場縮小の現実を物語っています。

見学できる2つのミュージアム

アサヒは体験型の工場見学ツアーを展開しており、現在は大阪・吹田の「アサヒビール ミュージアム」と、茨城・守谷の「スーパードライ ミュージアム」の2か所で体験できます。

吹田では、VR体験や「SUPER DRY GO RIDE」といった演出を組み込んだツアーが人気です。参加費は20歳以上が1,000円、小学生以上が150円。茨城の「スーパードライ ミュージアム」は所要時間約80分で、シアター、ミュージアムツアー、試飲が含まれます。予約はインターネットで1〜6名まで受付、7名以上は電話での連絡が必要とされています。

【要確認:2026年8月時点での最新の料金・所要時間・実施内容は、公式サイトでご確認ください】

飲食店の方には、スタッフ研修としての工場見学を強くおすすめします。自分が毎日注いでいるビールが、どういう工程で、どれだけの手間をかけて作られているかを知ったスタッフは、注ぎ方が変わります。これは精神論ではなく、実際に変わります。

吾妻橋のアサヒビールタワーと「フラムドール」

東京・墨田区吾妻橋にある本社ビルは、1989年竣工の通称「アサヒビールタワー」です。琥珀色の壁面ガラスと頂部の白い外壁で、ビールジョッキをイメージしています。壁面の金色の遮熱ガラスは日本板硝子製です。

隣の「スーパードライホール」の上に載っている、フィリップ・スタルクによるオブジェ「フラムドール(金の炎)」は、東京の有名なランドマークになりました。燃え盛る炎を形にすることで、アサヒビールが持つ情熱を表現したものです。スーパードライホール自体も、聖火台をイメージして建築されています。

1989年——スーパードライで会社が息を吹き返し、社名を「アサヒビール株式会社」に変え、創業商品のラガーを終売にした、あの年です。この建物は、会社が変わったことの宣言だったのだと思います。

アサヒグループ大山崎山荘美術館

京都府乙訓郡大山崎町、天王山の南麓に「アサヒグループ大山崎山荘美術館」があります。1996年4月に開館しました。

経緯が良い話です。本館の「大山崎山荘」は、関西の実業家・加賀正太郎(1888-1954)の別荘として大正から昭和にかけて建てられたものでした。加賀はニッカウヰスキーの創業に参画した人物でもあり、晩年にその株を朝日麦酒初代社長・山本爲三郎に託しています。

加賀の死後、山荘は加賀家の手を離れ、1989年にはマンション建設計画が浮上します。これに対して地元有志の保存運動が起こり、最終的にアサヒビールが山荘を復元して、1996年に美術館として開館させました。壊されかけた建物を、企業が引き受けて残したわけです。2004年には6つの建物が国の登録有形文化財となっています。

コレクションの中核は、山本爲三郎が収集したものです。クロード・モネの『睡蓮』の連作を複数所有しており、安藤忠雄設計の地中館「地中の宝石箱」(円柱形の展示室)に展示されています。ほかに安藤忠雄設計の山手館「夢の箱」もあります。

メセナ、財団、そして環境

アサヒは、日本で企業メセナ活動をもっとも活発に行っている企業の一つとされています。公益財団法人アサヒグループ学術振興財団(1984年11月設立)、公益財団法人アサヒグループ芸術文化財団(1989年3月設立)を持ち、ロビーコンサート、アサヒビール芸術賞、アサヒ・アート・フェスティバル、すみだ川アートプロジェクトなどを展開してきました。

環境面では、1998年11月に日本の全工場で廃棄物100%再資源化を達成、2001年9月に社有林「アサヒの森」がFSC認証を取得。2018年4月には2050年までにサプライチェーン全体でCO2排出量ゼロを目指す中長期目標「アサヒカーボンゼロ」を設定し、2024年2月には2040年までにバリューチェーン全体でCO2排出量ネットゼロを目指すと目標を更新しています。2020年10月には日本の食品企業として初めてグリーンボンドを発行しました。

スーパードライには「うまい!を明日へ!」プロジェクトがあり、売り上げ1本ごとに1円を地域の環境保護活動へ寄付する取り組みが行われています。シェアが大きいということは、1本1円でも大きな金額になるということです。規模を社会に還す仕組みとして、分かりやすい設計だと思います。

第12章 これから——2026年10月以降のビールと、飲食店の売り方

価格差が消えたあと、何で選ばれるのか

2026年10月1日、ビール・発泡酒・新ジャンルの税率が1リットル155円で横並びになります。30年かけて広がった価格差が、消える。

このとき何が起きるか。アサヒビールのマーケティング責任者は、報道の中でこう述べています。「酒税が統一されて価格差が縮小する中で、お客さまが『本当にうまいビールってどれなんだろう』と求める瞬間がやってくる」

私はこの見立てに同意します。安さという理由がなくなったとき、人は「味」と「意味」で選び直す。これは飲食店にとっても同じです。値段で選ばれていた店は、値段で選ばれなくなった瞬間に、選ばれる理由をゼロから作り直さなければなりません。

温度という、最後のフロンティア

2026年のスーパードライ3.0が「冷え」を設計に組み込んだこと。2010年のエクストラコールドが氷点下という提供方法を作ったこと。この2つは、同じ方向を向いています。中身ではなく、出し方で差をつけるという方向です。

飲食店にとって、これは朗報です。なぜなら温度は、お店が自分でコントロールできる変数だからです。ビールの中身はメーカーが決めますが、何度で出すかはお店が決めます。グラスを冷やすか、常温で出すか。サーバーの設定温度をいくつにするか。夏と冬で変えるか。

メーカーが「ターゲット温度3℃」「8〜10℃」という数字を公にする時代です。お店の側も、自分の店の提供温度を数字で把握しておくべきだと私は思います。測っていないものは、改善できません。

「飲まない人」を、客席に戻す

年表9を見返してください。2009年に0.1%、2012年に0.00%、2021年に0.5%、2024年に脱アルコール製法の本格派。この15年で、飲まない人のための選択肢は一気に増えました。

ところが、飲食店のドリンクメニューは、そこまで変わっていないお店が多い。ノンアルコールビールが1種類、あとはウーロン茶とジンジャーエール。これでは「飲めない人」は自分が我慢していると感じます。

スマドリの取り組みが前提に置いていた認識をもう一度書きます。飲めない人は、飲む場が嫌いなのではなく、飲めないことに不自由を感じている。ここを解けるお店が、これからのグループ客を取ります。

飲食店が明日からできる3つのこと

長い記事になりました。最後に、明日から手をつけられることを3つだけ挙げます。

1. 「語れる1本」をメニューに1つ置く。アサヒなら、1935年発売・上面発酵・熱処理・吹田工場のみ・小瓶のみの「アサヒスタウト」。あるいは61年ぶりに名前が戻った「アサヒ ゴールド」。他社製品でも構いません。スタッフが30秒で背景を語れる1本があるだけで、卓上の会話が変わり、2杯目の注文が変わります。

2. 提供温度を測って、決める。サーバーの設定、グラスの温度、ピーク時と閑散時の差。まず現状を測ってください。そのうえで「うちのビールは何度で出す」と決める。決めたら全スタッフで守る。これだけで、同じ銘柄が別の商品になります。

3. 「飲まない席」の答えを4つ用意する。①アルコール0.00%のビールテイスト、②微アルコール(提供時の説明も含めて)、③ノンアルコールカクテル、④お茶やソフトドリンクの上位版。この4つを、価格帯も含めて設計しておく。1人の飲めない方が、グループ全員の来店を決めています。

私がこの1社から学んだこと

最後に、この会社の歴史を通して私が受け取ったことを書きます。

順調なときに次を仕込んだ会社が勝つ。造り酒屋の鳥井駒吉が麦酒に踏み出したこと。コクキレビールが当たっている最中にスーパードライを出したこと。スーパードライが盤石なうちに、ドライクリスタルやアサヒゼロやビアリーを出していること。全部、同じ話です。

負けている時間に積んだものが、勝つときに効く。3位に沈んでいた26年間に、日本初の缶ビール、日本初のオールアルミ缶、世界初の屋外タンク、日本初のミニ樽を作った。だから1987年に、5割増産という無茶ができた。いま結果が出ていないからといって、積むのをやめてはいけない。

そして、商品の外側を見た会社が当てる。1987年のスーパードライは、ビールを研究して生まれたのではなく、日本人の食卓を研究して生まれました。私たちが自分の店を良くしようとするとき、つい料理や内装の中だけを見てしまいます。しかし答えは、たいてい外にあります。お客さまが、この店に来る前と後に、何をしているか。そこを見るところからしか始まらない。

1889年の大阪で始まった1社を、2026年まで追いかけてきました。137年です。次の137年に何が起きるかは分かりませんが、少なくとも1杯のビールの向こうに、これだけの時間が積み重なっていることは、覚えておいて損はないと思います。

参考にした資料(すべて2026年8月18日取得)

この記事は、次の資料にあたって執筆しました。一次情報を優先し、二次情報を用いた箇所には出典を明記しています。

本記事に残した【要確認】事項

裏取りが十分でなかった箇所を、隠さずに列挙します。今後、一次資料が確認でき次第、修正します。

  • 【要確認】村井勉氏のアサヒビール社長就任年月(1982年3月との報道があるが、公式沿革での確認が取れていない)
  • 【要確認】「アサヒ生特大瓶2リットル」(1927年発売)の終売年
  • 【要確認】「アサヒスタッビー」(1937年発売)の種別および終売年
  • 【要確認】「アサヒ黒ビール」(大日本麦酒時代)の発売年および終売年
  • 【要確認】「Be」の発売年(1982年とする資料と1983年とする資料がある)
  • 【要確認】「みちのく淡麗生」の終売年
  • 【要確認】「アサヒプレミアム生ビール熟撰」の発売年
  • 【要確認】「アサヒ ビアリー」の全国発売の正確な時期(先行発売は2021年3月30日、第2弾「香るクラフト」は同年6月29日)
  • 【要確認】「クリアアサヒ」のビール格上げについて、正式リリースの日付と適用時期
  • 【要確認】2025年のシステム障害による業績影響額の定義と正確な金額(開示と報道で数字の取り方が異なる)
  • 【要確認】東アフリカ酒類事業買収の完了時期と最終的な取得内容
  • 【要確認】アサヒビール ミュージアム/スーパードライ ミュージアムの2026年8月時点の料金・所要時間・実施内容
  • 【要確認】本記事に掲載できる画像の利用可否(後述)

画像について

本記事には写真・図版を掲載していません。企業の商品画像・ロゴ・施設写真については、各社サイトの利用条件を確認したうえで、報道関係者向け素材や公式に転載が認められた画像に限って使用する方針としていますが、執筆時点で利用条件の確認が取れなかったため、掲載を見送りました【要確認:掲載可能な公式提供画像の有無と利用条件】。画像が必要な方は、各社の公式サイトをご覧ください。

おわりに

㈱デリシャスノーツでは、飲食店の集客とお店づくりのご支援をしています。「うちの店のドリンクメニューを、これからの市場に合わせて設計し直したい」「酒税改正に合わせて原価とメニュー価格を見直したい」といったご相談は、お問い合わせフォームよりお寄せください。

この記事が、あなたのお店の1杯目を、少しでも面白いものにできたなら嬉しいです。

20歳未満の飲酒は法律で禁止されています。飲酒運転は絶対にやめましょう。

「辛口」をもう一段くわしく — 姉妹サイトの記事

この記事では経営の側からスーパードライを追いましたが、「辛口とは技術的に何を指すのか」を、酵母・麦芽比率・発酵度から解いた記事を当社の日本酒メディア「Sake Navi」に書きました。日本酒の「淡麗辛口」との違いまで踏み込んでいます。同じ「辛口」という言葉が、ビールと日本酒でまったく別のものを指している、という話です。

スーパードライの「辛口」と、日本酒の「淡麗辛口」は何が違うのか(Sake Navi)

アサヒ生ビール マルエフの瓶と、注がれたビール2杯

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